第4章 暗闇の館、嵐の夜
暗闇の館、嵐の夜 -01-
ミグラテール交易団の幕営地を去ったクロノたち五人は、キルムリーから再び街道を進んでいった。とりあえずの目的地、ニヴィアミレージを目指し西へ。
街道は何の危険性もない完全初級コース。ほとんど無駄話もせずにサクサク進んでいった。
セントケージを出発してから、これほど順調に事が運ぶ日などなかったのではないか。表面的には、そう言えなくもない感じだった。
しかし、クロノは心のうちではこう思っていた。
(身体がだるい。頭が痛い。これはヤバい……単なる寝不足のせいじゃないな)
だからと言って、それを誰かに言う気にもなれず、無心になってただ黙々と歩いた。
クロノが一切リアクションをしないと、パーティーの会話は極端に減った。時々、エミルとヘイズが言葉を交わすが、多くの場合、進路の確認など本当に必要な話で、無駄に世間話を続けることはなかった。
とは言うものの、クロノとしてはそれが逆にありがたかった。無駄な労力を使わなければ、今晩の宿まではもつ気がした。
夕方、ナブーサラスに到着。
かなり立派な港湾施設が並ぶオヴリビ川河岸一帯を起点として、段丘状に徐々にせり上がっていく地形。岸から遠ざかり標高が高くなるに従い、建物の高級感が増している。生活レベルが標高に比例しているのだろう。
街道はナブーサラスの中層市街地を貫き、それに面して多くの商店が軒を連ねていた。キルムリーでは市場が賑わっていたが、それとはだいぶ趣が違う。より都会的な雰囲気であり、華やかさがあった。売っているものも、魚や野菜などの食料品だけでなく、日用品、嗜好品が豊富だった。
街の面的な広がりとしては、キルムリーと甲乙つけがたいところだが、総合的に見れば、ナブーサラスの方がより大きな街だった。入手可能なもののバリエーションは実に多彩だ。
街に入ると、女子三人を中心に、両側の商店に興味津々となる。実際、セントケージでは見ないようなものも多く、はしゃぐ気持ちはクロノにも理解できた。理解はできたが……。
(そろそろ言わねばならない……)
今にも駆けだして人混みに飛び込んでしまいそうな面々を呼びとめる。
「なあ、すまないんだけど、俺、ちょっと体調が悪いみたいでさ……さっさと宿に行きたいんだけど」
クロノは、自分の声が随分弱々しく思えた。おまけに顔色も悪いに違いない。無駄に心配をかけたくないとも思ったが、こういうのはしっかり伝えておかないといけない。
そんなクロノの思いをよそに、彼女たちの返答は以下の通り。
「クロノさん、何言ってるんですかー。単に眠いだけでしょ?」
「先輩、我々は遊びに来ているわけではありません。新たな街に来た以上、しっかりと視察する必要があります」
「美味しそうな匂い……」
エミル、ミスティー、シェルは、揃ってクロノの言葉を冗談と捉える。というか、始めから話を聞く気はないようで、意識がすでに別のところに向いている。
「いや待て、訂正する。ちょっとじゃなくて、結構体調悪いんだ。早く宿に……」
クロノが言い終わる前に、三人は消えていた。
「どんだけ集団行動が苦手なんだよ……」
すでに大声で突っ込む気にもなれず、右手を額に当てた。
「本当に調子悪いの?」
唯一その場に残っていたヘイズが言う。
「お前はやっぱ良いやつだな」
そういうクロノの顔色を確かめるヘイズ。
「宿屋街はここから少し行ったところだけど」
ヘイズが地図を広げながら、街道の先を指差す。歩いてすぐのところみたいだった。
「そうか。なら、俺は先に一人で行ってるよ」
「大丈夫?」
「お前は、三人を回収して来てくれ」
「分かったよ。窓に目印忘れないでね」
ヘイズが赤い布を渡す。別行動を取るとき、どこの宿に入ったか分かるように、窓に布をかけることにしているのだ。
クロノはヘイズと別れ、ノロノロと歩き出す。五分とかからず宿屋街に辿り着く。
お手頃価格の宿を見つけると、クロノは二部屋とって、あとからさらに四人来ることを伝えた。どこの街にもありそうなスタンダードでシンプルな部屋。道に面した窓を開け、持ち手のところに赤い布を括りつけた。
そこでふっと気が抜けたのか、いよいよ身体が重くなる。
(あー………ま、いいか)
クロノは、そのままベッドに倒れ込んでしまった。
*
というのが、一昨日の話である。
結局、クロノの体調がすぐに回復することはなく、ナブーサラスで連泊することになってしまった。キャニーに続き、またもや一日浪費。明確な到着期限が定められている旅というわけでもなかったが、これで当初思い描いていた日取りから二日遅れということになる。
