死のない世界で

へいちょー

第1話

世界は変わった。

百年前とは、目を見張るほど。

当然私はこの時代の住人なのだから、百年前の世界が今とどう違うのかは、書籍で得た情報を引用して言うことしかできない。だから、どれも本人の実感が伴わない、いわば受け売りの話である。日本人がアメリカ人に、アメリカの古代の歴史を言い聞かせるようなことだ。そこにはその日本人の観念的な知識としてのアメリカしかない。実際本人が肌で感じたのではない。そもそも、アメリカにはそんな大層な歴史は秘めていないのだが。



これらは百年前までは当たり前のことだった。



22世紀初頭、アメリカで長年、最先端の医学を研究し続けた大学が研究方針を医学から、新たなる未知の学問へと転進した。大学は昨今の、不治の病のウイルスに対抗する、抗体を開発したことで有名になり、それを経て医学的研究を邁進した。功績はそれに止まらず、幾多の病を治療する薬を開発した。この大学は、医学を専攻する者なら、「最先端医学の」と周知の事実として認知されている。そんな大学が唐突に医学研究を放棄、並びに医学という選択を捨象して次なる研究に取り組むと公に言及したのだ。社会は騒然とした。一同は口を揃えて「あの大学が...」と呆れ混じりに呟いたのだろう。それほどにも寝耳に水な話なのだ。一方で、一部では批判も飛び交っていた。仕方のないことだろう。医学を放棄するということは、薬を作らないということだ。日々新種の伝染病が沸き起こるアフリカでは、その無慈悲な告白に度肝を抜かれたのだろう。なぜなら、生を長らく得ることができないからだ。人間は藁にもすがる思いで生を欲している。ましてやアフリカという衛生が不安定な地の人々。余計に生死を意識してしまう。批判の一つで済んだのが幸いだ。


そんな世間に反感を抱かれたのはたった一瞬だった。


大学は医学の放棄、そして新たなる学問の邁進を告白した。そして当然のように記者からその「新たなる学問」の詳細いついての質問が飛び交う。



大学はこう言った。




「死を研究する学問」。



人間はひどく、極端に生を渇望している。死を畏怖し、生を畏敬の存在として崇める。その延長として、医学という、死を疎遠にし、生を身近にさせる学問が誕生した。しかし、死は疎遠になっても、なくなることはなかった。いつか訪れる結末。それが死だ。これが覆しようのない原理だ。それでも人々は執拗に生を受けたかった。たとえ死んでも、長く生きたい。そう、ただ死にたくないだけなのだ。医学はその程度のものだ。人間の生に囚われた情を酌んだ無意味な学問。死をただ遠ざけるためだけの。つまり、いくら医学が発展しても人間は死ぬ。これは変格のしようがない。医学は延命でしかないからだ。


だから私たちは視点を変えてみた。


皆さんは生きたい。しかし、今のままでは長く生きるだけで、永遠に生きることは許されない。ならば、医学なんというちっぽけな規模の話は、やめだ。



死という概念をなくせばいい。



それを成就させる。私たちは確証を得た。確かにそれが可能なのだと。この私たちが保証します。

あなたがたが、私たちを信じれば、永遠に生きる権利を与えさせてあげましょう。本当の意味で、死が存在しない世界。そんなユートピアを私たちは築いてあげましょう。約束します。


もう私たちは死に怯えなくてもよいのです。


死ぬことはないのだから。



「蘇生学」。



これが、これから先、必要になってくる学問です。

私たちは一足早くこれを発見しました。


しかし、大変革を起こすのには、多少の代価が支払われます。

主に二つ。

一つ目は、多大な資金が投資されることでしょう。私たちの大学は資金難に陥るかもしれません。ですが、保証しましょう。必ず成功させると。


そして二つ目は-------命です。


たったの世界人口の十%で事足ります。せいぜい七億いくらかです。

いえいえ、そんなに恐ろしいことではありません。


全世界には高齢者が溢れかえっています。彼らはもう既に充実した人生を過ごし、もうただ生死を意識して世渡りしているだけです。そんな人たちは生かしておく必要がどこにあるのだろうか。

申し訳ありません。言い方が悪かった。彼らには孫などといったもっと大切な人物がいるはずです。それならば、そんな未来が期待できる人々の永劫の生活のために、自らの命を差し出す方が良いでしょう。自分の無為な命を未来のために「投資」して下さい。

むしろ躊躇う方が非人道的です。


大改革を実現させましょう。



あなたがたの命で、新たなる未来を。



希望に満ち溢れた明瞭な未来を。



死のない世界を。

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