第3話 ジャポンイスⅡー羽柴秀吉について
私は、日本人が嫌いだ。特に彼らの卑屈な笑みとその背後に隠された悪意の二面性を思い出すとき、どうしても私と彼らが同じ神が創りたもうた人間であることが納得できなくなる。そう、彼らはきっと人間ではない。人間の真似をする猿なのだと思いたい。
羽柴秀吉という人物に会った時私はこの思いを一層強くした。
それほど彼は外見的にも、内面的にも猿に近い人物であった。
私自身は織田信長という人物に対し何の影響力も残す事は出来なかったが、ルイス・フロイスが信長に非常に可愛がられたおかげでイエズス会と織田家の関係は良好であった。この縁を利用して私は次にこの国の最大の権力者ミカドに拝謁しようと試みた。その際に織田家の有力武将として京都奉行の任に当たっていた羽柴秀吉の知遇を得た。
初めて彼に会ったとき、私はこの世にこれほど醜い容貌の人間がいるのかと驚いた。
身長は十二、三歳の子供のように小さく、手足は枯れ木のように細く、窪んだ瞳と歯茎ばかりが目立つ浅黒く皺だらけの顔は、まさしく猿と呼ばれるにふさわしかった。
主家からどのような指示があったのかわからないが、京都を訪ねた我々に秀吉は非常に丁重だった。
ただ、彼の丁重さは、イエズス会に対するものではなく、その背後に存在するポルトガルやイスパニアという国家の力に対するものであることはすぐに理解できた。
というのも、日本人は一五四三年にポルトガル人によってもたらされた鉄砲を、翌年には早くも国産化に成功させ、国友や堺などで大量に生産されるようになると、当時の戦国大名の間で競うように取引されていたのであるが、肝心の火薬の材料となる硝石は南蛮船からの輸入に頼らざるを得なかった。その南蛮船の寄港地を差配するのがイエズス会の宣教師だったのである。
秀吉は我々に会うたびに南蛮船の寄港地を九州ではなく、堺にしてくれるよう依頼してきた。
同時に常に我々に対し高価な陶器、漆器や刀剣などの美術品を送ってきた。時には見目麗しい日本人の女性さえ世話しようとして我々を閉口させた。
私と、当時私の通訳を務めていた公家出身のキリシタン、マニュエルアキマサは、陰でいつも彼のことをポルトガル語で猿を意味するマカコと呼んでいた。
ある日私とアキマサは秀吉の茶室に呼ばれた。
多分それは織田信長の茶の湯御政道と呼ばれる政策により、秀吉が茶の湯を許可されている、つまり高位の武将であることを印象付けるための接待であったのだろうが、我々にとっては迷惑でしかなかった。
狭い空間に閉じ込められて、窮屈な姿勢のまま、不味くて濃い茶を飲まされ、さらに装飾に乏しい茶器や茶碗について品評せねばならないなど、何ゆえこれを戦功の報償として日本人が尊ぶのか理解に苦しむ。
それでもひと通りの作法どおりに茶が振舞われると、その日もやはり秀吉は我々に対し探りを入れてきた。ただその日は硝石ではなく、イスパニアの新大陸での政策についてだった。
「カブラル殿、そなたはポルトガル人宣教師とはいえ、イスパニア貴族の流れを汲み、若い頃には軍人でもあったと聞く。一体イスパニアという国はどうやって遥か遠くの新大陸を手中に収めたのか教えていただきたい」
私は彼の真意を図りかねたが、隠すほどの事でもないと思い、コルテスがアステカ帝国を、ピサロがインカ帝国を滅ぼし、そしてキリスト教を通して原住民を教化していった経緯を若干の誇らしさを感じながら話した。
秀吉はひどく感心したようにアキマサが通訳する私の話にいちいち頷いていた。
「して、イスパニアは新大陸から何を得たのでございましょうや」
その問いに、イスパニア貴族の末裔として気持ちが高ぶっていた私は言わなくともよいことまで喋ってしまったのだった。
「大量の金と銀でございます。特にノビスパンの南にあるポトシという名の鉱山から算出される莫大な銀によってイスパニアはヨーロッパ一の大国となりました」
「我が国にもいくつかの鉱山はございますが、ポトシという銀山はそれほどの規模でございますか」
「私があるポルトガルの鉱山技師から聞いた話では、石見の国の銀山などは多分ポトシに匹敵するほどの埋蔵量があるらしいとの事でございます」
それを聞いた秀吉は狡猾そうな笑みを浮かべて言った。
「つまりは、この国もいずれイスパニアと同等の国力を持つことが可能であると言うことですな。我が主君、織田信長様はこの日の本を統一した暁には、ポルトガルやイスパニアのように海外にまでその版図を広げようと考えておりまする。ただ今のカブラル殿のお話、大変勉強になりました」
そうなのだ。たった一年で我が国の銃を国産化するほど真似の上手な日本人に、私はつまらぬ知恵を授けてしまったかもしれない。
彼らには創造性などかけらもない。しかしたった一つの成功モデルでも存在すれば、瞬く間に何の疑問も持つことなくそれを模倣していく能力には瞠目するしかない。
自分の失敗に思わず顔をそむけると、そこには見覚えのある土色の壷が飾ってあった。
「その壷はルソンの壷といって、その何とも言えぬ風合いと寂び具合により茶人の間で珍重されているものでございます」
自慢げな秀吉の言葉を聞きながら私は絶望的な気持ちになった。
なぜならその壷は、東南アジアでは雑器として扱われ、日本に来る途中に立ち寄ったルソンでは、庶民が痰や小便を溜めるのに使っていたものとまったく同じ壷だったのだ。
かくも日本人は本質を理解する能力に欠けた民族なのだ。汚らしい便壷でさえ、誰かに価値あるものだと教えられれば、なんの躊躇いも無くそれを信じてしまうのだ。もし彼らがこの先大量の銃と莫大な財力を持ってイスパニアやポルトガルの方法を真似て海外進出を図ったとしたら。
そう考えただけで暗澹たる気持ちになって私は茶室を出た。
秀吉は機嫌のよい顔で、ミカドとの面会のために尽力することを約束し、我々を見送ってくれた。
通りの角を曲がる前に我々は再度別れの挨拶をするために振り返った。
秀吉はまだ門の前に立ってニコニコと笑いながら右手を振っていた。
よく見るとその右手には指が六本あった。
「マカコ」
私は笑顔で日本式のお辞儀をしながら心の中で毒づいたのだった。
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