そして、ナブーサラスを出発したのが本日早朝。遅れを取り戻さねばという切迫感もなく、一行は平穏な旅路に復帰した。
順調な旅路であれば、この先、ナブーサラスから首都ニヴィアミレージまで陸路で五日の距離らしい。キャニーからナブーサラスまでが本来なら三日。セントケージからキャニーまでの二日を含めて考えれば、現在、当面の目的地までの中間地点付近にいるということになる。
クロノはすっかり回復しており、足取りは軽かった。余裕のある状況なので、無駄話を挟みつつ距離を稼いでいく。
街道はそれまで同様、十分な道幅に滑らかで乾いた路面。実に歩きやすい。
しかし、キルムリーからナブーサラスまでの区間に比較すると、明らかに人の姿は少なかった。より首都に近づく方向なのに、少し意外だった。
視界の先では、徐々に盛り上がる地平線が、明確な山並みを描くようになってきていた。
細かい地理は把握していないが、この区間を生活道路として使う集落が付近に少ないのかもしれない。人里の気配は、背後に遠ざかっていっているように思えた。
広く見渡しても、街道から見える範囲に集落は認められない。もっとも、それは今に限ったことではなかった。街道歩きが始まってしばらくして気付いたが、定期的に現れる街場以外、少なくとも街道の周囲に集落は存在していないようだった。交通の便が良く、人の往来が盛んであるはずの街道沿いには、そもそもまともな建物すら登場しない。
街と街の間では、街道からの眺めはひたすら自然の風景。学園の教室の窓から遠くの山並みを眺めるのが好きなクロノとしては、それで全然構わないのだが、小腹が減っても店がなく、悪天候でも屋根がないのは、少しばかり
一方で、セントケージの中で過ごしてきたせいか、この広々とした風景は心にしみる気がした。ただひたすら、自然との一体感を噛みしめ、風に身を任せて過ごしたいと思った。
クロノは、涼しげな眼差しで阻むもののない景色を愛でた。このまま遠くを見ていたいと思った。これが気楽な一人旅だったら……と、思わなくもなかった。
しかし、当然のことながら、これは一人旅ではない。問題児たちと連れ立つ
そんなわけで、本日の難題である。牧歌的風景に心洗われているだけではいられないのである。現実は厳しいのである。
クロノはいきなり切り出した。
「一人一泊どんなに安くても一○○○ゴート。他にも食費等を考慮すれば、追加で一人一日ざっくり一五○○ゴート程度は最低でもかかる。そんでもって、次に金が下りるのは明後日の昼だ」
クロノたち一行の旅費は、学園から渡されている。しかし、全額をポンと渡されているのとは少し違う。いや、渡されてはいるのだが、使えるわけではないと言った方が正確か。とにかく、少々厄介な縛りがかけられているのだ。
支給されたのは、金庫だった。名は〈エンプティー・バンク〉。
解せないといった顔で呟いたクロノたちに、学園長は最低限の説明を与えた。
「君たちに渡すのは、この空の金庫だ」
砂時計、もしくは
学園長は、エンプティー・バンクとその小さな鍵を渡してくれた。対応する鍵穴は一つで、お金を取り出すためのものらしい。
軽い。クロノはそれを振ってみる。中に十分な旅費が入っている感触はない。
「空だからね」
学園長は、ニコニコと笑みを浮かべながら言う。
「渡すものは以上だ」
改めて、学園長はクロノたちの反応を眺める。なおもクエスチョンマークを浮かべる面々にようやく満足したのか、肝心な部分の話を始めてくれた。
「これは、現時点で本当に空っぽだ。なぞなぞの類ではなく、文字通りの意味で。一ゴートコインも入っていない。しかし、明日の昼を過ぎてから開けると、そこには二十万ゴートが……」
「二十万ゴート……じゅるっ」
通常、学生が手にすることはないような額を告げられ、妙なテンションになっているのが一名。しかし、学園長は構わず続ける。
「支給額は、一回につき二十万ゴート。学園に帰還するまでの期間、十日に一回のペースでだいたい昼頃に支給される。おそらく尽きることはないだろう」
クエスチョンマークはまだ消えない。
「もちろん、その鍵を使って中身を取り出すわけだが、その前に必ず、両手で両端を数秒間押さえること。おそらく誰がやっても問題ないと思うが、敢えて言うと、クロノ君がやるのが良いかもしれないな」
学園長からの説明は以上だった。クエスチョンマークはそのまま消えずに漂っていた。
そんでもって、エンプティー・バンクを初めて開けたのは、キャニーに到着後のことだった。そこまでは金を使う必要はなかったし、シェルのダウンとかでそれどころではなかったし。
宿舎の部屋で五人が黙りこくる。それから、おもむろにクロノが手を伸ばす。
「心の準備はいいか?」
