第7話 正義

 あの騒動から早いもので一か月が経過した。

 その間にぼくを取り巻く様々な状況が急激に動き出した。

 住処を替え、別動隊と合流し、そして、これからぼくが為すべきことを訊くことになる。

 でも、まずは香月と大迫さんの話からすることにしよう。

 ふたりとも、ばっちり生存していた。

 しかも無傷で。

 大迫さんはともかく香月はAKの弾が掠っていたはずだったが、

「あんなのすぐに治っちゃうんだよね~」

 とか言っていた。

 体の性能が出鱈目だった。

 それは置いておいて、彼らと対峙した連中は悲惨の一言に尽きた。

 香月と戦っていた黒人さんは、体中がいくつかのパーツに分かれて吹き飛んでいたし、大迫さんと戦っていた火の鳥の中の人―――例の能力によって作り出した火の鳥を纏っていたらしい―――は最早、影も形も残らない程に吹き飛ばされていた。

 つまり、あのときぼくたちを襲った爆風は彼らの容赦のない攻撃が生み出した余波だったそうだ。

 とんでもないフレンドリーファイアだった。

 それに二人とも口を揃えて、

『いやあ、彼がいるからなんとかするだろ、と思ってついやっちゃった』

 とか言っていた。

 ちなみに『彼』とは死神くんのことである。

 どんだけ信頼されてるんだよ、あいつ。


 次に死神くんの話。

 彼に名前を訊いてみた。

 いつまでも死神くんでは哀れなような気がしたからだ。

 それに彼は、

「お前のすきなように呼べよ、兄弟」

 とか抜かしたので、彼の名前は死神くんに決定した。

 それを言ったときの奴は渋面を作っていたが、自業自得だ。

 彼は、自分の名前は疎か自分の素性すら語ろうとはしなかった。

 生前はなにか後ろめたいことでもしていたのだろうか?

 いまとなっては、そんなこと誰も気にしないというのに。

 そういう問題ではないのかもしれないけれど。

 それは兎も角、彼は正体不明の死神くんであり続けたのだった。


 そして、姉さん。

 彼女はどういうわけか生前の―――鴉濡れ羽の背中まで届くロングヘアに知性を秘めた瞳に細い眉、鼻はすっとしていて、唇はふっくらしていた―――姿のままだった。

 ある一点を除いては。

 背中に一対の天使のような羽が生えていた。

 やはり、それが邪魔なのだろう。現在、姉さんは青色のドレスを身に纏っていた。

 それが、妙に神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 生前と変わらない朗らかな笑みを湛えて。

 どうやら、姉さんが大迫さんや香月、そして、死神くんの『リーダー』らしかった。

 今後は彼女の指示のもと行動することになる。

 だが、そのまえに―――

「姉さん、ぼくはあの事故で死んでしまった―――と思っていた姉さんが生きていてすごくうれしい。

 だけど、なんでこんなことになってしまってるのか説明してほしいんだけど」

 そうだ。大迫さんと香月が散々渋っていたいろいろなことに対する説明を姉さんから訊かなければならないのだ。

 前回拠点にしていた場所から百キロほど離れた―――移動は車を使用した。まだ設備の生きているガソリンスタンドで香月が整備をし、燃料を満タンにして、赤い金属缶を二つ拝借して燃料を40ℓもパクっていた。ちなみに車種はクラウンのアリストだった―――ホテルのロビーにてぼくは姉さんにそう切り出した。

 その場には大迫さん以外の全員が―――合流した連中も一緒だった。ちなみに二人。一人は軽自動車程の大きさの狼さんだった。銀色の綺麗な毛並みをしていた。一人は人間サイズの巨大な蠅さんだった。

 ………なんというか、グレゴール・ザムザがだいぶマシなように思えてきた。

 まあ、それはいいとして、狼さんは、リーシャ・ブラウン、蠅さんはシルバ・クルクスと名乗った。

 リーシャさんはかなり無口だったが、シルバさんは社交的な性格なのかよく喋った―――揃っていた。

 実を言うと、その場にはもう一人新顔が存在していた。

 アイリ・ブラック。

 現在は、別の姿になってしまっているが。


 その儀式はこの拠点についてからすぐに始まった。


 姉さんに能力を封じられたアイリ・ブラックは酷く脅えていた。

 年相応の女の子のように―――というか女の子だが―――がたがたと震えていた。

 それもそうだろう。何せ、彼女はすべての衣服を剥がされた、それこそ、生まれた時の状態で両手両足を拘束されていたのだから。

 おかげでまだ発展途上で貧相な体を晒されていた。

 かなり犯罪的だった。

 ていうか、犯罪だろ? これ。

「あ、あたしをどうするつもりなの?」

 可哀そうに声まで震えていた。

 アイリ・ブラックのステレオタイプな問いかけに姉さんは、にこにこと微笑んで答えた。

「貴女には、わたしたちの仲間になって貰いたいのよ。だって凄く便利な能力を持ってるでしょう? 是非とも仲良くなりたいわ」

「ふざけないでよ! 誰があなたたちのような化け物集団に手を貸すものですか! ………あなたたちのせいでどれだけの人が死んだかわかってるの? あたしのパパやママだって―――」

