番外編 『告白』(前)


「水森」

 向こうから来た、見覚えのある顔に声をかける。

「早瀬、おはよー。こんなとこで会うの、珍しいね」

 講義の合間や、昼時に構内で顔を合わせることはあるが、朝から正門前で会うのは確かに初めてだ。

「っていうか、水森はなんで、そんな方から来るわけ?」

 水森の家からなら、自分と同じ路線を使うはずで、当然同じ方向から歩いてこなければおかしい。

「もしかして、道に迷ってたのか?」

 入学して二ヶ月が経っているから、ないとは思うが、たまに妙にすごく抜けている水森なら、ありえなくもないかもしれない。

「あのさぁ、早瀬。私、実際道に迷ってたことってないと思うんだけど」

「そうだったか?」

 ぼんやりしていて、危なっかしいせいで、いつの間にか迷子のイメージが付いただけか?

 迷っていないというのが本当なら、反対方向から来た理由がわからない。

 一限目が始まる前のこんな時間に、どこかに寄り道ということもないだろう。

 隣りに並んだ水森に視線で理由を促すと、少し困ったように俯いて溜息を吐き出した。

「一人暮らししてるから、徒歩通学なの」

「……聞いても?」

 水森の家からなら、普通に通学圏内のはずで、一人暮らしの必要はないはずだ。

 わずかに言い淀んだ様子から、何等かの事情があるんだろうとは察せられた。

 そして、それに踏み込むのは少しためらわれた。

「実は一限目に提出のレポートがまだ終わってないんだよね」

 顔を上げた水森は小さく舌を出す。

 話す気はないということだろう。それはそれで構わない。

 それなりに近しい友人だと思っていたので、残念に思わなかったと言ったら嘘にはなるけれど。

「だからさ、お昼休み。時間あるなら一緒にご飯しよう。六号館食堂にいるから、メールして」

 早口で言い残して、水森は小走りで立ち去る。

 話をごまかすためにレポートを持ち出したわけじゃないようだ。

 良く考えれば、一限目開始よりはずいぶん早い。電車の時間のせいで微妙に早く着く自分とは違い、近場で一人暮らししているなら、こんな時間に来なくてもいいはずだ。もともと講義が始まる前に書いてしまう予定だったのだろう。

 残念に思った。それは嘘ではないが、いざ改まって話をするとなると、少し面倒な気がした。

 ひどく、勝手だけれど。




 【窓際。カウンター席にいる】

 二限目の講義が終わる時間を見計らって短いメールを送る。

 しばらくすると、きょろきょろしている水森の姿を見つけて軽く手を上げる。

「早瀬、はやかったんだね。私のとこも五分前には終わったのに」

「こっちは休講だった。席確保できたから丁度良かったけどな」

 話をしやすい二人掛けの席やカウンターは座席数が少なく、昼休みが始まってからだと、見つけるのが難しい。

「助かったよ。何食べるか決めてる? 買ってくるよ」

「おれが行く。二人分もってくるとか、無理だろ。何にする?」

 水森を隣の席に座らせて、代わりに立つ。

「……ありがと。食券は二限目始まる前に買っておいたから」

 反論したげにこちらを見上げるが、諦めたようにお礼を口にする。

 賢明。水森ではどう考えても、一度に持ってこられないし、長いわけでもない昼休みに座席まで二往復するとか、無駄でしかない。

 まぁ、時間短縮のために食券を先に買っておいたんだろうけれど。



「で?」

 水森が粗方食べ終わるのを待って、促す。

 下手するとこのまま昼休み終了で、肝心の話が出来ないまま普通にご飯を食べただけで終わる。

「べつに、改まって話すほどのことじゃないんだけどね」

 今、こちらが切り出すまで、口を開かなかったのにか? 他愛のない無駄話はしてたくせに。

 非難の色に気付いたのか、水森は困ったように笑う。

「いや、うん。言いやすいことでもなかったしね。それに、あえて隠してたってわけでもないんだよ。うん」

 少しだけ残ったスープを飲んで、水森はため息を一つつく。

「両親が離婚したってだけなんだよ。だから、ついでに私も一人暮らしすることになって」

「……そっか」

 大変だったんだろうと思うけれど、それを口にするのは憚られた。

 水森は、問題のあるうちの事情もある程度知っているはずで、だからこそ、慰めや気遣いは、逆に気に病みそうだ。

「うん。もともと、なんていうか、仲が悪いわけじゃないけど、良くもないっていうか、淡々とした同居人みたいな雰囲気だったから、なるべくしてなったというか、察しはついたし、さほど驚きもなかったんだよね。どっちも、それほど遠くに住むわけじゃないから、私は、いつでも会えるし。学費も生活費も面倒見てもらえるし。特に問題ない感じ」

