第11話 愚者

 それは、不思議な夢だった。

 どこかの映画館で巨大なスクリーンをぼくは椅子に座って観ている。

 映し出されているのは、ぼく自身の過去にあった出来事。

 その時点で、ぼくはこれが夢の中なのだと自覚する。

 今、映し出されているのは、ぼくの一番古い記憶。

 ぼくはどこかの孤児院のような施設で特別仲の良かった子と積み木遊びをしていた。

 その子はぼくのことをそうちゃん、と呼んだ。

 ………ぼくは、その子と何かとても大切な約束をしていたはずなのだが、スクリーンを観ているぼくは結局は思い出すことが出来なかった。それもそうだ。だって、ぼくはその子の名前すら思い出すことが出来ないのだから。

 ぼくとその子は何をするにしても一緒だった。

 ぼくはその子のことをとても大切にしていたようだった。

 いまのぼくでは、姉さん以外にはまず抱くことがなくなってしまった感情をまだこの頃のぼくはしっかりと持ち合わせているようだった。

 でも、別れのときはやってくる。

 次に映し出されたのは、大人の女性に手を引かれどこかに連れていかれるぼくの姿だった。

 どうやら、ぼくは無事里親に引き取られたらしい。

 あの子と一緒じゃなかったのは残念だけど、そればかりはしょうがなかった。

 それから数年間、ぼくは彼女と過ごすことになる。

 黒髪のセミロングに長身のモデルみたいな体型―――出るところは出て、引っ込むところはしっかりと引っ込んでいた―――の綺麗な女性だった。

 彼女は、藍原夕あいはらゆう と名乗った。 

 わたしのことは夕お姉ちゃん、と呼びなさい、とニッコリ笑って言った。

 彼女は殺し屋だった。

 知りたくもない拳銃やライフルについての知識を学んだのも、この頃だった。

 彼女は210万円で仕事を引き受け、一週間で仕事を達成させた。

 彼女に言わせると命の価値は、すべて等しく210万円なのだそうだ。

 根拠は、人間が死んだときに抜ける魂の重さらしい。

 21万円ではなく、210万円。

 そこのところは突っ込んではならないらしい。

 彼女に言わせると一週間で仕事を達成できない奴は三流らしい。

 今日び幽霊だって一週間で人を殺すのに、それ以上の期間を設けるなんてありえない、との事。

 そんなぼくは、働かざる者、食うべからず、という彼女のポリシーのもとに仕事を手伝わされていた。

 彼女の手によってばらばらに分解された人体パーツを大きくて丈夫なミキサーでどろどろにして、川や海に捨ててくるお仕事だった。

「ここまで細かくしちゃえば、あとはお魚さんたちが食べてくれるわ。食物連鎖よ。わかる? しょくもつれんさ」

 彼女はそう言って笑うのだった。

 まだ、七歳か八歳のぼくにしてみれば結構な重労働だったような気がする。

 初めのうちは怯えて泣き喚いていたぼくも仕事をこなすうちに淡々と手際よく処分ができるようになっていった。

 そんなぼくを彼女はよくできました、と褒めてくれた。

 学校には行っていなかった。

 彼女に言わせれば、あんなところに行かなくても大人になれるのよ、とのこと。

 その代わり、一般教養に関しては彼女が教えてくれた。

 十歳になると人を殺す技術も教わった。

 まずは、身体を鍛えることから始まったが、

「あなたはどんなに頑張ってもムキムキなマッチョさんにはなれないわね」

 と言われ、女性型の殺人術を教わることになった。

 男性型は華々しく敵と戦い、または追い詰め仕留める技術。

 女性型は敵の油断を誘い嫌らしく敵を仕留める技術。

 というのは彼女独自の価値観だった。まったく、ジェンダー団体が聞いたら瞬く間にヒステリーを起こしそうな言い分だった。

 使えるものはなんでも使いなさい、というのが彼女の教えだった。

「あなたの可愛らしい容姿は勿論、銃、たまには毒なんてのもいいわね。あと、超能力」

「超能力?」

「そう、超能力。あなた知らないの? 超能力者は本当に存在するのよ。それは兎も角、自分の持っているものすべてを総動員して相手を殺しなさい」

 そんなわけで、ぼくは彼女の用いる様々な知識を叩きこまれたのだった。

 ………そういえば、自分の容姿があまり好きではなくなったのも、この頃からだったような気がする。

 それから、三年たったある日のことだった。

 彼女が倒れた。

 病気だった。

 癌。

 肺癌。それも、ステージ4。

 全身に転移していて、最早、手術による摘出は不可能だったらしい。

 抗癌剤治療しか手立てがなかったようだった。

 ごく僅かだが、助かるケースもあるにはある、ということだった。

 だが、彼女は病院からありったけのモルヒネを貰いすぐに退院してきた。

 ぼくは助かる見込みがあるなら治療を受けて欲しかった。だけど、彼女はそれを望まなかった。

 家の寝室でぼくの看病を受けながら彼女はベットの上で上半身だけ起き上がっていた。

 彼女は言う。

「人はね、いつか必ず死ぬのよ。それが早いか遅いかの違いでしかない。わたしはね、こんな仕事をしている以上はみっともなく生にしがみつきたくないの。潔く死んで逝きたい。

