第20話 女教皇

 ぼくは、金村医師の話のなかで、どうしても思い出せなかったことを―――今更ながら―――思い出していた。

 むかし、何をするのも一緒だった程、特別仲の良かった子は、ぼくのたった一人の肉親であり、妹だった。

 虹村碧。

 ぼくの榊姓は夕お姉ちゃんを殺した後に拾われた時に改姓したもので、ぼくの旧姓は虹村だ。

 物心付く頃には、両親はいなかった。

 当時の記憶から察するとぼくたちの父親は相当なロクデナシだったようで、ぼくたちを捨てて他の女と遠くへ逃げたようだった。

 その後は、母親が女手一つでぼくたちを育てようと必死になって働いたが、それが却ってよくなかったようだった。

 過労で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

 ぼく達の母親は親戚がいなかったし、父親のほうも、当然ぼく達を引き取ることはしなかった。

 ぼく達は孤児院に行くことになった。

 そこからは、地獄だった。

 孤児院の洗礼をぼく達兄妹はたっぷりと受けることになった。

 要するに苛めだ。

 最初のうちはぼくに集中していたので、別によかった。

 ぼくが我慢すればいいだけの話だったから。

 だが、連中はあろうことか、妹に目をつけて攻撃の対象にした。

 ぼくには、それが本当に堪えた。

 妹が衣服を全部剥ぎ取られ、真冬の白昼に外へ放り出されたときは、ガチでブチギレた。

 だから、それ相応の報いを与えることにした。

 奴らの服を全部持ち出して灯油をかけて燃やした。

 気持ちが良いほどに良く燃えてくれた。

 それから、ぼく達はその孤児院を放り出された。

 手に負えないということらしかったが、ぼくはそれ相応の報いを与えてやっただけに過ぎない、むしろ、先に手を出したのは向こうだという主張は受け入れてもらえなかった。

 ぼくが、やりすぎてしまったらしい。

 女の子を素っ裸で外に放り出す事のどこがやりすぎじゃないのか教えて欲しかったが、誰も答えてはくれなかった。

 そんなことがあったので、妹はぼくにべったりひっついて離れなくなってしまったし、ぼくも妹が心配でしょうがなく、目に付くところにいないと落ち着かなくなってしまった。

 その頃からだっただろうか。

 妹がぼくのことを、そうちゃん、と呼ぶようになったのは。

 次に引き取られた孤児院でぼく達は二人きりの部屋を与えられることになった。

 いま考えるとそこは孤児院ではなく、研究施設だったのだと理解できる。

 そこに入るときに健康検査という名目でいろいろなことをされたのは、要するに奴らの玩具にされていた、ということなのだろう。

 でもまあ、そこでの生活はぼく達兄妹にとってはとても快適で、そして、幸せだった。

 本当に当時はあの生活を幸せだと感じることがぼくにはできていた。

 でも今考えれば、あれは幸福などではない、とはっきり断言できる。

 あんなものは仮初だ。

 少なくとも、いまのぼくには、あの生活すら幸せだと認識することができなくなってしまっている。

 ぼくが望むのは―――


「そうちゃん、本当に逢いたかったよぉ!」


 そう言って、妹はぼくに駆け寄ると抱きついてきた。

 ぼくに瓜二つな顔に黒いセミロングの髪、身長はぼくと同じぐらい。白いワンピースを着ていて、身体つきがしっかり女の子らしくなっている。胸の膨らみが顕著にそれを証明していた。

「僕はそうちゃんがいなくなってから本当に辛かったんだよ!」

 そう言ってさらにぼくを強く抱きしめる妹。

 昔は一人称が「わたし」だったのに、何故か「僕」になってしまっている。

 ぼくと引き離された影響なのだろうか?

 ぼくはそこで、ようやく部屋を見回す。

 そこには、無数のがいた。

 部屋に張られた無数のぼくの写真。昔の写真もあれば、最近と思われるぼくの―――暢気に病院のベットで眠っている―――写真もある。

 姉さんが昔、ぼくが攫われかけたことがある、と言っていたが、恐らくそのときに撮影したのだろう、と勝手に推測する。

 ベットには、ぼくを模ったぬいぐるみが埋め尽くしている。

 それらすべてのものが、彼女のぼくに対する執着心をこれ以上ない程に証明していた。

 そうか、頑張ったんだな、碧。

 妹の頭を撫でてやる。

 妹はそれに反応したように、泣き顔で、

「そうちゃんだ、そうちゃんだよぉ! やっと逢えたよぉ! そうちゃん!」

 そう言うと頬ずりを始めた。

 まるで、犬がこれは自分のものだと匂いを付けて証明するかのように。

 ぼくは、妹を先にあちらに送るべく獲物を取り出す。

 あとは、こいつでこの子の首をかき切れば、それで、すべてが終わる。

 なんてことはない。

 たった、それだけのこと。

 なのに―――

「どうして―――」

 どうして、ぼくの手は、いうことをきいてくれないんだ?


