サボテン

TAK77

第1話


 私は40歳独身、事務機器メーカーで経理事務の仕事をしている。

 最近自宅のマンションのベランダでサボテンを育て始めた。生き物は好きで、子供のころはハムスターや猫も飼っていたが、私は自分勝手になでてやるくらいで、自分が世話をせず、ほとんど親まかせであった。それが分かっていたから、手のかかる生き物ではなく、サボテンを選んだのだ。この年になってなんか独り身の殺風景な部屋に住んでいるのが侘しくなった事もある。

 毎日仕事から戻ると、一応サボテンの様子は見る。買った花屋の話だと、一か月に一度くらい少し水をやってくださいと言われた。だからほんとに全く手がかからない。会社の女性の先輩に「サボテン育てはじめたんですよ」というと、あっさり「かわいくないわ」と言われた。もちろんサボテンがかわいくないのではなく、手のかからない生き物を育てるという私の性格をかわいくないと責めたのだ。

 特になにもしないけれど、生き物ではあるので、毎日様子はうかがうようにしていた。育てはじめたのは初秋の頃であった。ベランダに出て、缶ビールを飲みながら、そこから見える街の夜景とサボテンを交互に眺めていた。

 パソコンデスクもベランダの方に向いセッティングしていたので、サボテンはインターネットをやっている時も見えた。

近所付き合いは他人に会ったら、挨拶する程度だった。現実の近所付き合いよりもネットでのSNSで知り合った人たちとのオフ会のほうがはるかに楽しいというのも現代的なのだろう。

 ある日マンションのエレベーターで20歳前後の女性二人組と一緒になった。友人のところに訪ねてきたのか二人で同居しているのか後で考えてみたが、わからない。ただ一応オートロックのマンションで1Kの室内構成だから、友人のところに泊まりにきたというのは厳しそうである。レズビアンの同棲かとなんだか刺激的な妄想をしてしまう。

 毎朝電車で一時間弱揺られて、大阪市のビジネス街に通勤していた。単調な経理事務の仕事をこなして、昼休みビルのテナントの食堂で食事をした後、近くの書店などに社会科学や文芸書などの新刊本をブラウジングしに行く。平日の一番の楽しみは書店で本を眺めている事である。

 SNSで知り合ったトレッキングのコミュニティの人たちと神戸の摩耶山にトレッキングに行くことになった。当日は朝早く起きて、近所のコンビニでいつものようにおにぎりを二つとお茶を買って、それを頬張りながら、駅に向かった。

 その日は秋晴れのとてもよい天気で気持ち良く登れそうだった。三宮駅に集合して、私を入れて7名が初めての挨拶を交わして、新神戸駅の方から摩耶山頂に向けて、ゆっくり歩いていった。

 新神戸駅の裏からしばらく登って、休憩所で最初の休憩を取った。いつもここから眺める神戸の市街と神戸港は素晴らしい。晴れ渡った空にブルーの海が際立っている。仲間とデジカメで写真を撮ったり、お茶を飲みながら煙草を吸って、一服した。

 およそ3時間程登って山頂に辿り着いた。山頂から見る神戸の街と海はやはり絶景だ。

7名の仲間は各々写真をまた撮ったり、缶コーヒーを飲んで一服した。

その後、ロープウェーとケーブルカーを乗り継いで山麓に降りた。そこでもう3時近かったが、お昼を食べようと小さなお好み焼きの店に入った。

仲間の一人谷田君はしきりに「僕槍ヶ岳に行きたいんですよ。ほんと」と言っていた。「いきなり初心者の行く山じゃないよ。大丈夫なの?」

「それでも行きたいんですよ」と譲らなかった。

「気を付けてね」とだけ私は言っておいた。

 確かに険しい山であり、私はまだ登ろうという気にはなれなかったが、若い彼には挑戦しがいのある山だったのだろう。

 お好み焼きを頬張りながら、次の企画はみんなで登山グッズの店巡りをしようという約束をして、解散した。

 帰宅すると、夕食を食べて、PCを立ち上げて、ネットに接続する。横目でちらちらベランダのサボテンを見ると、変わった様子は何もないので、一応安心する。

 メールチェックして、SNSの日記にレスがついていたので返事したり、今日のコミュニティの仲間にお礼のメールを打ったりする。

 秋の夜は早く暮れるので、外は6時を過ぎていると真っ暗である。それでも不意にアイスが食べたくなり、近所にあるコンビニにハーゲンダッツを買いに行くこともあった。コンビニでアイスとペットボトルのお茶を買い、部屋に戻って、またPCを立ち上げる。

