第63話 乱れる心


「お、お待たせ」

「あ、あぁ……ありがとう」



 まだ日も上がってない時間帯にフレイと真は、小さな丸テーブルで顔を付き合わせただ静かにカフェインを啜る。


 互いに何故か掛ける言葉はない。

 真は必死で昨晩星空の下でフレイへ自分が発した返事を思い起こすが、何故か何も思い出せなかった。

 ただ夏樹と見たあの空を、プラネットルームで見た星を思い返し、そして――――あぁ、これが本物の星かと考えた。


 その後は、そう、フレイが息を飲むのを見た気がする。



「その――」

「なぁ――」



 互いに沈黙を破るべく発した言葉が重なり、気まずい空気が再度この小さな空間を支配する。



「……フレイから」

「……シンから」



 どうしてこんな時だけここまで気が合うのか、この繰り返しでは埒が明かない。

 真はゆっくりと溜め息をついて、フレイの視線を捉える。



「フレイ……」

「あ、はぃ!」


「…………おかしいぞ、今まで通りで頼む」

「あ……そ、そう……だな。す、すまない。その、こう言うのは初めてで」



 フレイは明らかに普段とは違う。

 それは恐らく自分との関係性が変わったと言う証拠であると真は判断していた。

 それはつまり自分はフレイと交際状態になったと言う事。


 だが問題は真自身にその様な返答をした覚えが無いと言う事だ。

 覚えは無いがフレイは交際状態と判断している、だとしたら何らかの真の反応がそう捉えられたのだろうが今更俺は何て言ったんだ等と言える筈もない。


 こんな事で大切な仲間を傷付ける事態になるのは真としても本意ではない。

 ならばどうするか、交際している体でこのまま普通に接するのが得策か。

 別にフレイとの交際が嫌だと言う訳でもない、ただ真の心には今だ夏樹の存在が色濃く残っている事がこの様な不安定な迷いを真に抱かせているのだ。



「一つ…………いいか?」

「え、あ、あぁ……何だシン?」


「もし俺が死んだら、お前は新しい相手を見つけるか?」



 真は自分の中にさ迷う不安を疑問としてフレイに投げ掛ける。

 それは他力本願で責任転嫁にも似たそんな質問だ。だが真には言わなくてはならない、夏樹と言う存在がいた事を。



「なっ、何だ急に…………そ、そんな事。私は……シン、お前を死なせたりしない。守る、だから……その、心配するな。それにシンがいなくなる等今は考えられない」



 そうだろう。

 真も同じだ、そう思っていた。だが出来なかった。真はカフェインの入った陶器を置き、ただ静かにテーブルの一点を見詰めながら口を開く。



「俺は……守れなかったんだ。死なせた、恋人を。なのに俺はのうのうと今を生きてる。復讐だけが全てだった、それでもまだ俺は生きてるんだ、こうして……おかしいだろ?愛した相手が目の前で殺されて、それでこうやって平然と生きてるなんて…………俺は、もう、人間じゃ無いのかもな」

「シン……?」



 フレイの目を見ることが出来なかった。

 今まで浮き立つ様だったフレイの声色が、今の真の言葉で一気に変化した気がした。

 だがここまで自分で整理して分かった、自分は狂っているのだと。


 愛する者を守れず、目の前で殺されて復讐に燃え、いつしかそんな感情すら無くなり、あげくに別の世界で楽しく生きている。



 そこへ来て新しい恋人?

 笑える。

 そんな思考が普通の人間で有り得る筈がない。


「俺は……もう人間じゃない。狂っているんだ、人を愛する資格も何もあったもんじゃない。笑える、今更仲間?恋人?はは、のんびり生きる?何を考えている……フレイ、俺は――――」



 突如カフェインの陶器がテーブルの跳ねる衝撃に合わせて倒れ、溢れた黒い液体がその場に広がった。


 黒い液体はやがてテーブルの木目を侵食して行く。

 その様子はまるで真自身が何かに侵されていくのを如実に現しているかの様にすら思えた。



「もう……もういい、シン。大丈夫……大丈夫だ。それに、私も……人間じゃ、無いのだろ?なら一緒だ、シン、私が、私がシンと、共にいるから……」



 体温……それは感じる事の無いはずの感覚、フレイの身体はだが温かく、そして柔らかく真を包み込んでいた。

 真はそんなフレイに抱かれ、ただ今は全てを考える事を止めた。



 