「ふふ、だから言っただろう? きみにその子は殺せないって」


 気づけば、シアンがベットに座ってぼくにそう話しかけてくる。

 妹がママ! と言い、ぼくを抱きしめたまま、首だけで彼女の方を向いた。

 ママ?

 ママだって?

 彼女の顔を改めて見ると、確かに記憶の中の母親の面影があるような気がするが………。

 ぼくの胡乱な表情を読み取った彼女は、

「そうだよ。もっと早くに言いたかったんだけどね。まあ、いいだろう。わたしの本名は虹村皐月にじむらさつき。君達のお母さんだよ。ちなみにシアンっていうのは、奴らのわたしに対するコードネームみたいなものさ」

 優しい目をぼくに向けてそう言った。

 え? 本気で言っているのか?

 だって、ぼく達の母親はもうとっくに―――

「ぼく達の母さんはもうとっくに死んでいるはずなのに、どうしてそんなことをいうんだ!」

 気づけば、ぼくは大声でベットに座る彼女にそう怒鳴りつけていた。

「じゃあ、逆に訊くが藍原夕は死んでいるはずだろう? 何故、彼女は存在してる?」

 そこで、はっとなった。

 もしかして、オートマチック能力というのは―――

「気づいたかい? その通りだよ。オートマチック能力っていうのは、人間の魂を取り込むことによって初めて発動するんだ。そんなわけで、わたしはいま、ここに存在しているし、藍原夕だって存在し続けているんだよ」

 そうか。

 ぼくは、あの時、殺した夕お姉ちゃんの魂を用いて、姉さんを作り上げたのか。

 じゃあ、彼は―――

 死神くんは、一体誰の魂を用いたのだろうか?

 わからない。

 でも、そんなこと、どうだっていい。

 そんなことよりも―――

 この子を―――

「駄目だ―――」

 ぼくは、とうとう手に持ったナイフをその場に落としてしまった。

 どうしたっていうんだ。

 ぼくは、夕お姉ちゃんと一緒に暮らしていた頃には、何人も手に掛けて来たというのに。

 ミカエルさんの時だって躊躇なくできたっていうのに。

 母親だと名乗る彼女にも平然とナイフを投擲できたっていうのに。

「どうして、この子だけはできないんだ―――」

「そりゃあ、そうさ。わたしの子供達は絶対に殺しあえないようになっているんだよ。オートマチック能力者は互いに互いを殺すことはできない。金村博士―――ていうか、きみ達のお父さんだけど―――が持っている本にしっかりそう明記されていたからね。根拠としては薄いと思うかもしれないけれど、あれに書いてあることは、世界の摂理だ。絶対の理なんだ。本の所持者ですら書き換えることのできない絶対の理。

 だから、きみは、碧を、殺すことが、絶対に、できないんだ」

 なんだよ、それは。

 意味が分からない。

 とんでも理論もいいところだ。

 それに、さらっと驚愕のカミングアウトをしなかったか?

 金村医師がぼく達の父親?

「父さんが他に女を作って出て行ったっていうのは―――」

「そんなわけないだろう? 彼はいまでもわたし一筋だよ。わたしが死んだのも過労で倒れてということになっているだろうけれど、実際には、仕事中に死んだんだよ、わたしは」

 あぁ、どうしようもなく、壊れている。

 多分、この場にいる連中はどうしようもなく壊れている。

 母さんも父さんも妹も、そして、このぼくも。

 みんなみんな、壊れている。

 ごめん、姉さん。

 ぼくは、妹をどうしても殺せないみたいだ。

 でも、それ以外にも、姉さんを救う方法はあると思うんだ。

 ぼくは妹をそっと引き離す。

「そうちゃん?」

 妹が間抜けな声を出しているが、無視する。

 ぼくは、そのたった一つの冴えたやり方を実行するべくナイフを再び拾った。

 強くナイフを握り締める。

 それをぼくは勢いよく自らの首元に突き刺した。

「駄目! そうちゃん!」

「な―――」

 突き刺したはずのナイフはどこかに消滅していた。

 なんだよ、なんなんだよ、これは。

「バカな息子だね。でもいいんだよ。これで、わかったはずだ。八方塞はっぽうふさがりだって言うことがね」

 母さんはそう言って音もなくぼくに近づき優しくぼくたち兄妹を抱きしめた。

「そうちゃん! なんで、あんなことしたの! いやだよぉ! 僕とそうちゃんはずっと一緒じゃないと駄目なんだよぉ!」

 妹はそう言って母さんの腕の中で再びぼくに強く抱きついた。

 あぁ、本当に八方塞みたいだ。

 もう、ぼくにはどうすることも―――


「おい、なんのために与えた加護なんだよ。しっかりしろよ、兄弟」


 諦めかけたぼくにそう声を掛けたのは死神くんだった。

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