獏のマッサージ
万年床の煎餅布団
獏のマッサージ
人通りの少ない路地裏。
時刻は深夜と言っていい時間帯であり、太陽はすでに地平のかなたに沈み、左右のビルに遮られて街の明かりもここには届かない。
廃業したバーのネオン看板も光を失って久しい。こんな場所にいるのは何かしら怪しい人間だけだろう。
いま、この通りにいるのは一人の高校生くらいの少女だけ。つまり私だ。
黒く長い髪をたなびかせながら今日も私はここで獲物を待つ。
この薄暗い通りに一本だけある街灯の下で座り込み、頬杖をついて空想にふけっていると、路地の入口から足音が近づいてくるのに気がづいた。
人が来る。
この表通りから離れた入り組んだ路地に迷い込んでくるような人間はいない。明確な目的をもって目指さなければここにたどり着くことは無い。
……はずだったが、きょろきょろと周りを見ながら不安そうに地図を広げているそいつは明らかに迷子だった。
「どうしたんだよ。こんなところで道に迷ったのか?フフフ」
私がそう問いかけるとそいつはびくっと震えて、そこではじめてこちらに気が付いたような顔をしていた。
随分と不注意な奴らしい。
「危なっかしい奴だな。そんなんじゃあ命がいくつあっても足りないだろ。それでお前はどこに行こうとしてるんだ?」
一文の得にもならないが、親切心から道を教えてやることにした。
だというのにそいつはこちらを警戒しているのか、まごついている。私の見た目はそんなに恐ろしげではないはずだがな。そんな毒蛇みたいな派手な格好をしているわけでもない。むしろ黒いブーツに黒いコートと地味な格好なくらいだ。
「別に人の親切無下にするってんならいいさ。でもよ、お前方向音痴っぽいし今日中にたどり着けるかな?今日つってももうすぐ日付変わるけどよ」
ここまで言えばさすがに向こうも背に腹は代えられないと考えたのか地図をこちらに見せて目的地を言った。
私がその地図を覗き込んだとき、私の白い陶磁器のような肌に見とれていたようだが、気にせず目的地を確認する。
しかしその目的地というのは……
「お前ここ3駅も離れた場所だぞ」
私が言うと驚いたような顔をして、そして途方に暮れてしまった。
「ほら私たちが今いるのはここ。なんでこんなところまで迷い込んできてんだよ……」
最寄り駅まで行こうにももう電車は無い。タクシーでも呼ぶしかないだろう。
ふむ、しかしこいつは……よく見ると美味そうな悪夢をもっていそうだ。
決めた。今日の獲物はこいつにしよう。
「仕方ないな。タクシー呼んでやるよ。タクシーが来るまでそこの店の中で休んできな。フフフ……心配すんな。ぼったくりとかそんなんじゃねえよ。ただのマッサージ店。やらしー店でもない。だから早く入れって」
そいつの腕を掴んで半ば強引に引きずり込む。
大した抵抗もなく引っ張っていけた。流されやすい奴だな。
店内に入って電気をまずつける。ぱっぱっぱっと店内が文明の灯で満たされる。白を基調とした部屋の手前側には黒皮のソファとガラステーブル。冷蔵庫ももちろんある。奥にはパーテーションで区切られた施術台が設置されている。
コートを脱ぎ壁に掛けた後、腕を掴んで運んできたそいつをソファに座らせて、冷蔵庫を開けた。
「飲み物は何がいい?ジュースにお茶に……って何そんなキョトンとした顔してるんだ? 店員? ああ、ここは私の個人経営だから他に従業員はいないよ。」
不思議そうな顔をしてこっちを見られた。まあ、私は若く見えるからな。私の一族は大体が見た目が若いまま歳をとらない。この姿のほうが獲物を釣りやすいのだろう。
「驚いたか? 人を見ためで判断してもらっちゃ困る。……おいお前、若作りとか失礼なこと考えてないよな?」
私がねめつけてやると、慌てて否定した。考えてやがったなこいつ。
まあそれはいい。実際、この見た目の若さ相応の年齢で店を持つなど珍しいことだろう。もっと歳がいっていると思われるのも無理はない。