「……うぅ、お待たせしました……頭が痛いです」

「おい、ルナ!しっかりしろ、今日は試合だぞ?」


「だ、大丈夫……です」



 ルナは眠そうだった眼を擦るが、どうやら昨晩の酒が効いているらしい。

 まだ時刻は明け方前、真のデバイスでは5時を少し回った辺りだ。



 真とフレイはあれから互いに何処か少しだけ意識しつつも普段と同じ様に振る舞おうと決めた。

 結局の所フレイと交際しているのかどうかははっきりしていない。

 ただ真の胸の内にはまだ夏樹の存在があるが、それでも今、崩壊しそうな心を保っていられるのはフレイが傍に居てくれるからなのだろうと改めてその存在の大きさに気付かされたのだけは間違いようの無い確かな事実であった。





 閑話休題。

 フレイの話ではトーナメント受付はもう始まっていると言う。

 組み合わせ表が出るのはまだ少し先であり、開始の合図が上がるのは昼前だと言う事だが、その前に受付を済ませなければならないので早めに行った方が混まないとの判断でフレイと真は一向に出てくる気配の無いルナを叩き起こしていた。




 三人共にまだ薄暗い街並みをこれと言った装備もせずにしんみり歩く。

 小山の様な灰土の家々は所々ぽつぽつと空く穴から柔らかいオレンジ色の灯りが漏れ出ている。


 それは最早街全体がイルミネーションのイベントに参加している様にも見えた。



 そんな中でも一際灯りを漏らし、大きな門の両脇に燃え盛る炎を灯すコロッセオ。

 そこが受付であり本日から二日に渡って行われるザイールトーナメント本選会場だ。


 緊張の面持ちのルナとフレイに続き、街並みに魅入られる真も短い階段を上がり開け放たれた門より中へと入る。

 とてつもなく広い室内には数本の柱が建物全体を必死に支えているが、他に目立つものはこれといって特に無い。


 ただ一点、広い室内の奥にもう一つの大扉。

 その横に長いカウンターが設置され、そこには受付の者が三名待機し出場者とおぼしき人間の受付を既に開始していた。

 広がる床をひた進み、先に受付をしていた男達が捌けるのを見計らいながらフレイが受付に登録証を見せる。

 それに倣って真とルナも露天商女のアリィから受け取った登録証を受付に提示した。



「フレイ=フォーレスだ」

「ルナ=ランフォート、です」

「……シンだ」



「ええ、フレイ様、ルナ様と……シン様……はい、皆様同じ店舗【天福商店アリィ=マカフィスト】より装備品が届いております。此方の鍵をお持ちになって彼方の部屋にてお着替えください。その鍵番号と同じ棚に装備品を入れております、貴重品、その他の肌着以外の物をお持ちでしたらその棚に入れて鍵を再び此方へお持ちください」



 天福商店と言う名に聞き覚えは無いが、アリィと言う名から恐らくそれで間違い無いのだろうと三人はそれぞれ受け取った鍵を持ち、指示された部屋へと向かう。


「女は此方か。シン、着替えたらここで待ち合わせでいいか?」

「ああ、大して着替える物も無いがな」


「はは、それもそうか。じゃぁまた……ルナ、行くぞ」

「あっ、は、はいぃ!」



 話し方はいつもと同じだが、真とフレイは今までよりも何かの距離が縮まっているのを感じていた。

 それが恋心なのかは今は分からない。

 それが夏樹に対して裏切ると言う様な行為となるのか、自分に今更人を愛する資格があるのかすらも。


 真はそんな迷える意識を抱えながら部屋へと入ったのだった。



 ロビーに負けずと広いその空間には壁沿いにびっしりと幾つもの棚が並んでいる。まだ真以外に人がいない中、いち早く鍵番号と同じ棚を見つけその細長い扉を開け放つ。


 中には見慣れた合金製ブーツとリヴァイバル王国製だと言う漆黒のコート。そしてそれと同色の見知らぬ指貫グローブが両手分入っていた。


「何だ、これは……手紙?」



 グローブの中から折り畳まれた上質な紙、そこにはアリィから真に向けた言葉が綴られていた。


――――シンちゃんへ

 そのグローブはサービスね!べ、別に変な意味じゃ無いんだからね!惚れないでよね!絶対惚れないでよね!あと、試合、見てるから、絶対勝ってね!プラチナグッバイ!


 アリィより。



「ふぅ…………勘弁してくれ」



 アリィの好意は嬉しいが、このタイミングでこうも様々な女から寄せられる想いに真は胃が痛くなる思いだった。

 だがふと自分の持ち物であるデバイスの事を思いだし、これを鍵がかかるとは言えこの場に置いていくのに気が引けた真は指貫グローブを見てある事を思い付いたのだった。




(サービスね……プラチナ、いいタイミングだ)



 真は心の声が誰かに聞かれていない事を祈りながら手に通した指貫グローブの中にデバイスを仕舞い込んだ。


 ただ今はこの一時を、この仲間を、失わない様に自分が出来る事をやればいいと思いながら真は部屋を出たのだった。

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