 10月になると、私は道東弟子屈町に宿を取り、フライフィッシングでマスを狙いに出掛けた。

 釧路空港に降り立つと、長袖シャツにフリースのジャケットで丁度よい気候だった。空港からバスに乗り、JR釧路駅に向かった。釧路駅から釧網線に乗り、釧路湿原を車窓から眺めつつ、ビールを飲んで、ウダウダしているうちに目的地の摩周駅に着いた。

 駅から宿の「森の精霊」に電話して、オーナーに送迎してもらう。すぐにオーナーの吉田さんは来てくれて、挨拶をして、車に釣り道具やらの荷物を積み込んだ。

「キャスティングの練習してきましたか?」

「少しだけ。でもあんまり上達しませんね」

「わかりました。宿に着いたら、少し練習してみましょう」

「はい。お願いします」

 そんなやりとりを吉田さんとしていると、「森の精霊」に到着した。

 吉田さんに案内され、部屋に荷物を置くと、タックルを準備して、宿の前の空き地でキャスティングの練習をした。基本動作はできているが、ラインを放すタイミングが悪くて、長い距離ラインを飛ばせないという事が分かった。小一時間ほど黙々と練習を繰り返した。

「そろそろ夕食の準備なので、終わりましょう」

 彼に促されて、宿に戻った。食堂でタバコを吸いながら、釣り雑誌に目を通していると、夕食の前にお風呂に入ってくれとのことで、風呂に入った。

 風呂から上がると、夕食は準備されていて、道産牛のステーキをメインに地の旬の野菜とスープなどが用意された。ビールを飲みながら、おいしくいただいた。

 都会のリズムと北の大地のそれはやはり違う。一年に一度数日しか滞在しないけれども、ゆっくり流れる時と豊かな大自然に包まれて、たとえ釣果がよくなくても、いつも来てよかっと思う。

 翌朝、朝食後吉田さんの案内で斜里町に向かった。小さな渓流に入り、毛バリを流すと、いくらでも15cmほどのオショロコマが釣れた。

「なんか簡単すぎて、面白くないですね」

「飽きましたか?それならちょっとポイント変えましょう」

 次に入ったのが大きな堰堤の下のプールだった。何度か毛バリを流すが、魚の当たりはなかなかなかった。一時間程粘って、コンコンと小さな当たりがあった。合わすと、ビクビクという針掛かりした感触。すぐに引き上げると、20cmちょい程のヤマメだった。

その後はしばらく釣ったが、全然当たりはなかったので納竿した。

「もういいんですか?」

「なんとか一匹釣ったし、まあいいです」

「粘れば大きいの釣れるかもしれませんよ」

「いやいいです」

 車に戻り、コンビニで買ったオニギリを頬張りながら、しばらくドライブして、「少し川を見てみましょう」と標津川の橋の上で吉田さんは車を停めた。

 橋の上から川を覗きこむと、薄い緑色の川面の下に5、60cmはあろうかという魚の群れが見えた。

「サクラマスです」

「えっサクラですか?こんなにいっぱい。凄い」  

 サクラマスは悠々とその淵で群れていた。生きているそれを川で見るのは初めてであった。釣り人にとっては垂涎の的である。私もいつか釣りたいと思っていたが、まだ果たせていない。