とりあえずお茶を出してやる。
「違うというならそういうことにしておいてやるよ。フフフ、ここは私が個人経営するマッサージ店。腕は良いんだぜ。」
そいつは出されたお茶に口をつけながら興味深そうに店内を見回していた。
ほう、これは簡単にいけそうだ。
「ん? 興味あるのか? マッサージとか受けたことないのか? ふーん、専門店に行ったことがないのか。まあなかなかな、お前ぐらいの年ならよっぽど体が不調じゃないと来ないよな。でもよ、ちょっとこっちに背中見せろ」
そう言うとそいつは戸惑いながらもおずおずとこちらに背を向けた。食いつきよーし。
さて、ここからが腕の見せどころか。
私はそいつの肩に手を乗せてさすり始める。
「ちょっとした触診だな。お前の体を調べてやる。別にお代は取らねーよ。無料サービスってやつ。タクシーなら後で呼べばいいよ」
肩の筋肉を一通り調べていく。撫でて、押して、軽く揉んで。
思った通り凝り固まっている。この調子じゃ背中や腰も大変だろうな。
さて、この触診の時に大事なのがただ調べるだけじゃなく、こいつをその気にさせるってこと。マッサージを受けたい気分にさせてやろう。何もせずそのままマッサージ受けませんかー?じゃ、いくらこいつでも怪しんで逃げ出すかもしれないからな。
しかしその気分にさせるのは簡単なことだ。酷使された肩はもはや撫でられただけで快感を覚えていることだろう。首元を軽くもんでやったり、背中を指でつーっと伝ったりするだけでも反応しているのが分かる。
「ほほお、これは……結構お疲れみたいって感じ? 若さでごまかしてるけどこれ実際大変だろ。あっちこっちバキバキで血の巡りもリンパの巡りも良くない。朝起きても疲れ取れてないってことよくあったりしないか?」
そいつは「言われてみれば」といった感じで頷く。もうだいぶその気になっているな。
掌で軽く腰を押しながら誘惑してみる。
「へぇ……それじゃどうだい? この際だしここでマッサージ受けていかないか? 今からの時間じゃお前が行きたい場所に行ってももう遅いだろ。フフフ、どうせ間に合わないならここで一回マッサージ受けても変わらないんじゃないか?」
私はとっておきの営業スマイルを浮かべた。これが結構効いたのかそいつはちょっと顔を赤らめて迷った後にYESの返事をした。女にも弱いか。うちじゃそういうことはしてないが、そういうことやってる奴らに紹介してやるのもいいな。
「そうこなくっちゃな。これも何かの縁だし格安でサービスしてやるよ。ほらとりあえず奥の施術台に行ってくれ」
ソファに座ったそいつをパーテーションの向こう側の施術台へと案内する。こちらも黒い革張りの施術台で長方形のベッドにオレンジ色のタオルで包まれた枕が置いてある。
「ちょっと待っててくれよ。私服じゃ気合入らない。制服に着替える」
「待たせたな。それじゃさっそく始めようか。まずは施術台にうつ伏せになってくれ」
看護師風の制服に着替えた私は早速仕事を始めた。まずは気持ちよくなってもらわないと食事ができない。
施術台の上でうつ伏せになったこいつの横に立つ。
軽く肩の上に手を乗せた。ボディタッチというのは適切に行えば相手の警戒心を削ぎ、安心感を与えることができる。
「まずは肩からやっていくぞ。肩をほぐすだけでだいぶ楽になるからな。まずは力を抜け。そう、深呼吸しながらリラックスしてー。そうそう、意外と普段から力入っているからな。リラックスするのは大事だ」
随分とこっている肩だ。こいつは若く見えるが、学生だろうか?それとも新社会人だろうか?だが別にどちらでもいいことだ。
何度か深呼吸を繰り返して力を抜いた肩を形を確かめるように撫でていく。両手で広げるように撫でさすっていく。
