第102話 三人の暗殺者


 静寂。

 月明りがステンドグラスに吸い込まれ、台座のモニュメント像をぼんやりと照らす。

 恒星の光を反射した残光、恐らくそれはこの世界も同じか。だがそんな青白い光源はここに於いて昼間のものより明るさを感じる神々しさがあった。



 よく磨き上げられた石床を一歩踏みしめる度に合金製ブーツと床がぶつかる音が真の存在をその空間に主張する。


 そんな刹那、白柱の間から幾つもの銀光が煌めいた。



 投げ短刀。

 真の視野は暗闇だろうが、眩しく照らす太陽の下だろうが全て最適領域の反射度を保つ。

 筋細胞活性による視力拡大、K.DVA動体視力は真に向け投げられたその全ての物質を余す事無く捉えていた。


 そして長きに渡る暴力の世界とフォースハッカーの武闘訓練によって最大限培われた身体は反射的にそれをどう躱すべきか理解していた。



 真にしてみれば一直線に飛ぶナイフ等眼前に羽虫が飛び込んできた程度の小事。

 真はだが、そんな投げ短刀を避ける事によって出来る隙を狙っているのだろう事をも理解し、最小限の動作のみでそれを躱して次の追撃に身を備えた。



 投げ短刀を放つと同時にやはり飛び出していたのだろう、真は背後に僅かな殺気を感じ取り反射的に身を屈めつつ肘打ちを繰り出していた。

 手応えを感じ、そのまま背後の獲物をその腕で掴み取ると床へと力任せに打ち付ける。



「ぐぶっ」


 床に打ち付けられた暗殺者、その顔を覆っていたフードが肌け苦悶の表情が顕になる。


 またしても黒髪の男。

 それを悠長に確認する間も無く、真は掴んでいた手を咄嗟に離すと素早く背後へと跳躍した。



 銀光が一瞬前まで真が居たはずの場所を薙ぐ。

 灰色のフードがふわりと背に落ち、月光に照らされ青黒く見える長髪。

 これで遂に三人目となるその暗殺者は、鋭く細いまるで一筋の線のような武器を手にしたまま忌々しいとでも言いたげな視線を静かに真へと向けていた。




「……リヴィバル出身が武器を使うのか」



 アニアリトはてっきりリヴィバルの人間であり、主に無手流を使うと思っていた真はそんな細剣を薙ぎ払う一人に思わずそんな事を問いかける。

 だが端正な顔立ちに似合わず冷たく鋭い視線を送るその暗殺者は、そんな真の問いに応える事もなく再度床を蹴っていた。


 真っ向からの剣撃。

 おおよそ暗殺者とは思えないようなその動きに、最早敵は背水の陣なのだろうと真は感じていた。



 横薙ぎ、突き出し、下段切り上げからの袈裟斬り横薙ぎと、留まる事を知らないその連撃は疾く、そして流麗。

 低身長を活かした剣の乱舞、峰等存在しない全てが刃となっているからこそ出来るその変幻自在な斬り込みは、真に僅かな動作停止も許さない。



 だが真にはそれすらお遊びの域を出てはいなかったのだ。

 殺気、憎悪、覚悟、感情、そんな心の闇や思いが込もる技の一つ一つは重みがあり、時として力となる。だがそんなものは真にしてみればただの枷。



 怒りも、憎しみも、不安も、怯えも、悦びも、全ての感情は技をただの暴力に変えてしまう無用の長物だ。


 真は知っている。

 いや、いつしかそうなっていた。

 暴力はいつしか技となり世界の頂点へと真を導いた。


 そうだと解ったのはフォースハッカーで古武術の指南役についていた男がそう教えてくれたからだ。



 ――お前のそれは最早暴力の域を超えている、その存在すらも一つの技。心技体とは即ち今のお前を言う、自らの業を、それ技と成せ。



 無。

 無心の暴力は最早技。

 いやそれこそが本来の技であり力なのだ。


 この暗殺者にはまだ何処か感情と言うものが朧気だが見て取れる。技量に差があればそれでも十分に通じただろうが今回ばかりは相手が悪かった。

 霧崎真は暴力を支配した人間、今となれば地球という星の、度を超えた科学力を施された最早兵器だ。




「少し喋ってもらおうか」

「っ!?」



 真は次々と繰り出されるその変幻自在な剣撃を全て躱しながら手元にカーボナイズドエッジを収束させていた。

 持ち手からカーボナイズドエッジにより瞬時に切り飛ばされるその細剣、目の前の暗殺者はそんな異常事態に僅かな動揺を見せつつもその細剣であったものを投げ捨てると今度は徒手に切り替えようとする――が、それは真を前にして叶うものではなかった。