 口をはさむ隙もないくらいに一気に言い終わると、水を飲み干し、ほっとしたような顔をする。

「早瀬、三限目は?」

「出るよ。水森は?」

「今日は四限まである。基礎数学A・B、連続って嫌がらせだよねぇ」

 水森はため息まじりにぼやく。

「いや、一応理系だろ」

「文系科目だけで受験できたから、ここまでがっつり数学組まれるとは思わなかったんだよ」

 理系コースにいたくせに文系科目で受験したのも、カリキュラムをしっかり確認せずに受験したのも水森の自業自得だ。

「水森」

 トレイをもって返却口に向かう水森の背中に声をかける。

「わかってるよー。自業自得だよー」

「そうじゃなくて、水森。飯はどうしてるんだよ」

 呼んでも振り返らなかった水森の背中は、改めて見ると以前より少しやせて見えた。

「食べてるよ。ちゃんと」

 食器を片付ける水森は視線を合わせないまま答える。

「昨日の夜飯」

「…………メロンパン」

 はぁ?

「他は?」

「……メロンパン?」

「つまり?」

「メロンパン、おいしいよね?」

 誤魔化し笑いに、わざとではなく大きなため息がこぼれる。

「メロンパンだけってことか? それがちゃんと食べてる? へぇ?」

「……いつもじゃないし」

 視線を落として反論してくるが、全然信用できない。

 せいぜいがコンビニ弁当だろう。

「またメールする」

 ここで埒の明かない話をしていても仕方がない。

「何を」

「考え中」

 不満気な水森の声を聞き流し、聞かれないように小さく溜息をこぼした。



「早瀬。ひさしぶり」

 校舎から出たところで名前を呼ばれ、声の方を振り向く。

「……塚田もここだったか?」

「ちがうよ。朔花と待ち合わせ。早く着きすぎたから他校を探索するのもいいかと思ってたんだけど、丁度いいや。早瀬、時間ある?」

 帰るところだったし、特に用事もないので頷いた。

――

「早瀬は朔花とよく会うの?」

 構内のカフェに入り、席について早々塚田は口火を切る。

「たまに会う。というか、すれ違うくらいか? 軽く雑談くらいはするけれど、わざわざ会ってってのは、ほとんどない」

 この間、昼食をとったのと、入学直後くらいにやっぱり一緒に学食に入ったのくらいだ。

 学部も違うし、お互いそれなりに忙しい。大体、水森もこまめに約束を取り付けるタイプじゃない。

「そっかぁ」

「……塚田は聞いてるんだよな」

 どこか残念そうにも聞こえる相槌に含むものを感じて曖昧に確認すると、塚田はほっとしたように笑む。

「良かった。話せてたんだ」

 水森本人に話す気があったかどうかは謎だ。一人暮らしをしていることがばれなければいまだにそのまま口を噤んでいたと思う。

 そう告げると、塚田は苦笑いする。

「まぁ、そうかもしれないけど。朔花、自分のこと話すの苦手っていうか、下手なんだよねー」

 わかる気がする。

 基本的に自己完結してるというか、要領が悪いというか。

「ちなみに、私も親経由で朔花の家が引っ越すっていうのを聞いて、その真偽を問いただした感じだから早瀬とそれほど状況は変わらないんだよねぇ」

 それはちょっと重症だ。

 自分とは違い、塚田とは付き合いも長いはずだし、学校外でも会っていたはずで、早々に話をしておくべき相手だと思う。

 眉をひそめていると塚田はかるく笑う。

「だから、朔花は別に早瀬のことを信用してなくてとかで話さなかったわけではないから。気にしないでやってね」