「それじゃあ、仕方がないわね。まあ、最初からこうするつもりだったけれど」

 姉さんは酷く冷たい声音でアイリ・ブラックのヒステリーを遮ると朗々と告げた。

「執行者代位権者権限にて命ず。世界の守護者よ、今こそここに顕現し、害なるものを打ち滅ぼせ。そして、願わくはその身に魂が宿ることを祈る」

 祝詞だ、とぼくは思った。

 聖なるものに祈り奇跡を願う―――或いは、邪なるものに生贄を捧げ破滅を願う祝詞だ、と。

 その祝詞はいずれかのものに届いたのか、アイリ・ブラックの眼前の何もない空間がパリンと罅割れて、やがて虚空が開き、そこから妖精が顕れた。

 髪は緑色で、肩まで届くセミロング。肌は透き通るように真っ白で芸術品を思わせる神性を備えていた。衣服をなにも纏っていないのが、それに更なる拍車をかけている。背中には、ファンタジーでお馴染みの妖精さんの羽が生え揃っている。周囲には光が舞いなんとも幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 だが、その双眸には、一切の光を宿しておらず、果てのない虚ろを湛えていた。

 姉さんは、アイリ・ブラックを指さし、顕れた妖精に、

「あれを喰らいなさい」

 そう冷たく命じたのだった。

 緩慢なゆっくりとした動作で妖精はアイリ・ブラックの許へと向かう。

 それを見てアイリ・ブラックはついに壊れた。

「う、うそ、うそだよね? ねえ、冗談だって言ってよ! ねえ、うそでしょ? ………い、いやだ、やだ、やだ、やだ、いやぁぁぁぁだぁぁあああ!!」

 絶叫したアイリ・ブラックは、まるで芋虫のようにぼくの方に這い寄ってきた。

「助けて! お願い! 何でもするからぁ! お願いだよぉ! あなただってこの化け物たちに脅されて従ってるだけなんでしょう!? だから、お願い! 助けてぇ!」

 やれやれ、恐怖のあまりに訳の分からないことを口走っているようだ。

 ぼくが、脅されて従ってるだって? ぼくの自らの意思に決まってるじゃあないか。

 まあ、そのことは別にどうでもいい。

 彼女のご所望通りに救ってあげようじゃないか。

 彼女の哀れな魂を今この場で。

「なあ、きみはさ、戦場に出る以上はある程度の覚悟はしてきたんだろう? 死ぬかもしれない、という覚悟を、さ」

「そ、そんなの当たり前でしょ。でも、こんな死に方はあんまり―――」

「それじゃあ、殺される覚悟はしてこなかったってことだね」

「―――え?」

「だから、死に際に無様を晒すことになる。軍人ならば、他人を殺すことを生業にする者ならば、死ぬときは潔く、堂々とあるべきだ。現にあの女兵士―――スカーレットさんだっけ? まあ、いいや。彼女の死に際は実に堂々としたものだったよ」

「そんな、あたしは別に職業軍人って訳じゃあ―――」

「ぼくは、そんな言い訳が聞きたい訳じゃない。現にきみは、ぼくを殺しにやってきたじゃないか。それだけでもう要件は揃ってる。人を殺そうとする奴にはいつだって殺されるリスク―――或いは罪と言い換えてもいいかもしれない―――が付きまとうものなんだよ。それを、きみは十分に理解できていなかった。違うかい?」

「――――――――――――!」

「受け入れることだね。それが、罪に対する罰の正当な受け方だ。私は殺そうとしました。故にいまここで、殺されるのです、てね」


「あ、ああああああああぁぁぁぁぁぁあああああぁぁぁあああああああああああああああああぁぁぁ!」


 アイリ・ブラックの慟哭がホテル中に響き渡り、そして、彼女は妖精に全てを喰われた。


 すべてが終わった後、姉さんはアイリ・ブラックだった物を呆然と見つめる妖精さんに近づき、彼女の瞳を見つめて言った。

「わたしのことが見える? わたしの声が聞こえるかしら? アイリ・ブラックさん」

 すると、妖精さんは―――新しい体に生まれ変わったアイリ・ブラックは、はっと我が返ったように周囲をきょろきょろとしだし、ただひたすら御免なさい、と何度も、何度も、謝り続けたのだった。


 現在、彼女は純白のドレスを身に纏い、香月にあやされているところだった。

 怖かったよぉ、と悪魔さんに甘えるように縋る妖精さんと、大丈夫だよ、よしよし、とあやす悪魔さんは何かの冗談のような取り合わせだった。


「さて、何から話をしましょうかね? わたしの弟君?」

 姉さんはぼくの質問に対してそう質問で返したのだった。

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