 ………ああ、なるべくなら仕事中に死にたかったな。だけど、しょうがないか」

 蒼太。わたしを殺しなさい、と彼女はぼくにそう命じたのだった。

「病気に殺されるくらいなら、いっそ教え子に殺されたほうがいいに決まってるわ。だから蒼太、わたしをあなたの手でしっかりと殺しなさい」

 それが、師匠孝行というものよ、とにっこり笑って言うのだった。

「………いやだ。ぼくは夕お姉ちゃんを殺したく―――」

「わたしはあなたをそんなに軟な子に育てた覚えはないのだけれど。蒼太」

 そう拒否するぼくに彼女は拳銃―――コルトM1911―――を向けて言うのだった。

 圧倒的な殺気を浴びせられたぼくは条件反射的に彼女の手からコルトを弾き飛ばすと常に携帯しているナイフで彼女の胸を一突きした。

 静寂がその場を支配する。

 世界が赤色に染まっていく。

 痙攣しながら彼女は堪らずベットに崩れるように倒れた。

 白いスーツが赤く染まる。

 大変よくできました、と彼女はいつかのようにぼくを褒めた。

「―――夕お姉ちゃん!」

 正直、このときのぼくは酷く動揺していた。

 いつもはこの程度の動作は―――いくら彼女が病気によって弱っているとはいえ―――鼻歌を歌いながら対処してみせるのに………。

 いや、対処する必要がないのだ。何故なら―――

「やっぱり、殺して、くれた、わね。そ、うた」

 そう言うと大量に吐血する彼女。

「それで、こそ、わたしの、教え、子よ。そう、た」

 今すぐにでも消えてしまいそうな命の灯をその瞬間だけ燃え上がらせるように彼女はぼくを引き寄せる。

 ぼくは一切の抵抗ができなかった。

 重なる唇と唇。

 ファーストキスは鉄の味がした。

 彼女は微笑みを湛えたまま旅立った。

 その場に響き渡る慟哭。

 うるさいな、誰だよ、こんなにやかましく泣いている奴は。夕お姉ちゃんが眠れないじゃあないか。

 あれ? やかましいのは、ぼくなのか?

 たぶん、ぼくはこのときから壊れてしまったのだろう、と思う。

 その後のことはあまりよく覚えていない。

 彼女は公安の上層部とコネクションを持っていて、あらかじめこうなるかもしれない、と濁していたらしい。この事件は完璧にもみ消され、ぼくは―――彼らの息のかかった―――別の家庭に引き取られることになった。

「なかなかに波乱万丈な人生を送ってるじゃないか。兄弟」

 スクリーンを観ていたぼくは隣から声がするので、視線を向ける。

 そこには、ポップコーンを喰いながらスクリーンを観ている死神くんの姿があった。

「人のプライベートを覗き見とは、随分といい趣味をしているんだね、きみは」

「別におれだって好きでここにいるわけじゃない。不可抗力だよ」

 おれは悪くない、といつかぼくが姉さんに言ったようにおどけて見せる死神くん。

「それより、ゲストを放っておいていいのか?」

 ゲスト? と首を傾げるぼくに死神くんは指をさして答える。

 彼が示した方に目を向けると―――

「久しぶりね、蒼太。元気だった?」

 なんてことだろう。そこには、ぼくがこの手で殺めてしまった親愛なる師匠がいた。

 正直、殺しの技術の教えは余計だったけれど、それでも本当の意味での育ての親はこの女性だけだ。

「夕お姉ちゃん―――」

 久しぶり、と言おうとしたぼくの唇を彼女は人差し指で優しく遮った。

「ここは映画館よ。静かになさい。それより、あなたの物語の続きが始まるわよ、蒼太」

 ぼくは一つ頷いてスクリーンに視線を戻す。

 次に映し出されていたのは、鬱鬱とした生活を送るぼくの姿だった。

 確か、超高性能ソーラー発電パネルが開発されたのもこの頃だった。なんでもその設備があれば、ほとんどの施設の電気は賄えるらしく、病院、学校、ホテル、裕福な家庭層はすでに取り付けている状態だった(当然、設置するには莫大な費用が掛かるため一般家庭にはまだ浸透してはいなかったが)。

 この頃のぼくは酷い自責の念に囚われていて、実際かなり荒れていた。

 なぜ殺した? なにか助ける方法があったんじゃないのか? なぜ殺した? いくらでも対処の仕様はあっただろう? なぜ殺した? そもそも自分 おまえが彼女に殺されるべきだったんじゃないのか?