「サクラが北海道の川で解禁になったら、内地から沢山釣り人がくるでしょうね」

「来るでしょうね。釣り場荒れて、いなくなっちゃうでしょう。さあ行きましょうか」促されて、弟子屈に戻った。

 その日の夕食は花咲ガニがメインで、焼き魚、サラダ、味噌汁などがついた。どれもおいしいが、カニはうまく食べれなくて、だいぶ残してしまった。

「カニ苦手ですか?」と案の定訊かれた。

「好きなんですけど、うまく食べれなくて」

「ゆっくり食べて、いいですよ」

「いやもういいです」

 翌日は弟子屈近辺でのアメマスと釧路川本流を狙うという。私は部屋に戻って、ベットで釣り雑誌を見ながら、眠くなってきたので、電気消して、眠ってしまった。

 翌朝、朝食の搾りたての牛乳を飲みながら、吉田さんに今日使うタックルを教えてもらった。

「さあ、行きましょうか?今日は20分程で着きますよ」

 二人で車に乗り込み、目指す川に向かった。

 ポイントは釧路川の支流で堰堤の下のプールだった。

「いるいる。でかいのうようよいますね。アメマスですか?」

「アメマスです。さあ釣ってください」

 いそいそとロッドにラインを通し、少し大きいニンフ(水中に沈める川虫に似せた毛バリ)を結ぶ。

 群れの中に何度か流してみるが、全然当たりはなかった。

「ダメですね。食い気ないのかなあ」

「アメマスは食い気のある時はいくらでも釣れますけど、ないときは全然ないですからね。今日はダメかもしれません。もう少し粘ってください」

 それから数度流すと、ゴツゴツとした当たりがあって、合わせた。

「来ました~」

「おおやりましたね」

 獲物は結構大きく、なかなか寄ってこない。素早くラインをリールに巻き取り、5、6分くらいやりとりする。

「なんか変ですね。スレかな」

 魚をすぐそばまで寄せると、背中に毛バリが引っかかっていた。

「あちゃあ。スレかあ」

 しかし、アメマスをネットに収めてメジャーをあてると、52cmあった。記念に両手で魚を持って、吉田さんに写真を撮ってもらった。

「スレだったってこと内緒ですよ」と私がいうと。吉田さんは手を出して、「お金」と一言。二人は顔を見合わせて、笑った。

 それから一旦、納竿し、川を少し見て歩いた。

「ほら紅鮭」吉田さんの指差すほうを見てみると。ボディが赤い魚が一匹泳いでいた。

「北海道にはいないんはずじゃないんですか?」

「たまに間違って上ってくるよ」

 それから川を後にして、弟子屈町内のラーメン屋に入って、昼食を取った。塩ラーメンが旨いと吉田さんが薦めてくれたので、それを注文して食べた。やはり北海道は辺鄙なところでもラーメンが旨い。風土にあっているのだろう。

 そしてその後、釧路川本流に向かった。

 ここでは岩盤の上をゴム長履いて、毛バリを流しながら、釣り下る。大場所なので当たりは少ないが、釣れれば大物の可能性は高いようだ。

 一匹20cm弱のヤマメをキャッチアンドリリースした後、ややあって、ゴンという強い当たりがあった。ロッドを立てて、合わせると、ゴンゴンという強い引きがあった。流れに乗って、重い。余ったラインをすぐに巻き取り、リールでやりとりした。走られて、ラインが出て、また巻き取ったりを繰り返した。

 どのくらい時間が経っただろうか。10分は経ていなかったと思うが、寄ってきたシルバーメタリックの魚体を見て、「サクラだ」と小さくつぶやいた。魚とのやり取りをしてうぃるのを見ていたのか吉田さんがそばにきて「あんまりロッド立てないで、切られるから」と教えてくれた。その後何度か吉田さんの出してくれたネットにようやく魚はおさまった。

「サクラですね?」

「そうです。リリースしないと(北海道の内水面ではサクラは禁漁である)」

「写真を一枚だけ撮らせてください」

 私はすぐにデジカメでシャッターを切った。

その後魚体を抱いてそっと流れに戻した。惚れ惚れするような魚体だった。

 夕暮れに染まった川景色は幻想的であったが、足元が危ないので、そそくさと車に戻って、「森の精霊」に帰った。

 その日の夕食は刺身盛り合わせがメインだった。ビールでそれを流し込み、「今日は本当にありがとうございました」と吉田さんにお礼を言った。

 翌朝、吉田さんの奥さんに摩周駅まで送ってもらい、また釧網線に乗車した。列車はゆっくり広大な釧路湿原を抜け、釧路駅に着いた。バスに乗り換え、釧路空港に行き、フライトまで間があったので、味噌ラーメンを食べた。やはりここのも旨い。

 北海道から自宅に戻ってきて、ベランダを覗くとサボテンは変わらない様子を見せていた。気兼ねなく旅行に出掛けられるというのも強いサボテンを育てるメリットだなと思った。

サボテンに向かって小さく「ただいま」と声をかけた。

 10月も半ばになり、半期決算の仕事に忙殺されて、仕事から戻ると、食事して、ほとんどなにもする気力はなかったが、サボテンを見るのと、メールチェックは日課だったので、それはこなした。

 SNSのトレッキングコミュニティの仲間から「今週の日曜日、約束通り、登山用品店にみんなで行くのでどうですか」とお誘いのメールがきていた。土曜は出勤だから、日曜はのんびりしたいなあと思ったが、折角のお誘いを断るのも悪いと思ったので、「はい。OKです。了解しました」と返信しておいた。

