姉の帰省日に、家族

怪獣とびすけ

姉の帰省日に、家族


 姉が東京の大学へ進学し、僕ら家族の元を離れていったのは五年前の三月の事だった。


 姉は家族から愛されていた。僕もその例外ではない。たった一人の姉弟だ、それも当然だろう。

 僕ら家族は目元に涙を浮かべ姉を見送った。


 僕の家族構成は、姉を除けば僕・父・母・祖母の四人。三世代が同居する複合家族だ。

 物心ついた時には、姉と共に祖母から可愛がられていたのを覚えている。僕らはおばあちゃん子だった。

 両親も夫婦円満。喧嘩をしている姿など一度も目撃した事はなかった。僕ら五人は家族としての日々を幸せに過ごしていたのだ。


 だが、それも姉が東京へ行く日までの事。

 姉が消えた途端、家族は崩壊した。

 両親が仲良く見えていたのは、姉が僕に本当の姿を見せまいとしてくれていたからだった。もしかしたら、二人の仲を取り持ってもいたのかもしれない。残念ながら、僕がその役目を代わる事はできなかった。

 祖母は二人の争う姿に呆れ、僕に別れを告げ、長野で暮らす叔父の元へと去った。

 さらに歯止めを失った夫婦の喧嘩は激化し、翌日、母も家を出て行った。

 僕もその頃には家族にうんざりしていたため、高校生の身でありながら一人暮らしを決意。両親それぞれから生活費を援助してもらい、近隣に部屋を借りた。

 

 それから半年が経過しても家族の溝が埋まる事はなかった。連絡を取り合う機会もないため、さらに深まっているとも言えた。

 しかし――――――ある時、父から突然に電話があったのだ。

「お姉ちゃんが帰ってくるそうだ」

 父の言葉はほんの一言だったが、それゆえに、意図は伝わった。

 家族が崩壊した事を、僕らは姉に伝えていなかった。父は『姉に知られてしまって良いのか』と、そう、言っていたのである。

 そう。こんな僕ら家族でも、ただ一つ、共有している想いがあった。

 それは、『姉を愛している』という事。

 姉を悲しませるのは、辛かった。

 だから僕は提案した。

「姉の帰る日に、僕らは家族を演じよう」

 父はすぐさま頷き、その後、電話ごしに祖母と母も了承した。


 結果から言えば、舞台は成功した。

 姉は僕らの関係を疑う事なく、笑顔のまま東京へと戻っていった。

 だが、姉の帰省が一度で終わるはずがない。それからも、姉が実家へ帰る度に僕らは家族を演じるため集合した。

 しばらくすると、姉の帰省日は盆の暮れと年末年始の二回と限定されたため、何も言わずとも、家族はその日には集まるようになった。

 それから、僕らは一度たりとも失敗していない。姉は僕らに悲しい顔など見せてはいないのだ。

 五年が経った今でも、それは続いている。


 今日は十二月二十九日。

 僕は実家のインターフォンを押した。すぐさま父が中から駆けてきて玄関の扉を開く。姉かと期待したのだろう。残念な想いをさせてしまい申し訳ない。

 居間で心落ち着かず時が経つのを待っていると、やがて、夕刻となり、母の声が聞こえてきた。

 訊けば、夕飯の材料の買いだしに行っていたらしい。

 スーパーの袋を覗くと、中には長ネギ、えのき、豆腐などが入れられている。そういえば、例年、年末年始には皆で鍋を食べる決まりとなっていた。

 母は材料を台所へ置くと、和室の方へと向かっていった。

 何だろう、と思っていると、聞こえてきたのは罵声。祖母を罵る声だった。いつの間にか祖母も到着していたらしい。

 喧嘩の理由は、夕飯の仕度を祖母が断ったから。くだらない理由だった。

 こんな事で家族が争うのも面倒だと思い、僕は母に声をかけ、台所へ向かい、夕飯の仕度を始めた。

 材料を切り終え、鍋の用意を整え終わたところで、母が手伝いに来なかった事を思い出した。

 まぁ、特に気にする必要はない。

 僕は父、母、祖母の三人をキッチンへと呼ぶ。

 誕生日席を空け、座る三人。

 コンロの火は十五分前から点けていたため、すでに鍋はぐつぐつと音を立てていた。

 だが、誰も箸を動かそうとはしなかった。

 沈黙が訪れた。

 皆、待っているのだ。姉が現れるのを。

 ――――――やがて、鍋が熱気を吐き出し高い音を立てた。

 僕はコンロの調節口を捻り火を止める。

 それを見て、母が口を開いた。

「さあ、食べましょう」

 皆の箸が動いた。

 母の一言を最後に、夕食中は誰一人言葉を発さなかった。

 そのまま夕食は終わり、僕は後片付けに移る。

 祖母は和室へ戻り、父は居間でテレビ。母は二階へと上がっていった。

 

 姉は、一年前に病気で命を失っていた。

 

 

 姉の帰省日に、姉はもう戻らない。

 僕らにその笑顔を見せる事はない。

 けれど僕らは、姉の帰省日―――盆の暮れと年末年始には、一つの家へ集まる。

 姉はいないのに、どうして僕らは集まるのか。

 四ヶ月前、盆の暮れにはわからなかったが、今でこそ、何となく、予想は付く。

 天国へ行ったからといって、姉の笑顔を失わせてはいけないからだ。姉は家族から愛されていた。誰が姉の不幸を喜ぶというのだろう。姉には幸せな家族の姿を見せなければならない。

 だから、僕らは姉のために演技をする。

 姉を悲しませないために、はたまた姉への贖罪のために、義務として。

 家族を演じるのだ。

 

 ふと、昔、一度だけ考えた事がある。

 姉はもしかしたら、僕らが家族を演じていると気付いているのではないか、と。

 気付いた上で、口にしていないのではないか、と。

 しかし、当時、それはあり得ない、と感じた。姉が僕ら家族を元の姿に蘇らせようとしない、理由がないからだ。あの姉なら、きっと僕らに救いの手を差し伸べたはずだった。

 けれど、姉は病を患っていた。僕らには隠していたけれど、病を患っていたのだ。

 そんな体で、僕らを元通りになんてできやしない。そう、姉は考えたのではないだろうか。

 だとすれば、姉が何も口にしなかったのは。家族への愛情のあかしだと考えられた。

 演技だとしても、僕らは姉のために、“家族”になっていたのだ。

 姉が死んでも、それは続いている。

 姉の帰省日に行われる舞台は、姉が残した、小さな家族の絆なのかもしれない。

 僕は実家の居間に寝転がり、眠い頭でそう思った。

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