 そんな様子を見かねた新しい両親は、揉み消した事件のトラウマを治療するために病院を頼るわけにもいかず自分たちで見様見真似のカウンセリングをぼくに施した。あれは事故だったんだよ、それに君は殺されかけたんだろう? ならば、正当防衛じゃないか。君が責任を負う問題じゃないよ。すべては運命だったんだ。それよりも、君が生きていてくれてよかった、などと宣ったが、彼らの言葉は一切ぼくには響かなかった。そればかりか彼らの言葉はぼくを酷く痛めつけ傷つけた。

 ………その頃からだろうか。運命という言葉が酷く嫌いになったのは。

 だから、ぼくは夕お姉ちゃんと同じ場所に逝こうと何度も自殺を試みたが、そのすべてが失敗に終わった。

 その場にことごとく姉さん―――当時は朱音さんって呼んでいたっけ―――が姿を現したからだった。

 あるとき姉さんはぼくを捕まえ言った。

「罪に対する罰をあなたは求めているのでしょう? わたしの弟君」

 それに対し、ぼくはぶっきらぼうに、

「別にぼくはあなたの弟になった覚えはないですよ、朱音さん。………彼らから話を訊いたのですか?」

 そう言って姉さんを睨みつけた。

 いまでは絶対に姉さんに対して取ることない態度だった。

 別に気にもしていないような感じで微笑み、姉さんは言う。

「わざわざ訊いたりしないわよ、そんなこと。ただ、聞こえてしまったのよ。………ねえ、あなたは自分の犯してしまった罪を正当に裁いて貰えなくて、それが酷く辛いんでしょう?」

「………あなたに何がわかるんですか」

 すこし怒気を含んだ声音でぼくはそう言った。

「あなたね、それ最高にかっこ悪い奴のセリフよ。かっこ悪すぎて目も当てられないわ。別にやめろとはいわないけれど。………ねえ、なんならわたしがあなたに裁き 救いをあげましょうか?」

 姉さんは微笑んでいる。

 ぼくは間抜けな口調ですくい? と姉さんの言葉をオウム返ししていた。

「そう、わたしがあなたを裁いてあげる。とりあえず、あなたは死のうとするのをやめなさい。そのまま生きて苦しんで、苦しんで、苦しんだ挙句にさらにまた苦しんで死になさい。あなたのやり方では償いにすらなりはしないわ。温過ぎるのよ。一瞬で終わる罰なんてそんなの駄目よ。あなたはその壊れてしまった心を抱えたまま生き続けるの。いつの日か事故で死ぬか、病気で死ぬか、或いは誰かに殺されるかの瞬間を待ちながらね」

 それが、ぼくの罰なのか。

 ぼくの罪に対する罰。

 姉さんはほら見て、と自らの手首を差し出した。

 そこには、大量の線が入っていた。自らの命を絶とうと試みた傷が線になっているのだ。

 綺麗だ、とぼくは思った。

 ぼくはその傷が無性に愛しくて仕方がなかった。

 それは、ある意味では何よりも彼女の歴史を雄弁に物語ってくれた。

「わたしもあなたに付き合ってあげる。わたしも安易な救いを求めるのをやめるわ。だって折角可愛い弟君ができたんですもの。なら、お姉さんがずっとあなたに付き添ってあげるわ」

 あなたの罪をわたしも背負ってあげる、と彼女は言って優しく微笑んだ。

 その瞬間、ぼくは本当の意味で救われた。

 そして、ぼくは決めた。

 ぼくを裁いて 救ってくれた彼女のためならなんだってしようと、この先のぼくの人生をすべて姉さんに捧げようとそう決心した。

 スクリーンを観ていたぼくは夕お姉ちゃんに朱音姉さんのことを紹介しようと彼女の方を向いた。

 ほら、彼女がどうしようもないぼくを裁いて救って くれた女性ひと だよ、と。

 だが、そこに夕お姉ちゃんの姿はなく代わりに姉さんがあの時の優しい微笑みを湛えて座っていた。

 そして、ぼくの意識はゆっくりと覚醒していった。

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