 その週は本当に仕事で疲れていて、土曜の出勤が終わり夕方戻ると、ビールを飲んで、うたた寝してしまった。

 気が付くと、夜中の一時だった。夕食も摂っていなかったので、コンビニに行って、オニギリを3個とお茶を買って戻った。それを食べて、本を読んでいたら、また眠くなり、朝8時頃まで寝てしまった。

 梅田の登山用品店で11時に待ち合わせだったので、朝食もオニギリを買って食べ、電車に乗って、梅田に行った。

 以前摩耶山に登ったのと同じ面子が待っていた。挨拶を交わして、お店に入った。

 メンバーの安井さんという女性がリュックを一つ買いたいというので、いろいろ見ていて、メンバーが自分の推薦するリュックを紹介していた。他のメンバーは私も含めて特に買い物したいものはないようで、色んなグッズを眺めたり、触ったりしていた。

 お昼になったので、大丸の最上階の中華料理店で食事をした。「次どこの山いこうか?」とビールを飲みつつ、料理をつまんで、ワイワイやっていた。私は「大和葛城山なら案内できますよ。距離も適度だし、どうですか?」といって提案したら、「いいんじゃないですか。それにしましょう」とあっさり次の山行きも決まってしまった。

昼食後もまた別の店に行ったが、安井さんはなかなか買い物が決められないようで、3軒目の店でようやく「これよさそう」とリュック選んだ。彼女の選んだのは35lのピンクの割と軽そうなリュックだった。

彼女の買い物が決定した後、散会となった。

夕方家に帰宅した。家の近所のスーパーで買って帰った鶏とカワハギと野菜を包丁で切り、カセットコンロに土鍋を載せて、一人鍋をしつつ、またビールを飲んだ。

ベランダを開けて、サボテンを見ても変わった様子はない。「お前は強いなあ」とつぶやく

それからしばらくして、会社の決算事務も終わり、平日はほとんど定時退社して、夕方から家でネットしたり、読書して過ごしていた。またどこかへ行きたいなあと思って、会社の釣友の山口さんに誘いのメールを打った。

11月中旬の土曜日山口さんと私は兵庫県の三田駅で待ち合わせして、山口さんの車で駅から20分ほどの管理釣り場へ向かった。

ここは何度も来ているので、釣る場所も決まっている。昼食のためバーナーでお湯を沸かし、カップラーメンに注ぐ。寒くなってきたので、暖かいラーメンは丁度良い。オニギリも2個ほど食べて、釣り開始である。

山口さんは下流に陣取り、すぐ釣ったようである。ロッドが曲がって、魚とのやり取りを楽しんでいる。

私もニンフを結んで、対岸めがけてキャストし、流していく、すぐに当たりがあり、合わせて、ラインをたぐり寄せる。25cmくらいのニジマスであった。同サイズのニジマスばかりを5匹くらい釣ったところで、一服した。

タバコを吸いながら、山口さんのほうへ行った。

「どうですか?」

「よう釣れるわ」

「ニジマスばかりですか?」

「うん。そやな他にも放しとるはずやけど」

「頑張って釣りましょう」

「おう」

 その後も私は時折、休憩をいれつつ、ニジマスを釣った。夕闇が迫るころ、山口さんのロッドが根元から曲がっていた。様子をうかがいにそばに寄った。

「でかそうですね?」

「うん。なんやろうな」

 奴さんは右に左に走り、なかなか寄ってこない。10分程経ったころようやくネットに収まった。

「これは、イトウですかね?」

「そやな。たぶんそうやろ。イトウも放しとるって言ってたもんな」

 メジャーで測ると56cmだった。

「いいのが釣れたし、そろそろ帰りませんか?」

「おう。もう真っ暗やしな」

 二人して道具を片付け、ビクからクーラーボックスに獲物を移し替えて、暗い土手を歩いて、駐車場に向かった。後日山口さんに聞いたところではイトウは赤身で焼いて食べるとおいしかったらしい。