 真は剣を斬り落とした後の次手を既に繰り出していた。

 カーボナイズドエッジを薙ぎ払い様、暗殺者の首付根にその手元を打ち付けていたのだ。



 鎖骨を狙った手刀。

 支部骨格の中でも折りやすく、比較的回復も早い部位であるがそのダメージは瞬発的な戦闘では有効に働く。

 肩、腕、胸まで奔る激痛は十分に相手を無力化出来るのだ。




「ぅ、ぐ……まだ……」



 激痛の中でも戦闘意欲を失わない目の前の暗殺者、その頑なな意思に思わず賞賛したくなるが、それよりも真は発された声音によりその暗殺者が女だと言う事に何より驚いていた。




「止めよ、ルーシィ!!」

「?」


「ッ!?……司祭様」




 真の背後、教会正面の扉が重々しく僅かに開かれ、月明かりに照らされて純白の祭服を纏う一人の老夫が教会内へと入ってきていた。眼前の暗殺者、その叫びは暗い教会内で反響する。



「司祭……黒幕ってか」



 真はアニアリトを纏めるのはあのサトポンとか言うふざけた名前の年寄りだと思っていた。つまりこの司祭は中ボス的な存在か。

 そんな考えは次の女暗殺者の言葉によって打ち消されていた。



「司祭様……何故ここに。寝殿の方に居られたのでは」

「ジギルから話は聞いた、もういいのだ。それ以上身を血に染める事はない……神よ、貴女等を赦し給え。我が身を以ってその罰をお与え下さい」



「司祭様っ!」



 司祭が何かに祈りを捧げるよう手を組んだ所で女暗殺者は悲鳴にも似た声を上げた。


 と同時、司祭の後ろからもう一人の人間が姿を見せる。

 足取り重く身体を引き摺り、必死に呼吸を繰り返しながら歩を進めるウェーブのかかった黒髪の男。




「ジギルッ!!貴様、何を考えているっ!」


「ぐっ、はぁ……ルーシィ……司祭様は……全てご存知で、私達を咎めなかった……全ての罪を、その御身で償おうと」

「な……」


「ごほっ、ぐほ……やはり、そうだったか。ルーシィ、これは神の思し召しかもしれない。もう、暗殺稼業は引退だ」




 広く、暗い教会に集まる暗殺者達。

 そしてそれらが慕うであろう司祭の登場。

 正直真にはこの状況を瞬時に推察する事は出来かねた。


 ただ一つ分かった事、それはここにいる人間達が真とは反対側にいる人間だと言う事だ。



 言うなればそう、リトアニアの会長やあの腹心を邪とするならば、ここに集う人間達は聖。

 真が悪ならば寧ろここにいる人間が正義なのかもしれない。


 不可思議な事態に、だが真は特に思う事はなかった。


















 アニアリトとは各地に存在する暗躍部隊だが、その人種はまちまちである。

 傭兵崩れからギルド関係者、凄惨な生を送った子供達からその親まで。中には人成らざる者もいるとそんな噂も陰ながら耳にする。


 ファンデル王都で主に暗躍するのはリトアニア会長サモン=ベスターの腹心サトポン率いるここに集いし三人だけである……筈だ。

 ルーシィ、ジギル、バイドは十五年前の王都魔物襲来の際に生き延び、この教会の司祭マーラ=ハイゼルネに拾われ命を永らえた。



 そのの恩返しがしたいと日々思っていた三人は、ある人間からの誘いを受けて数年前から高額な報酬と引き換えに暗殺稼業へ身を投じていたのだった。


 だが後に三人は気付く。

 この行為は司祭の教えに反する事だと。


 しかし教会には三人の他にも身寄りのない子供達がいる、今更暗殺業から足を洗う事等出来はしない。

 アニアリトの秘密を知った人間がそのまま平然と太陽の下を歩ける訳もなく、下手をすればこの教会の皆をも危険に晒す事になるのだと。



 仕方なかった。

 これは司祭に命を救われた三人の業。

 全て諦めたつもりだった、今日この任務に就くまでは。


 暗殺者として腕を磨いてきたはずのアニアリト三人を、まるで赤子扱いに相手取るこの男に出会うまでは。




「待て……ルーシィ、バイド。御人をここへ誘ったのは訳が、ある。ごほっ……御仁よ、その身のこなし。かなりの手練と見る。身勝手は承知で、一つ……どうか、頼まれては、貰えないだろうか」


 真の頚椎折りをまともに受けた筈の男は苦悶の表情を浮かべながらも必死にそう訴えかけてきた。

 名を恐らくはジギルと言う男。


 あの技を受けながらこうしてまともに動けているのが不思議なくらいではあるが、それも暗殺者としての訓練が成せる物種か。


 人を殺そうとして返り討ちにされた挙句、その敵に頼み事とは何とも手前勝手な話だとは思ったが、真にはこの話の裏にあるものが多少なり気になっていたのもまた事実であった。




「ふ、面白い事を言うな……話を聞くだけは聞いてもいい。頚椎を折られても動いて来たあんたに免じて。その先は内容次第だ」


「甚謝、する……」





 膝を付き、頭を床に擦り付けるその姿は何とも滑稽である筈なのに、月明かりに照らされたその男の背中はそれを影でただ見下ろす真よりも何処か人間味を感じさせていた。

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