第22話 硝子細工の水の底

 転校生なんてものはいまどき流行らない

 とは言ってみても、本当に転校してくる人ってのは何かしらの格好つけではなく、確かな理由と結果があるわけで、流行る廃るなんていうのは非当事者たるクラスメイト達のなかでの勝手な価値観てわけ。私の場合は父の転勤。物凄く普通だ。私はそう思う。だから、転校初日の挨拶だって、普通にこなしたし、クラスメイト達との軽い交流も上手くいったつもりだった。けれど。なんでこんなことになったのかは正直、私にも甚だ疑問であるのだ。

 

 その女生徒は私に覆いかぶさり、走ったあとのような息を肩できらす。

女生徒のその両頬がみるみる紅に染まるのが手に取るようにわかる。私は起き上がろうとしたが、どうにも彼女の手足が私の四肢を抑えているようで動けない。後頭部が地面と白詰草の群叢ぐんそうに触れている。湿った汗の匂い。潰された植物の苦い匂いが地表にほど近い私の鼻を撫でる。目の前に垂れ下がった真っ黒な彼女の髪。血色の通った彼女の口が開き、私に尋ねる。


 「ね、君、転校生さんは何しに学校ここへ来たの」

 「え?……どうでもいいよね、あなたに関係ないし、それよりどいてくれないかしら」

 「やだ。私の名前は峰二みねふじ 綾乃あやのといいます。君は?」

 「教えたくない、そこどいて」


 再び手足に力を入れる。圧迫された筋繊維が縮み、膨らみ、彼女の膝を少し持ち上げ、また潰される。膝の痛みが増す。彼女が急に倒れ込んできたせいで不安定な着地をした右膝がうっ血していないことだけを、今は望む。


 「何なの、あなた。私をどうしたいわけ?」

 「別に?ただ君のことが知りたいだけだよ。仲良くなりたいんだ」

 「普通、ひとに馬乗りになるような人間がそのひとと仲良くなりたいとはおもえないんだけど。ふざけるなら、よそでやって。私にはこんな刺激必要ない」

 「ふざけてないよ。これは私の愛情表現」


 話が通じないとはこのことだ。峰二みねふじとかいう目の前の女の子、(いや私にはもうこいつをこいつと呼ばわりする資格が備わっているはず。)こいつはその奇妙なほど大きい瞳をぐるぐるさせ、私の顔から首筋へ首筋から胸へと視線を泳がせる。人は48時間の間手足の自由を奪うと経過後、それらが半分ずつ失われたように感じるらしいと以前読んだ雑誌に書いていたけれど、私には48秒だって耐えられたものじゃない。言葉も通じない。力も通らない。どうすればいいかまったく見当がつかない。だから私は目を閉じ、口を接ぐんだ。


 「ね、君のことを教えてよ」

 「いや……」

 「君の家はどこ?」

 「……」

 「君の家族は何人?」

 「……」

 「兄弟はいる?姉妹は?」

 「……」

 「ねぇ、ねぇ、君の好きな食べ物は?音楽は?」

 「……」

 「人参は好き?嫌い?ねぇ」

 「……」

 「休日は何してるの?ねぇ教えてよ!ねぇったら」

 「……」

 「眠ってるの?ねえ。起きてるよね?どこから来たの?、出身地は?誕生日は?趣味は?得意科目は?昼は弁当派?パン派?それとも食べないの?ねぇ、聞こえてる?なんで転校してきたの?私を連れ去りに来たの?私が今ここで君の瞼に噛み付いてもいいのね?聞いてる?聞いてよ!ねぇ、ねぇ!、ねえったら!」

 「……」

 「う、……っく」


 次第に手足の縛りが弱まる。彼女が握っていた手首がジンジンと痛む。あたりは急に静かになって、手首の骨が軋む音が聞こえてくるような気がした。沈黙こそ最大の叫びだ。ぽたぽたと頬に滴が垂れる。そっと目を開くと彼女が頭上で涙を流していた。全身の力を抜く。水の中のようなまとわりつく気だるさと水槽を覗く他視感を感じる。塩水は目の中に這入ってこない。ただその底から青空を眺めると、空には雲と昼のおぼろげな月があった。

 

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