帰り道でいつも寄るラーメン屋に入った。

私はいつものように豚骨チャーシューとライスを山口さんも豚骨チャーシューを頼んだ。

「次どこ行きましょうか?」

「そやな。もう冬やから、また管理釣り場かなあ」

「また富士五湖とかどうですか?」

「ええけど、ちょっと遠いなあ。」

 山口さんは遠出には消極的な感じであった。

私の釣ったマスは全て彼に上げて、三田駅まで送ってもらい、そこから電車乗り継いで帰宅した。

 12月の初旬の日曜日、またトレッキングコミュニティの仲間たちと予定通り大和葛城山に登るため、近鉄御所駅で朝9時に待ち合わせした。

 3度目の集まりなのでみな打ち解けてきた感じで遅刻する者もなく、御所駅からバスに乗って、ロープウェイ登り口まで向かった。

 ロープウェイ駅の横に登山道があり、うっすら積雪した山道をトレッキングシューズの紐を各々が締めて、登り始めた。

 山の雑木林は葉が落ちているものも多く、近場といえども冬山の佇まいであった。みなでゆっくり登って、二時間弱で頂上に着き、丁度昼になった。

 私は携帯バーナーをこの日も持ってきていた。お湯を沸かし、みんなにコーヒーを淹れてあげた。山頂はさすがに寒かった。その後各々用意してきたオニギリなどを食べて空腹を満たした。

 昼食後、山頂から見える大阪の街を見下ろし、記念撮影などした。安井さんは先日の集まりで買ったピンクのリュックを担いできており、「気に入ったから、長く使いたいわ」と言っていた。

 帰りはちょっと軟弱だが、またロープウェイに乗って下りた。その後みんな電車で天王寺まで行き、居酒屋で夕食にした。

 谷田君は相変わらず「来年こそは槍ヶ岳に行く」と強く宣言していた。彼の奥さんはしきりに「危ないから止めて」と言っていた。

 コミュニティの管理人の田中さんは「最近コミュニティに入りたいってメールがいっぱいきているんだけど、あんまり人数増やしたくないから承認していないの」とこぼしていた。理由を尋ねると「人数が増えると、管理が行き届かないし、アットホームな雰囲気が壊れるんじゃないかと思うの」と答えていた。

成程、結構管理人っていろいろ気遣いがいるなあと感心した。

 帰宅していつものようにベランダのサボテンを横目に見ながら、パソコンを立ち上げた。

メールチェックすると大学の同窓生から一通訃報通知が入っていた。

 同級生が一人自殺した。数日前にもう葬式は近親者のみで執り行われたという。彼の父が遺品の本などを私たちの入っていたサークルで引き取ってくれないだろうかと連絡してくださった。

 その友人Nはサークルの代表を務め、私はサークル活動以外にも一緒にスキーなどに出掛けた。残念ながら、卒業後は音信が途絶えていて、20年近く連絡をお互いに取ることはなかった。私は少なからず後悔した。学生時代からの友人や先輩後輩の付き合いも限定的でNのことは時々どうしているかなと気になっていたのだが、こんな形で最後の知らせを受けるとは思わなかった。

 「年が明けたら彼のお墓参りに行きませんか?」とサークルのメーリングリストにメールを打っておいた。

Nのお父さんに電話して、お墓の場所を尋ねると鎌倉だという。彼の実家はたしか千葉だったように記憶しているが、先祖は鎌倉にいたのだろう。家柄のことなど彼に訊いたことはなかったが、由緒正しい家なのかもしれない。

12月もそんなことで私用ではバタバタしていた。中旬以降体調を崩し、大学病院に入院することになった。入院する直前にサボテンに水を遣っておいた。これで退院するまでまあ枯れることもないだろうと思った。

血液検査をしてもらい、腹部エコーや胸部レントゲンを撮り、医師には「胆石があり、高脂血症だ」と診断された。「今のうち手術して胆石取っておいたほうがええで」というので「お任せします」と言った。

その二日後、全身麻酔をかけられ、気づいてみると、ICUで口に酸素吸入器やチューブが取り付けられていて、とてものどが痛くて苦しかった。

「苦しいのでマスクはずしてください」と看護師さんにいう。

「ほんとはね、一晩ずっと付けっ放しにしておかないといけないや。少しだけはずしてあげる」と言って、マスクをはずしてくれた。 

マスクがはずされると、ハーハーと思いっきり息をした。そうして一晩何度かマスクを外してもらい、眠れぬ夜を明かした。

 翌日になって一般病棟に移され、朝食もおかゆだが、出された。昼から普通食になるということだった。しかし身体が重く、やはり病人なんだなと改めて思った。病院内を散歩して100円30分のインターネット端末を借りて、SNSを見たりして、友人たちに入院していることを知らせると、例のトレッキングコミュニティの仲間が見舞いに来たいとと知らせてきた。

