ディスタンス
須々木正(Random Walk)
01 ツリフネホーム
頭上のスピーカーが小さなノイズ音を発する。ブツという短い音は、電気が供給されたというより、何かが途切れるような感じにも思える。
スピーカーは深呼吸するように間をあけてから、大音量で何の工夫も感じられない単調なブザー音を撒き散らす。しかも、これがホームに数カ所設置され、タイミングがほんの少しずつずれているため、見事なまでの不協和音が奏でられることになる。
ブザー音は断続的に鳴り響き、いかなる思考も途切れさせるだけの力を持っていた。
ブザー音に紛れて、鉄路を車輪が撫でつける乾いた音が近づいてくる。微動だにせず正面だけを見つめる笹賀谷の視界に、高速度で通過していく車両が飛び込む。遅れて鋭い風圧が襲う。音と風に揉まれた乱痴気騒ぎに、花壇に咲く紫の花たちは翻弄される。
嵐は一瞬で過ぎ去る。
列車は緩やかなカーブを全速力で駆け抜け、スピーカーは同時に鳴りやむ。風は穏やかに吹き抜けるようになる。
笹賀谷は自分のいるホームの反対側の端に視線を移した。
中央部が少しだけ膨らんだ形状をした一面一線のホーム。単線区間に後付けされた最もシンプルな構造。一方の端には簡素な駅舎と改札があり、反対の端に花壇がある。駅舎とその隣の待合スペース以外、屋根などがあるわけもなく、解放感だけが無尽蔵に与えられる。
もとより利用者の少ない駅ではあるが、その数少ない利用者も、列車が入線するまでは待合スペースの椅子に収まっていることが多い。そのため、ホームに人がいることはほとんどありえず、この花壇のほとりは、だいたいの時間帯で自由に独占できる場所だった。
何事もないときの方が逆に落ち着かないものである。再び牧歌的空気に満たされたホームで、笹賀谷は、学生服のポケットからケータイを取り出すと、素早くボタンを押してメールの受信ボックスを表示する。
Fromのところには、
メール本文を改めて確認する。昼休み直後に届いたメールだが、すでに何度確認していることか。
『重要な話があるから、帰りに
あまりにもテンプレートな内容だったが、田万川が顔文字も絵文字もないメールを送ってきた時点で何か特別なイベントを予感させるし、内容的にも変な妄想をかきたてる。改めて思い返すと、夏休みが明けてから、ちょっと様子が変だったような気もしてくる。
しかし、ここまで考えてから笹賀谷は自分の思考の打ち消しにかかる。
そもそもいろいろあり得ないじゃないか。田万川は
でも、そう言えば、葵の方も最近少し……。いやいや、それはないし、考えちゃいけない。あいつら、普通にベストカップルだろ。美男美女がそろってバッチリつりあっている感じだ。
笹賀谷は、深く息をついて平常心と唱える。しかし、平常心という言葉が平常心をもたらすとは限らない。これから田万川が現れて変に意識してしまわないかと心配するほど、かえって挙動不審になってしまう。
笹賀谷は、とりあえずケータイをしまって顔をあげる。改札の方を見ると、ちょうど目的の人物が姿を現した。ホームに流れる風を受けてサラサラと風に
笹賀谷は、自分でもびっくりするくらい落胆する。確かに、二人で会うなどということはどこにも書かれていなかった。自分の早とちりがかなり恥ずかしいが、幸いまだ距離があるのでそんな様子を見られることはない。
二人は近づいてくる。田万川はこちらに気付いて手を振っている。その後ろの男は、当然葵だろうと思っていたら、それほど上背がないし線が細い。葵は学年全体で見ても背の高い方で、田万川と並べばその差ははっきり見て取れるはずだった。
「ヒロ?」
笹賀谷は意外過ぎて思わず声に出してしまう。田万川と
というのも、嵩間は女子が得意ではないし、中でも田万川のようなタイプと二人でいることは好まないはずだと思っていたからだ。
田万川の後ろで少し距離をあけて俯き加減になっているところを見ると、仲良く談笑してきたわけではないようだが、不思議な光景であることに変わりはない。
「浩君、お待たせー」
台詞そのものは甘酸っぱさを感じずにはいられないが、冷静に考えて、状況がよく分からない。笹賀谷は軽く困惑しながら花壇に辿り着いた田万川を見た。妙な緊張感が漂っていた。背後の嵩間も同じく硬い感じがした。
「ヒロも一緒だったのか」
「なになに? もしかして何か期待していたの?」
田万川は、少し悪戯っぽく笑った。
