番外編 『オワリハジマリ』


 一世一代の恋だと思っていた。

 ずっと一緒にいられると思っていた。

 でも、それは無駄で無意味だと無残にうち破られた。



 いつもなら、まして進学年初日であれば余裕をもって登校するのだけれど、そんな気にもならず、始業ぎりぎりにクラス替え発表を確認して教室に滑り込んだ。

 席について間もなく担任が入ってきて、ざわついていた教室が静まったことに少しほっとしながら、そっと周囲の席を見る。

 右隣は一年の時に同じクラスだった、どちらかというとおとなしめの男子。

 左隣は……見たことのない男子だった。

 学年五クラスしかないから、名前は一致しなくても全員顔見知りのはずにもかかわらず。

 視線を感じたのか、その男子は人懐っこい笑みを浮かべる。

 無邪気で屈託ないその笑みから顔をそむける。

 微笑み返す余裕とか、全然なかった。

「とりあえず、クラス委員決めよかー。立候補、および推薦ー」

 常時ゆるい感じの英語教師は、担任になってもやはり緩いままで、やる気があるのかないのかさっぱりだ。

 こういう時に積極的に発言する生徒なんかいるわけなく、最終的に出席番号が男女それぞれ一番の人間を担任が指名して終了になるのが通常だ。

「はいはーい」

 予想は外れ、左隣から元気な声が上がる。

「ん。あー、小崎?」

「立候補。おれ。ついでにお隣のウメハラさん、推薦で」

 担任に指名されると立ち上がり、とんでもないことをさらりと言う。

 いや、立候補は良い。やる気あふれるのは素晴らしいと思う。ただ、ついでに指名した名前が大問題だ。

「他にー」

 黒板に小崎、梅原と書いて、担任は教室を見回す。

「私、知らない男子から指名される覚えないんですけど」

 今年同様、出席番号が一番のこともそこそこあるので、クラス委員をやることは慣れている。面倒だけれど、仕方ないとも思ってる。

 が、初対面の名前も知らない相手に推薦されるのは意味が分からない。そして、一緒にいたくないタイプだ。今は特に。

「好きな子とクラス委員一緒にやるって、ちょっと良くない?」

 小崎はこちらを見て、にっこりと笑う。

「はぁ?」

 何言ってるんだコイツ。

「一目ぼれってあるんだなぁ。ってことで、よろしく」

「じゃ、他にないようなので、小崎伸哉と梅原都にクラス委員をお願いしようと思います」

 はさんだ異議は黙殺して担任は簡単に決まって良かったと言わんばかりだ。

 クラス中の拍手がひろがり、文句を挟む隙がなくなる。

「あ、梅原。小崎は転入生だから校内案内してやってな」

 そういうやつをクラス委員に据えるのはどうなんだ。

「よろしくね、都ちゃん」

 当たり前みたいに下の名前を呼んで、向けられた天真爛漫な笑顔が、心底腹立たしかった。



 中学三年での転入というのは結構微妙でいろいろ大変だとは思うけれど、小崎伸哉はよく言えば無邪気、言い方変えれば無遠慮な元気さでもってすぐにクラスに馴染んだ。

「小崎、委員会始まる」

 クラスの中心で、他の男子とやかましく騒ぐ小崎に眉をひそめながら声をかける。

「あとから行くから、都ちゃん先行っててー」

 机の上に立って、小崎は手を振る。

 絶対来ない。賭けてもいい。

 自分から立候補しておいて、何あれ。

 信じられないほどガキ。ありえない。

「わかった」

 たぶん、以前の自分だったら無理矢理にでもつかまえて引っ張っていった。

 けれど、もうそんな面倒くさいことする気力もない。勝手にすればいい。関わるだけ労力の無駄だ。

「都ー。あれ、サボる気だよ。良いのぉ?」