「マッサージの第一歩はさすることから。暖めると筋肉も柔らかくなってマッサージの効果が出やすくなるんだ。風呂上りとかが一番良いんだが、まあ、さするだけでも十分効果がある」
風呂上がりのマッサージを連想させてみる。あれは良いものだ。
繰り返し、肩をさすっていく。肩の上部、下って肩甲骨周辺、背骨の両脇をなでおろしていく。
脊椎の下端の出っ張ったところとかは掌でさすられると気持ちいいところだ。見逃さずにすりすりしていく。
「温まってきたな。フフフ。よし、揉み始めていくぞ。最初はゆっくりと、だんだん強くして行くからな」
急に揉み始めるとこわばった筋肉を壊してしまう。最初は優しく、優しくもんでいくことで強張りを解き、そこから筋肉の奥までほぐしていく。
焦らずにゆっくりと揉み進めていく。ゆっくり、ゆっくりと。
徐々に手ごたえが柔らかくなっていく。
「首元から肩先へ揉み進めていってっと。やっぱり固いな。でも大丈夫だ。今日でお前を楽にしてやるよ」
骨や筋肉の位置を確かめながら癒していく。マッサージに加えツボも刺激していく。肩の上側、首元から指四本ほど離れた場所のツボは良く効く。ぐいぐい押していく。
「肩と一緒に首もほぐさなくちゃな。首と肩は重たい頭をいつも支えてるんだ。姿勢悪いとすぐに痛めるから気を付けろよ。ほらここ、猫の首をつまむように……ってホントは猫をこんな風につまむのは良くないからな」
片手でつまむ。首の骨の左右にある二本の筋肉をグニグニしていく。これをやるだけでだいぶ変わる。
揉むときは上から下へと血液を流していくように揉んでいくと良い。
「肩と首のコリは頭痛の原因にもなるんだ。このあたり血の巡りが悪くなると頭の血行にダイレクトに影響するせいだ。頭痛とかあるか?」
帰ってきた返事はYESだった。だろうな。
「やっぱりか。今日のマッサージで少しマシになるかもな。それと噛みしめる癖とかない? アゴの筋肉は結構すごくて人一人持ち上げるくらいの力があるんだが、そんだけ力のあるアゴを普段から噛みしめてるとやっぱり良くないんだよ。たまに口を大きく開いてストレッチしてやると楽になる。覚えておくといいぜ」
ストレスを感じると噛みしめるのは生き物の習性だ。適度に噛むなら健康的だが、何事もやりすぎというものがある。ふふーん♪こりゃちょっと悪夢のほうも期待できるかもな。
食事への期待に胸ふくらませながらも今度は首のツボを揉んでいく。頭と首の境目、左右にへこんだところがあるがここは首のツボとして有名だ。詳しいことは知らないが、ここには細かい筋肉が集まっているらしい。それらがコるのも頭痛の原因だとか。
そうこうしているうちにだんだん指先に感じる体温が上がっているのを感じてきた。
「そろそろ楽になってきたんじゃないか? お前の体温かくなってきたぜ。血の巡りが良くなってるんだな」
同時に気持ちよさも増してきているはず。体温が上がれば心地よい眠気も襲ってくるからだ。
あとはこの眠気を育てていくだけ。
「それじゃちょっと下に下がって背中と腰行くか。ここらへんは自分で揉むのが難しいところだな」
肩甲骨の間を通り、背筋を辿りながら撫でさすっていく。最初はさらっと。徐々に力をこめて暖める。
首、肩と柔らかくすることでできた血液の道を背中へつなげていく。背中を揉むときは握力ではなく体重をかけることが大事になってくる。なぜならそのほうが揉むのが楽だから。
「肩甲骨に沿って下に下がりながら揉んでいくっと。体重かけてるけど痛くないか? もうちょっと優しめがよかったりする? ん、今の感じで大丈夫か。ならこの感じでやってくよ」
結構体重かけてるけど、いい具合のようだ。予想より疲れがたまってるのだろうか。
それじゃ、思いっきりやってやろう。ここでのマッサージの成果が後の食事で大事になってくるんだ。
こいつにはぐっすり眠ってもらわないと。
「背中もこりゃ大変だね。自分でも固さ感じるだろ? 私の指が全然入っていかない。まあ何度か繰り返してたら入っていくようになるけど」