返答を聞かずに手に取る。重量は相変わらず。軽く振ってみる。やはり、何か入っているようには思えない。
クロノの訝しげな顔を見て、他の四人はわずかに不安の色を見せる。
「とりあえず、指示通りに……」
クロノは、両手でしっかり挟みこんだ。掌を押し当てるようにして、両端に圧力を加える。
「数秒って言ってたけど、もういいのかな?」
そのときだった。
中で何かが弾ける振動。それはすぐに連続的になり、やがて止んだ。
振ってみる。
――ジャラ……。
「これは由緒正しきゴートコインの音!」
そう言うエミルの目が、一瞬、金の亡者のそれに見えたので少し心配になる。しかし、それは実際に金の音だったので、ほっと一安心だ。
そのとき、クロノは不穏な気配を感じた。
「よっ!」
緋色のポニーテールが至近距離をかすめる。黙って本能のまま強奪しようと飛び込んできたシェルを、クロノはヒョイっとかわす。というか、その場で腕を持ち上げただけだ。
「病み上がりなんだから、おとなしくしてろよ」
そのままクロノは、エンプティー・バンクをヘイズに投げて寄こした。ヘイズが両手でキャッチすると、スタンバイしていたエミルが鍵を差し込む。
複雑な内部機巧が連鎖的に動く感触の後、小さくも確かな解錠の音がした。
クロノがシェルを後ろから抱え込むように押さえつつ、ヘイズがテーブルの上に中身をぶちまけた。紙幣と硬貨が混ざっている。ミスティーが黙って数えると、ぴったり二十万ゴートだった。
「凄いなこりゃ……」
クロノが感心している横で、ヘイズがエンプティー・バンクを改めて観察する。
「勝手に閉まっちゃった」
一応振ってみる。もう中身は空っぽのようだった。
「謎だ。これで、また十日後に補充されるのか?」
正直、仕組みはさっぱり分からなかった。
しかし、十日に一回、二十万ゴート支給というのは、システムとしては非常に理にかなっている。全額自由に使える状態にして、早い段階で金が尽きてしまってはどうしようもない。
そんなふうに、にっちもさっちもいかなくなるのを回避するための配慮なんだろうが……。
さて、改めて繰り返そう。
一人一泊どんなに安くても一○○○ゴート。他にも食費等を考慮すれば、追加で一人一日ざっくり一五○○ゴート程度は最低でもかかる。そんでもって、次に金が下りるのは明後日の昼だ。
「では、俺たち五人がこの先二日生きるには、単純に計算して、あと何ゴート必要でしょう?」
クロノは試験の問題のように言って、シェルに答えを要求する。シェルは即座に答える。
「二万五○○○ゴート」
「その通りだ。ていうか、計算早いな。ところで、ヘイズ」
「は、はいっ」
他のことでも考えていたのか、不意に話を振られてビクッとするヘイズ。
「俺たちに残された金はいくらだ?」
「ぼ、僕の目がおかしくないなら……」
ヘイズは手帳を見る。
「残りは、五○○ゴート弱」
…………。
一同、沈黙。
「ヘイズ、もう一回頼む」
「僕らの所持金の残りは、五○○ゴート弱。正確には、四七八ゴートだね」
「ありがとう。ところでそちらの三人、何か言いたいことはないか?」
クロノは、エミル、シェル、ミスティーを睨みつける。
「およそ一九万九五○○ゴートを使ったことになりますね」
晴れやかな笑顔のエミル。
「人はこれを金欠と呼ぶ」
無表情のミスティー。
「困難なときほど盛り上がるのは必定」
どうでも良さそうなシェル。
三者三様の答えである。
「…………おい」
「なんだ?」
クロノの呼びかけにシェルが答える。実に偉そうである。
「ど……どうしたらこうなる?」
「金を使えばこうなる」
「…………」
こめかみのあたりをひくつかせるクロノ。押しつぶしたように不自然な深呼吸をしてから続ける。
「そ、そうだな、その通りよく分かってる。じゃあ、誰が使った?」
「使ったのは私たち。でも、原因はお前だ」
「なぜだ!!?」
両腕をオープンにして、でかいアクションで迫るクロノ。シェルは上半身を軽く後ろに反らせつつ、迫るクロノを見上げて言う。
「お前が寝込んだから……元気づけようと思って。日頃から迷惑かけてるし」
日頃とかいうほどの日数を共に過ごしているわけでもないのに、まったく違和感がない。そのくらいクロノは迷惑をかけられまくっていた。
思い返すとキリがないので、ここでは割愛するが、脳裏を駆け抜ける走馬灯に感情が揺さぶられる。クロノは少し感傷的な口調になって言った。
「シェ、シェル、お前……」
「わ、分かってくれたかクロノ……」
「って、分かるかアホ!!」
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