「ゴメン」
嵩間は申し訳なさそうに小さく謝る。
「いやいや、別にそういうんじゃないから」
笹賀谷は座る位置を変えて、二人のスペースを空けた。しかし、二人は座らない。
小さな善意がスルーされ、笹賀谷はちょっと気まずそうに視線をあげる。
「それで、話って?」
その言葉に、田万川の表情が少し硬くなる。隣の嵩間も明らかに落ち着かない様子であり、右手で自分の左肘を引き寄せながら、視線は花壇に
田万川は口を開こうとしてから、一瞬嵩間の方を見遣った。嵩間はそれに気付くが、静かに視線をそらした。田万川は笹賀谷の方に向き直り、話し始めた。
「えと……ね」
田万川が言い淀む姿というのはかなり珍しい。笹賀谷にも緊張感が伝染して、唾を飲む。
「いきなりなんだけどね。私さ、フミ君と別れたんだよね」
葵の名前は
田万川は葵のことを、史人と呼ぶこともあれば、フミ君と呼ぶこともあるが、三人称としては後者が多かった。笹賀谷はその呼び方に規則性を見出そうとしたが、いまいち成果はあがっていない。
「……そうか。最近?」
気分を害さないように慎重に答える。あまり根掘り葉掘りするのも
「うん、まあ。先月だね。実は夏休み中に別れたんだ」
笹賀谷は、正直なところ、反応に困ってしまう。ほんの数分前の自分が抱いた妙な期待が今は恨めしく思える。いざ本当に別れたと言われると、急に自分の考えが分からなくなってくる。笹賀谷は、こういうときに割り切ってエゴを貫けるような性格ではなかった。
不意に笹賀谷の視線が嵩間と重なった。
そう言えば、別れた話をするのに、何で嵩間も一緒にいる必要があるんだ?
笹賀谷は脳裏に浮かんだ疑問に対して、ほとんど瞬間的とも言える速度で結論を導き出した。鼓動が加速するのを感じた。
田万川と葵は先月別れた。その話を笹賀谷に伝えるのに、田万川は嵩間を連れて現れた。
笹賀谷は、ここで話を切り上げて立ち去りたい衝動に駆られた。ここで列車が来れば、急用を思い出したからというベタな台詞を吐いて駆け込むところだ。しかし、運行間隔の長い田舎駅ではそれも叶わない。
田万川は、構わず話を続けた。
「それでさ。まだ話の続きがあってね。ちょっとびっくりするかもしれないんだけど……」
ほら来た、と笹賀谷は心の中で叫んだ。気持ちがストレートに表情にならないよう集中する。
ずっと黙っているが、嵩間も明らかにソワソワしている。田万川は、笹賀谷がしっかり聞いていることを確認してからさらに続ける。
「実はね……嵩間君とフミ君が付き合いだしたの」
ほらやっぱり!と思ったところで、笹賀谷は田万川の台詞を反芻した。
嵩間君と……フミ君? ヒロと葵?
笹賀谷は、視線を嵩間の方に向けた。嵩間はビクッとする。
線は細いし、それほど背も高くはない。ちょっと色素が薄い感じは、学校の一部の女子から儚げと評され持て
「ヒロと葵?」
笹賀谷は苦し紛れに声を出した。呼び方を変えただけの単なる繰り返し。
「そう。嵩間広海と葵史人。驚くのも無理はないと思うけれど」
田万川の言葉を聞いて、笹賀谷は困惑と驚愕が表情に出てしまっていたことにハッとした。冷静さを取り戻すよう自分に指令を出す。
「ゴメン。考えたこともなかったから」
「まあ、そうだよね……」
笹賀谷の曖昧な笑みに、田万川が苦笑いで答える。それから、笹賀谷は根本的な疑問を遠慮がちにぶつけてみる。
「ところでさ、一つだけ聞きたいんだけど。どうして、田万川が……」
田万川は、ちょうど良いと言わんばかりに答える。その様子は、いつもの田万川に近い印象だった。
「私はね、二人のことを応援したいの。それで、浩君にも二人を応援して欲しいんだ。勝手なお願いだとは思うけれど」
そういう田万川の表情は、一分の隙もない完璧な笑顔だった。笹賀谷は、二人のことよりその笑顔に気をとられてしまう。
「分かったよ」
「ありがとう」
笹賀谷はようやく緊張から解放され、深く息を吸って吐いた。そのとき、嵩間が何かを話しだそうと口を開けた気がした。
しかし、狙いすましたようにスピーカーから鼓膜に突き刺さるブザー音が放出される。断続的な不協和音が響き渡る。
三人は何もできない。
程なくして、特急列車が先程とは逆方向に走り抜けていった。吹きすさぶ風に、花壇の紫の花たちは翻弄された。
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