私は凝り固まった背筋を何度も揉みほぐしていく。ふとこいつの顔を見たらだいぶととろんとしてきているみたいだった。あと一押しってところかな。
「上から下へ……下から上へ……ちょっとずつ入るようになってきたかな。上から下へ……」
繰り返すことで筋肉の緊張も取れていっているようだ。
背中をじっくり揉んだ後は、さらに背中を下って腰へと手を伸ばす。
「腰のあたりは掌で押すようにやってくよ。骨盤に力かけていく感じ。こう、ぐーっとな」
腰は下手にもむより骨盤を押したほうが心地よい。
背中と同じように体重をかけて押し込んでいく。何秒か押し込んだ後で力を抜く。力の抜き方を忘れた筋肉がゆるむ。
ここは知らないうちに疲れがたまっている
「椅子に座ってるときの姿勢とかどう?この様子じゃだいぶ姿勢悪いぞ。ちゃんと背筋を伸ばせ。背を伸ばして座るだけで姿勢筋のトレーニングにもなるんだ」
腰をマッサージし終えた後は大臀筋、つまりお尻を揉んでいく。一歩間違えば軽くセクハラだな。
しかしまあだいぶ心が緩んできているらしく、そいつは揉まれるがままにされている。
だいぶと目がとろんとしてきている。そろそろ夢の世界に旅立つ頃だろうか。
「……フフフ。眠たくなってきたなら寝てもいいぞ。そら、ここも揉まれると良いんだよな、でかい筋肉の塊だから」
脂肪の下に固い筋肉の手触りを感じる。それをごりごり押していく。
皮膚の下すぐに筋肉のある肩や背中に比べて臀部は厚い脂肪に守られている。その分なかなか揉みにくい。その点に関しては私の熟練したマッサージテクでなんとかする。
「ちょっと肉も付きすぎって感じだな。お兄さん机に座ってることが多いかい?座りながらでもできる筋トレとか……」
私のトークに対する反応がない。顔を見ればすでに瞼が降りている
「……おやおや、寝ちゃったか。これじゃ話聞いちゃいないな」
かすかな寝息も聞こえてくる。随分と気持ちよさそうに寝ている。
私は尻からもう一度肩へとマッサージの場所を変える。
そしてそいつの耳元でささやいた。
「聞いちゃいないだろうが、ネタばらしだけはしといてやるよ。別に私はただの親切なマッサージ屋さんってわけじゃない。
私はな、獏だ。
悪夢を食べる伝説の生き物、聞いたことあるだろ?それが私だ」
肩はあまり強くもまない。たださすり、撫でる。母親が子供を寝かしつけるように。
「お前はラッキーだよ。お前の中の悪夢の元を全部食べてやるから、明日には心も体もすっきりしてるはずさ。一晩くらいなら泊めてやるからゆっくりしていけ」
片手で背中をさすりながら、もう片方の手で頭をなでる。こいつの心の中に巣食う悪夢をゆっくりと引き出していく。
どす黒い悪夢がゆっくりと心の奥から引きずり出され、私の手の中に納まっていく。
ずいぶんと重たい悪夢を抱えていたな。だがまあ、これで随分と気分も軽くなったはずだ。
マッサージのほうも十分に施し終わった。心身ともに解放されただろう。
「よしよし。一通り終わったな。フフフ、お代はちゃんと頂いたよ。この悪夢ならおつりが出るな。でも釣りはいらないだろ?」
施術台に腰かけ、そいつの頭を軽くなでる。
私たち獏は夜行性だ。夜の間は起き続ける。人の悪夢を食べるために。
今晩はどうしようか。腹も満たされたし、特に予定はない。
そうだな、こいつが目を覚ますまで側にいてやるのもいい。だますような真似をしたのだ。明日の朝にはすぐ目的地へ向かえるよう準備もしといてやろう。
首から背中をなぞるように指を動かすと若干気持ちよさそうな顔をした。
悪夢を食い尽くしてやったからさぞかし良い夢を見てることだろう。
獏のマッサージ 万年床の煎餅布団 @mannnennyuka
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