 そんな風に見えたのかと思うと、多少、結構、不本意だが、反論してもいなされそうなので、軽くうなずくに止める。

「そういえば、塚田は料理は出来るのか?」

「最低限、かな。私は実家暮らしのままだし、母は専業主婦だし、作る機会もあんまりないから」

 少々唐突な話題転換だったのに、特に気にした風もなく答える。

 水森もきっと同じ感じだったんだろう。それなのにそのまま一人暮らしを始めて、まともな料理が出来ないまま今に至る。

 しかし、少しアテが外れた。

 塚田は器用に料理もこなしそうだから、水森に叩き込んでもらえればちょうどいいかと思っていたのに。

 他の手を考えるか。

「早瀬が朔花に教えれば良いのに」

 こちらの考えを読んだのか、塚田はあっさりと有難くないことを口にする。

「それは無理」

「なんで」

「外聞悪いだろ」

 料理を教えるとなると、どちらかの家でということになる。

 お互い一人暮らしで、そんなことをしていたら傍からどう見られるかわからない。

 自分はともかく、一応女である水森に、妙な噂がついては問題だ。

 塚田はカップのコーヒーを一口飲んでから、ほんの少し声を潜める。

「なんで、付き合わないの?」

「そういう好きじゃないから」

 良い友人だとは思うけれど、そういう感情は持てない。

 水森に限らず、誰に対しても。決めていることだ。

 納得してなさそうな顔をしながらも、塚田はそれ以上突っ込むことはしない。

 引き際を心得ているというか、こういうところは素直にありがたい。

 が、自分ばかり責められているようで多少癪なので逆襲を試みる。

「そういう塚田は? 東とはうまくいってるのか?」

「可も不可もなく。向こうは関西行っちゃったし、たまにメールするくらいだよ。もともと……あ、ごめん。メール。朔花だ」

 淡々とした説明。淡白なのか、さほど仲が良いわけでもない自分に対してのポーズなのかは測れない。が、特にそれ以上追及する気もなかった。

「早瀬。ここどこって言えば分かる?」

 突きつけてきた携帯の画面には『今終わった―。どこにいる?』の簡潔なメール文。

「十四号館、カフェ」

「ありがと」

 簡潔な返事に礼を言うと、塚田は返信をする。

「じゃ、行く」

 暇つぶしの相手はもう必要ないだろう。

 立ち上がると塚田はあきれたように笑う。

「そんな逃げるみたいに行かなくても」

「ジャマしちゃ悪いという心遣い」

「そういうことにしといてあげる。ありがとね、早瀬。朔花をよろしくね」

 最後に付け足された言葉に、いろいろ言いたいことはあったが、何を言っても結局無駄な気がして無言で軽く手を上げておいた。



「早瀬」

 混雑した食堂のざわめきの中、自分を呼ぶ声に顔を上げる。

「……水森」

「会えて良かった。金曜日はありがとう、って真由が」

「?」

 塚田? 何かしただろうか。

 こちらの怪訝そうな表情がうつったかのように、水森は不審げに眉をひそめる。

「金曜日、会ったんだよね? 半ば無理矢理お茶に付き合わせちゃったからって言ってたけど?」

「なんだ、そんなことか。律儀だな、塚田も」

 水森も変なとこ律儀だから、類は友を呼ぶというか。

「なに。思い出し笑い?」

 空いていた隣の席に座った水森は不気味なモノを見たふうな微妙な表情を浮かべている。

「ちがう」

 いや。違わないのか? 

