キルムリー・トライアル -14-
(おいおいマジかよ。今のはまともに入っただろ? いくらなんでもすぐに立てるはずは……)
キーリンは、夜風に流される土煙の狭間にクロノの姿を認めると、我が目を疑った。自分が動揺していることは分かる。しかし、それを奥歯で噛み潰すように笑って見せた。
「いいね! 結構楽しくなってきたぜ!!」
「それは良かったな。じゃあ、そろそろ負けてくれないか?」
「相当打たれ強いようだが、戦況は明らかだ。そろそろ誰を差し出すか考えた方が良いんじゃねえの?」
「悪いけど、俺の快適な旅のためには、一人も欠かすことはできないんだよ」
クロノは、睨んでいるようで笑っているような不思議な雰囲気を醸し出していた。
「だから、負けるのはお前だ」
クロノはすっと立つと、片腕をあげてさっさと向かって来るように促す。
「クロノ、相当アツくなってきたね……」
「確かに、ちょっとマジっぽい感じですね」
「セントケージを出てから、クロノさんが本気っぽくなってるのを見るのは二度目ですね」
「?」
「ほら、キャニーに向かう途中」
「ああ、シェルを背負っていったときか。確かにあのときは結構頑張ってたね。シェル、覚えてる?」
「さあ」
「とにかく、これはなかなか貴重な場面なので、しっかり記録しておきましょうかね」
キーリンは、先程よりも低い跳躍を見せた。一見、その前の対戦でシェルが見せた動きに近いようにも感じられる。しかし、実際には、地面から足が離れた状態でありながら、みるみる加速していくので、全く異質なものだった。
視覚として脳内で結ばれる像は、経験則に基づく人本来の動きを前提とし補完され成立している。限られた情報から少し先のことを自動的に予測し、判断材料に用いることとなる。結果として、事前に危機を察知し対応することが可能になるわけで、これらは生きていく上で必要不可欠なメカニズムだと言える。
しかし、キーリンの動きは、経験則と一線を画すものだった。そうすると、脳内での自動的な予測は、逆に現実との間のギャップを増幅させることに繋がる。感覚の齟齬は、一瞬の反応で結果が変わる場において、とても無視できる要素ではない。
だからこそ、余計に速く見えてしまう。客観的な意味での速度は分からない。しかし、現状でより重要な意味を持つのは、感覚的な速度。キーリンの身体は、地面に近い位置で、弾丸のようにまっすぐクロノに向かっていく。
クロノは横に大きく動き出す。すると、キーリンも地に足をつけることなくついていく。遠心力のせいか、小回りは利かないが、それでも向かう方向は完全にクロノに定まっていた。
クロノは横に逃れるのをやめて立ち止まった。そこで再び防御姿勢を取るのかと思われたが、クロノは単にその場で身を縮めた。
クロノが低い姿勢をとると、キーリンの進行方向も微調整される。そのままだとクロノの頭上を越えてしまいそうだったが、ルートは下向きに補正される。やはりクロノは逃れられないように見えた。
「ついて来れるもんならついて来いよ!」
クロノはそう言うと、その場で力の限り跳び上がった。魔法の補助があるわけではないので、それほどの高さではないが、低く迫るキーリンの位置よりは高い。
すると、キーリンは、跳び上がったクロノの真下をそのまま通過してしまう。クロノはその背中に渾身の蹴りをお見舞いする。
体勢を崩したキーリンは、勢いを殺すこともできず、地面に叩きつけられながら遠くに転がっていく。引かれた土煙のラインの向こう、ダメージを受けたキーリンが立ち上がる。
「やるじゃねえか……」
その表情には、少しばかりの焦りが見られる。
「本当に便利そうで羨ましい限りの魔法だが、だいたいどんなものにも弱点はあるもんだな」
「ヘイズ先輩、状況説明を」
「え、僕? いや、なんだろ? クロノは何かに気付いたみたいだけど」
ミスティーがヘイズに問う。しかし、ヘイズもうまく理解はできていなかった。
「キーリンは、上には加速できないんだよ」
代わりにデゼルトが答えた。
「物体は本来真下に落ちていく」
「重力がありますからね」
「そうだ。でも、やつは、その方向をかなり自由に調整できるんだ」
「なるほど。その方向をクロノに向けておけば、クロノに向かって落下していくような感じになるわけだね」
「その通り。ただし……」
「お前が加速できる方向は、最大で水平方向まで。上に向かっていくことはできない。つまり、お前は、その時点でいる場所から地に足をつけることなく上昇することはできない。だったら、上に逃れるのが正解だ」
