ぷりんせすギア

arm1475

第1話

 不幸というモノは、人種身分問わず誰にでも平等に降り掛かるものである。

 しかし意外と、その身で思い知るまで、誰も気づかないものでもある。

 それがたとえ、泰平な国の王女であっても。


 その再会は唐突だった。正確に言うとそれは一方的な認識でしかないのだが。


「……まさか?」


 街の外れで興行を続けているサーカス団の元に仕事で向かっていたJBは、逗留している宿屋から出たところで、見覚えのある姿を見付けた時、ひどく戸惑った。

 あり得ない再会であった。

 彼にとって、大通りの向こうを歩く姿を見付けてしまった彼女は、こんな辺境の街に存在しているはずのない人であったからだ。

 JBは慌てて彼女を追いかけた。


「ちょ、ちょ、ちょっと、チェ――」


 そこまで言って、JBは慌てて口をつぐんだ。まるでその名を口にしてはならない禁断の言葉であるように。

 しかしその言葉は同時に、彼女が本物かどうか確かめられる唯一のものだった。

 だから、暫し考えた末、


「――チェスカ姫?」


 少し離れていたが、確かにJBの声は彼女に届いた。呼び止められた彼女はゆっくりと、駆け寄ってくるJBのほうへ向いた。

 と、次の瞬間、彼女は抱えていた買い物かごを両手で抱き抱え、突然走り始めた。


「なんで――」


 反応があった以上、間違いなく当人のはずである。なのに何故逃げるのか。



 JBに呼びかけられた彼女に、逃げる理由はなかった。

 逃げたのは単に驚いただけである。

 しかし止まらなかったのは、怖かったからであった。

 見知らぬ人間に、突然呼びかけられる恐怖。丁度今日、15歳になった少女には、見知らぬ人間はやはり怖いばかりであった。

 なにより、自分の正体を知っている――これが彼女を混乱させた。

 辺境の街や村を興行して回るサーカス一座に居候の身となってからまだ2年ちょっとであるが、雑用として使われ買い物で街に出ているうちに、街並みはもうすっかり頭に入っていた。

 だから、怯えて逃げながらも、何処をどう行けばサーカス小屋へたどり着けるか、身体がすっかり覚えていた。

 追いかけている相手がまだこの街に来て2日目だとは知らない彼女ではあるが、地の利では明らかに彼女の方が有利であったはすである。

 なのに、JBはいつの間にか彼女に先回りして現れた。

 彼女が走り抜けていた路地にある平屋の屋根の上を彼は駆け抜け、その身に纏う黒いインバネスコートの裾を鳥の翼のように広げて、彼女の目の前に着地して見せたのである。

 舞い降りた黒い影は、腰まであるプラチナブロンドの髪を尻尾のように振って彼女のほうをむいた。


「ひ、ひぃっ!」


 彼女は飛来してきた追跡者に仰天し、その場に思わず倒れ込んだ。

 抱えていた買い物かごから、頼まれていたオレンジや野菜を路面に広げてしまい、それに気づいてあわててそれを回収しようとするが、JBの姿を見るとまた驚きすくんでしまった。

 だが、足下に転がってきたオレンジをつかみ取り、何も言わず差し出すJBを見た途端、ふっ、と切れたように恐怖心が消え去っていた。

 JBは優しそうに微笑んでいた。


「……チェスカ……姫……ですよね」


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 ペガス国西部の辺境を中心に興行を行っているサーカス一座の下働きチェスカは、信じられないだろうが、2年前までこの国の王女であった。

 その運命の日までまさか、自分がこんなうらぶれてしまうなどとチェスカは思いもしなかった。

 といっても、クーデターに遭って王家一党が追放されたとか、他国の侵略を受けて王族の地位を追いやられたとか、そんな物騒な話はこの国が拓かれてから400年間、一度たりとも無い。

 この国の安定した統治ぶりは他国に類を見ないものであった。

 チェスカの父親でありこの国の王であるベガス28世は今なお健在で、この国の統治し続けている。

 そんな平和な国のお姫様が、今の立場にいる理由を手っ取り早く言うと、父王に勘当されてしまった為である。

 しかし、チェスカに一切罪はない。

 むしろ、彼女は被害者であった。


 その「原因」に拘わった錬金術師の青年JBであるが、まさかこんな辺境の地で、一国のお姫様がサーカス団の雑用をさせられているなど思いもしなかった。


「……やっぱり、そうですか」

「……?」


 驚くチェスカは、しかしその声に聞き覚えがなかった。

 それは無理もない話である。

 JBがチェスカと拘わった時は、チェスカは「死んでいた」からである。


 ぎぎぎ。


 久しぶりに、姫、と呼ばれたチェスカは、すっかり錆び付いた首を持ち上げるより、身体を起こした方が早い事に気づくのに少し時間がかかった。


「……あ゛な゛た゛、誰゛?゛」


 JBは思わず眉をひそめる。酷い声だった。錆び付いたその声は、酷使された人工声帯がすっかりボロボロになっている証拠である。いや、声ばかりかまったく手入れがされていないその身体は無惨にも赤錆に覆われていた。


「……あの王様、やっぱり人の話聞いていなかったのか」


 はぁ、とあきれ顔で溜息を吐くJBは、一国のお姫様が、こんな鋼の身体になってしまった3年前のあの事件をゆっくりと思い出しはじめた。――

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