 土曜日田中さん夫妻と安井さんの3人が見舞いにきてくれた。病棟から出てホスピタルパークを4人で散歩した。

「大変でしたね。退院までしばらくかかるの?」と田中さんが訊いた。

「いやたぶん来週早々には退院です。その後、週末まで勤務して、帰省しようと思っています」

「ああよかった。心配したんですよ」と安井さんが言った。

「ごめんね。大したことないのにお見舞いまできてくれて」

 4人で病棟内にあるスターバックスでコーヒーを飲んでまた次の山行きの相談をした。

「今コミュの人数が結局増えてしまって、どうしようかなと思っているの。だって、何十人も一緒に登れないし、コミュ入ったものの全然集まりに来てくれない人もいるし」と田中さんはこぼした。

「人数限定のコミュを別に立ち上げたら?」と私は思いつきを口にした。

「そうね。それもいい手かも」

 結局冬山に本格的に登るというのは危ないし、また近場の低山物色しましょうかという事になった。

 手術から4日ほど経った週明けに担当医が「もういつ退院してもらってもいいですよ。お薬はいつでも出しますから」

「じゃあ今日退院します」と言って荷物をまとめ、薬を受け取って、病院を後にした。

 愛媛にいる両親に「今週末には帰省するから」とその晩電話しておいた。

 年末は仕事もあまりなく、年明けの四半期決算の資料準備をエクセルなどでしていた。頭のなかは帰省のことや年明けに行く墓参りのことでいっぱいで、仕事のミスが増えた。

 週末予定通り自宅で帰省の準備をした。ばたばたしていたので、サボテンの様子をしばらく見なかったから、ベランダを覗いてみた。特に変わった様子はなく、全くたくましい植物だと思った。

 愛媛に帰省すると、母は「あんた、まだ結婚せえへんのん。誰かええ人おらんのん」と繰り返した。私は「まだそんな気にはならん」と胸が痛んだが、突き放すように言った。

 大阪と違って愛媛は県庁所在地のこの松山でさえ、中心部をはずれると、のどかな田園風景が広がっている。海も近く、ミカン山もある実家の近所を年末年始に釣りに行ったり、散策したりして、楽しんだ。

 年が明け大阪に戻る直前に父に「もうそろそろこっちに来て農業でも手伝わないか?」

と訊かれた。「うん。それもええけど、もうちょっと大阪で頑張ってみるわ」と答えて、大阪に戻った。

 自宅についてメールチェックすると、結局Nのお墓詣りに行くのは、同期の田坂君一人だった。週末に鎌倉駅で昼1時に待ち合わせして、霊園に行こうという返事をしておいた。

 翌日出勤し、年始の挨拶をして、仕事が始まった。4半期決算である。年始から残業が続いたが、仕方なかった。

 土曜日予定通り新幹線に朝早く乗り、一時前に鎌倉駅に着いて、駅のそばの花屋で献花する花を買った。しばらくして田坂君が到着し、「じゃあ行くか」と二人で霊園行のバスに乗った。

 霊園は非常に広大で事務所で聞いたNの墓所まで歩いて5分くらいかかった。花をお供えし、二人して合掌した。サークルの代表だった彼の死後は寂しいものであった。「みんな理屈をつけて墓参りにすら来ないとは」と二人で話した。

 気がつくと墓の上空を鷹らしき鳥が舞っていた。あいつ鷹になったのかとその時直感で感じた。

 私は日帰りで鎌倉から夜に戻ってきて、ベランダの戸を開け冬の冷たい風を頬に感じながら、サボテンをまた見た。

地球温暖化やヒートアイランド現象など日本の都市部も環境はどんどん過酷になっているけれど、サボテンは地球でもっとも過酷な環境で生き抜いてきた。ベランダのサボテンにひと月ぶりに水を与えてやると、鉢の砂にすぐ水は浸み込んでいった。ふと私は自分もサボテンのようなものだと思った。普段都会の砂漠で働き、心の渇きを癒すように山に登ったり、遠方の川で釣りをしているのだから。ただ水を与える頻度が違うのと、自分で動けるのが違うだけである。Nはサボテンのように強かになれなかったのだなと思い、彼の死を知ってから、初めて涙が流れてきた。

                了

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サボテン TAK77 @ffmantak77

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