「ご名答。ただ、それだけ分かってもどうもできないだろ? こっちだって、そこまで知られて同じ轍は踏まない。それともなんだ、逃げる姿だけさらし続ける気か?」
一方、いつもより感情の起伏が少ないように見えるクロノは、静かに言い返した。
「随分と足の状態を気にしてるじゃないか……」
クロノの言葉にキーリンはハッとする。無意識ではあったが、キーリンは両脚を交互に動かし、その調子を確かめていた。
「例えば、10メートル離れたところに加速しながら突っ込むっていうのは、結局、高さ10メートルの建物から飛び降りたような勢いがつくってことだろ? 加速の方向を変えてブレーキはかけられるかもしれないけど、それだって着地のたびにそれなりに身体に来るはず。使えば使うほど、自分自身にもダメージが蓄積されていくはずだ」
観衆たちは二人の会話に聞き入っていた。篝火の弾ける音が大きく聞こえる。
「お前のとっておきは、同時にお前の最大の弱点になる。乱発すれば自滅を招くわけで、まさに身に余る能力ってわけさ」
キーリンは、気持ちを保つために睨むことしかできない。確かに、両脚へのダメージは相当なものだった。クロノを倒すことに集中し過ぎていて、ダメージの計算ができていなかった。
「さらに言えば、何度も見せてくれた加速、水平方向に近いほど消耗するんだろ?」
「どうしてそう思った?」
「本来は真下に向かうはずの力を捻じ曲げてるんだから、そんなもんだろ。それに、代償のない魔法なんてものは成立しない。だから―――」
クロノははじめて自分から動き出した。そのまま、両脚の状態を気にするキーリンに向かって突進していく。
「魔法を使うお前は、魔法を使わない俺に勝てないんだ!!」
キーリンは身構えるが、もう高く跳び上がる力は残っていなかった。仮に跳び上がったとしても、魔法を使った加速に耐えられる状態ではない。しかし、キーリンは叫んだ。
「ふざけるな!! 箱庭のひよっ子に簡単に負けるわけがないだろうが!!」
キーリンも動き出した。クロノに向かって直線的な急加速。
ボロボロの二人は、互いに一撃を当てることだけを考え向かっていった。
観客たちは息を飲んだ。そのままぶつかり合えば、どちらも無事で済まないことは明らかだった。
バシンッ!!
衝撃で巻き上がった土煙の中に人影は三つあった。
一回り大きな真ん中の影の両側で、二人が崩れ落ちる。真ん中の影は、それを両腕で支えた。
「お前ら、なかなかやるじゃねえか」
そこにいたのはサマルだった。
客席側で手を叩く音が聞こえた。ミランだ。
「残念だけど、二回戦はここまで! こんなところで無駄な怪我するんじゃないよ、馬鹿者どもが!」
客席からはブーイングも聞こえた。
「せっかく盛り上がってたのに!」
「結果はどうするんだよ!」
ブーイングに聞く耳を持たないミランだが、勝敗結果は決めなくてはならない。
「二人とも余力はないからね、これは引き分けだろうよ。文句あるかい!?」
納得したようには見えないが、それでも客席はおとなしくなる。
二人に肩を貸してサマルがミランのところにやって来た。クロノが顔をあげる。
「いてて………追試は?」
「まあ、合格ってことにしておいてやろうじゃないか」
「ああ、腹減った……」
「水浴びて治療したら好きなだけ食べな」
「飯、遠いなあ」
クロノは
「キーリン」
「なんだよ」
ミランが呼びかけると、キーリンは顔をあげずに答えた。
「なかなかの挑発だったよ。お前にしては良い働きをしたね」
「ちょろいもんだ」
キーリンは顔をあげた。ミランはそれを見下ろして言う。
「ところでお前、正規の運賃で、ここからニヴィアミレージまでいくらだと思ってるんだい? 私の知らない間に随分な金持ちになったんだね」
「え、まあな……ははははは」
「小遣いの支給を停止するように伝えておこうか?」
「いや! 余計なことはしなくていいから!」
キーリンは本気で焦る。その横からクロノが口を挟む。
「二戦あわせて考えて、実質的に俺らの勝ちじゃないか? 船の手配宜しく」
「そんなわけあるか! どっちも引き分けだ」
「二戦連続引き分けって、随分締まりのないオチだな。三戦目で決着つけるべきじゃないか?」
クロノはミランのことを見た。
「それはもっともな意見だね」
ミランはヘイズたちがいる方に歩き出す。
「サマル、ついておいで」
サマルは二人を抱えたままついていった。ヘイズはクロノを受け取り、デゼルトはキーリンを受け取った。
「さてと……」
ミランは言った。
「二戦連続引き分けは締まりがないって文句が出たから、三戦目で決着つけようじゃないか」