「早瀬。オマエが裏切り者だったのか」

 無駄に低く抑えた声が降ってくる。

「なんだよ。日野。唐突に」

「いやいや、毎回どれだけ誘っても合コンに来てくれない理由が判明したからさ。自分だけ、こんな可愛いカノジョを作ってるなんて、裏切り以外の何物でもない」

「カノジョじゃない」

「えぇ? あんなに仲良さ気だったのに? ほんとに?」

 日野は確認するように水森の顔を覗き込む。

「え? 私のことを話してたの?」

 コンビニの袋から何やら甘そうなパンを取り出していた水森は目をしばたたかせる。

 何を他人事みたいな顔をしているかと思っていたら、本当に他人事だと思っていたのか。

「えぇと、カノジョじゃないですよ。仲良い? のは同じ高校だったからで」

「そうなんだー。無愛想な早瀬がにこやかに話しているから何事かと思ったんだけど。カノジョじゃないならなおさら、良いね。早瀬と一緒にコンパに来ない?」

 なに勝手に話を進めてるんだ。

「おれは行かないぞ。水森は行きたければ行けば良いけど」

「えぇと、私は行かないです」

 困り顔で水森は日野に軽く頭を下げる。

「なんで? クラスの親睦を図るゆるい飲み会なんだし、っていうか、ぶっちゃけ女の子に来てほしいんだよね」

 水森はクラスどころか学部も違うんだが。

「早瀬がちゃんとクラスに溶け込まないから、とばっちりだよ」

 ぼそぼそと、しかししっかり聞こえるように文句を吐き出す。

 おれのせいかよ。

 日野にも聞こえていたようで、我が意を得たりと言わんばかりに水森に顔を近づける。

「ほんとにねぇ。コイツ、協調性ないよね。水森ちゃん、どう思う?」

「どうって、早瀬らしい。そして申し訳ないけれど、私はご飯を食べてから三限に向かいたいので、続きは二人で話してください」

 一応笑顔らしきものを向けてはいるが、完全に不機嫌だ。

「ってことで、話は終わり。おれは出ない。日野もさっさと飯を食ってこい」

 何か言いたげにしながらも、さすがに空気を読んで日野は撤退する。

「怒ってるな?」

「怒ってない。早瀬に顔色うかがわれるとか、明日雨降る」

「重ね重ね失礼だな」

 深々と溜息をこぼして、それでもまだ、どことなくぶっきらぼうな声に苦笑いで返す。

「なんかどっと疲れたよ」

「巻き込んでわるかったよ。っていうか、水森は間が悪い」

 高校の時も都や要にいいように振り回されていたのを思い出す。

「不可抗力」

 水森はもそもそとパンを口に運ぶ。

「それはいいけど、何で水森はまたそんなモノ食ってるわけ? もう少し栄養バランス考えた食事は出来ないのか?」

 甘そうなパンを食べ終わった後に残されたのはクルミパンひとつで、炭水化物糖分過多、野菜不足も甚だしい。

 この調子だと朝晩とまともなものを食べているとも思えないし、せめて昼食くらい学食で栄養を取ってほしい。

「たまたまだよ。いつもはサンドイッチとかおにぎりとか……」

 言いながら大して変りがないことに気が付いたのか、語尾が誤魔化すように細くなる。

「この後の予定は?」

「三限が終われば帰るだけ、だけど?」

「じゃ、終わったら生協前」

 一方的な言い方に、水森は思い切り眉をひそめる。

「なに、それ」

「大丈夫だ。悪いようにはしない」

「不安しかないんだけど」

 顔をしかめながらも、水森は完全拒否の態勢はとらない。

 その程度には信用してもらえているのだろう。

「じゃ、あとで」

「ねぇ、もしかして都さんの家に向かってる?」

 最寄駅でおりて、五分ほど歩いて水森はようやく気付いたようだ。

「今頃?」

「だって、思ってもみないし」

 極力、近寄らないようにしているから、ある意味水森は正しいけれど。

「で、何しに? 都さんは居ないよね」

 都が関西の大学に行っていることは水森も知っているから、わかっていての確認だろう。

「いないだろうな。要ならいるかもしれないけれど」

「ってことは、要さんに用ってわけでもないんだよね」

「何。会いたかった?」

「逆。いないと良いなぁって思ってる」

 そうだろうとは思っていたけれど、予想以上に嫌そうな顔をされ思わず笑う。

「そこで笑うかなぁ。で、理由は?」

「一人で行くのが嫌だから水森を巻き添え」

「うそ。早瀬は本当に嫌なら行かないし、嫌々行くにしても他人を巻き込まないでしょ」

 妙に断定的な口調に、返す言葉をなくす。

 良い方に解釈されすぎるのは居心地が悪い。

 無言になっても特に気にした様子もなく並んで歩くその横顔に、気付かれないようにため息をこぼした。



「いらっしゃい」

 昔から変わらない、青乃のにこやかな歓迎。

 普通に考えたら、不愉快でしかない自分の存在を快く受け入れられる心境は相変わらずさっぱりわからない。

「こんにちは。無理を言ってすみません」

 水森に約束を取り付けた後、メールで連絡をしておいた。急なことなのに二つ返事で引き受けてくれた。

「全然無理じゃないし、静史郎に頼ってもらえるなんて嬉しい上、朔花ちゃんにも久しぶりに会えて良いことづくめじゃない? 入って?」

 この寛容さに甘えてしまう自分も悪いのだけれど。

「青乃さん、お久しぶりです。お邪魔します」

「どうぞ。料理習いに来てくれるなんて嬉しいわ」

「料理?」

 きょとんとした顔の水森を見て青乃さんが呆れたようにこちらを見る。

「静史郎。あなた、何も言わずに連れてきたの?」

「先に言ったら逃げられそうだったんで。水森。青乃さんに簡単で保存のきく料理を習って、まともな食生活ができるように頑張れ」

 干渉しすぎだとは思うけれど、偏った食生活に加えて、痩せてきているのを見ると放っておけない。

「おせっかいだよ! らしくないでしょ、早瀬」

「そうさせる水森が悪い。青乃さん、よろしくお願いします」

「あら、静史郎は一緒じゃないの?」

「水森の気が散りそうなので、おれは、ばあさまのところに行ってます。見計らって、戻って来ます」

 文句を言いたげな水森の視線に気付かないふりをして、庭伝いに隣りの家に向かった。


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