みんなそろそろ疲れてきてあまり盛り上がらないが、ミランは気にせず続ける。
「三本勝負ってことでまとまりが良いだろ。ミスティー、出ておいで」
ミスティーは黙って出てきた。
「こっちはサマルだ」
ミスティーとサマルが向かい合う。圧倒的体格差だった。まったく話にならない。
「最終戦は、ジャンケンだ。ここまでの二戦が引き分けだから、これで勝った側が勝者だ」
ミランはサマルの肩をぽんと叩く。
「もちろん負けるんじゃないよ」
「エ……善処はするが………」
サマルは視線を下ろす。
ミスティーは両手を、グー、チョキ、パーの順に動かしていた。準備運動のつもりだろうか。しかし、その表情からは何も読み取れない。
「負けるつもりはありせん。ちなみに、私はパーを出します」
「なるほど、心理戦というわけか。なら、俺はチョキを出すぜ」
ミスティーはサマルの目をじっと見つめている。
(パーを出すと宣言したってことは、逆にパーは出さないってことか? でも、こういうときはさらに裏をかいて、宣言したやつをそのまま出すということもあり得るだろう……)
サマルはミスティーの思考を読みとろうと見つめ返すが、結局何も分からない。
(まったくぶれないな……。余計な読みあいはやめよう。確率的には、十分な時間を取ってからジャンケンする場合、チョキかパーを出す確率が高いと聞く。ならば、初手はチョキが正解)
ミランが二人の間に立つ。客席からの視界を遮らないように、反対側に回る。
「ジャーンケーン……」
客席からも掛け声が聞こえる。
「ポン!」
二人ともチョキだった。
(こいつ、平然と宣言と違うものを出してきたな……。しかし、こうなると次の手は法則に従いチョキに負けるパーが正解)
「あいこでしょっ!」
二人ともパーだった。
(チョキの次にパーか。これは、いわゆるグー・チョキ・パーの法則。次はグーが来る!)
「あいこでしょっ!」
二人ともパーだった。
そのあと、さらに二回連続パーであいこが続いた。掛け声は加速していく。
(四回連続パー。これは、次に掌が閉じる動きを見せれば、グーかチョキだから、そのときはグーを出せば良い)
さらに二回パーであいこが続き、ついにミスティーの手が動きを見せる。
(もらった!)
「―――しょっ!!」
サマルはグーを出した。そして、ミスティーはパーだった。
「あ………」
サマルは自分の手を見つめていた。
「三戦目の勝者はミスティー。よって、三本勝負の勝者はセントケージの五人に決定だ!」
エミルとヘイズが駆け寄って来た。
「よくやりました!」
「勝った!」
客席では、まさかの七連続アイコに動揺が広がる。
「こういうのは、サマルさんが滅法強いのに……」
「それにしても、あの子、あれだけアイコが続いても顔色一つ変えずに……」
ミランは、他の人に聞こえないようサマルに声をかけた。
「魔法は使わなかったのかい?」
「いや、使ったはずなんだが……。まあ、もとから百発百中にできるわけじゃないけど」
ミランは訳知り顔で微笑んだ。
「相性が悪かったんだろうよ」
ミスティーは、丸太に座っていたクロノのところに行った。
「勝ちました」
「おう、よくやったな」
そう言ってから、クロノは声をひそめた。
「魔法、使ったのか?」
「結構読みやすかったですね」
「なら一発で決めればいいのに」
「それだと盛り上がらないので」
「サービス精神旺盛なんだな……」
場は急激に和やかな雰囲気に切り替わっていった。互いの健闘をたたえ、胃を満たしながら会話の花を咲かせていく。
かくして、セントケージとミグラテールによる熱い熱い三連戦は、決着を見たのである。
*
水浴びを終え、軽い治療を受けたクロノとキーリンが戻って来ると、広場には新たな食べ物が持ち込まれた。
「やっと飯だ……長かった」
しかし、皿はクロノのもとに届く前にシェルが手をつけ始める。
「おい! お前、さんざん食ってただろ!!」
「もう消化した」
「早えよ!」
「シェルちゃん! 肉あげるから俺の膝の上においでー」
シェルは、キーリンが差し出した皿から肉だけ奪って距離をとった。
広場では、セントケージからの客人を緩やかに囲むような輪が広がっていた。五人はどこでも歓迎された。穏やかに盛り上がる宴会は、その後もしばらく続いた。
ミランは、その様子を少し離れた暗がりから眺めていた。その手には、酒瓶が紐で括りつけられていた。口をつけて傾ける。
「なかなか旨い酒だね」
*
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