「どうせ来ても役に立たないし、うるさくなるだけだから、来ないほうがマシなんじゃない?」

 心配してくれるクラスメイトにため息を返す。

「男子ってガキだよねぇ。なんか手伝えることが出たら言ってね」

 呆れ顔で同調してくれる友人の気遣いに感謝して、一人で委員会に向かう。

 例えばこんな時、あいつだったら。

 マイペースだし、無愛想だけど、それでもやらなければならないことはキチンとする。

 比べても意味ないことなんてわかってるけど。

「バカみたい」

 ずっと知らなかったのは自分だけだ。滑稽すぎる。

 それでも、まだ好きだとか。全然無意味なのに。

「バカみたい」



「都ちゃーん。一緒に帰ろ」

 パタパタと追いかけてくる足音と声を完全無視で門に向かう。

 どれだけ面の皮が厚いんだ。

 予想通り委員会には来なかった小崎は、しっかり部活に出ていたようだ。

 こちらが帰るところを目ざとく見つけたらしく、練習着のまま駆け寄ってくる。

 追いついた小崎に目の前に回り込まれ仕方なく足を止める。

「迷惑。私、小崎みたいにいい加減な人間キライだし、すごくうっとうしい」

 事実とはいえひどいことを言っている自覚はあった。けど、止められなかった。

 半分は自分勝手な八つ当たりで、言い終えてすぐ自己嫌悪に陥る。でも、私だけが悪いんじゃない。

 小崎は気にした風もなくにっこりと笑う。

「だよねぇ。でも、おれは都ちゃんが好きだからさ」

「…………私、好きな人がいる」

 ぜんぜん堪えていない笑顔が正視できずにうつむいて呟く。

「別に関係ないでしょ。おれはおれで勝手に好きなんだから、都ちゃんは都ちゃんで好きな人がいても自由だし。でも、本当に好きならもっと堂々としてればいいんじゃない?」

 何それ。何にも知らないくせに。

 顔を上げると、のほほんと何にも考えていないような顔していて。ムカつく。

「とりあえず、クラス委員は自分で立候補したんだから責任は果たして」

「んー。がんばる」

 歩き出すと小崎は隣に並ぶ。

 なんで当たり前みたいに一緒に帰ってるんだろう。

 あんなひどいこと言われて、平気な顔で並べる小崎の神経が分からない。

「都!」

 聞き慣れた呼び声に、あわてて顔を上げる。

 校門のところに立つ姿は逆光でよくわからないけれど、誰かはすぐに分かった。

「お兄、なんでいるの」

 吐き出た声はとげとげしかった。だって、まだゆるせていない。

 お兄は気分を害した様子もなく、ただ苦笑いしたようだった。

「オトモダチ?」

 隣に立つ小崎に視線を向ける。

 小崎がぺこりと頭を下げ、口を開く前にそれを遮る。

「違う。カレシ」

 小崎の手をつかみ、引っ張る。

「一緒に帰るから、行くね」

「夕飯までには帰れよ」

 話があって、わざわざ中学校まで来たくせに拒絶をしっかり感じ取ってくれたようで、諦めたように見送ってくれる。

 そうやって余裕綽々なところも、結局甘やかされてる自分にも、腹が立つ。

 いつもの帰り道とは逆方向に歩いて、住宅街の中の小さな公園に入って、ようやく小崎の手を引っ張ったままなことに気がついて、手を放す。

「ごめん」

「なにがぁ? 都ちゃんと手ぇつなげて、おれって超幸運」

 屈託なく笑って、小崎は小さな滑り台を駆け上がる。

 ちっちゃい子どもみたい。

 のぼって滑ってを繰り返す小崎をブランコに座って、なんとなく眺める。

 帰りたくない、なぁ。

「都ちゃん?」

「……ごめんね、つきあわせて。私もう少しいるから、小崎、先に帰って?」

 さすがに飽きたのか、滑り台を後にしてブランコの前に立つ小崎に謝る。

 小崎は隣のブランコに座ると、ゆっくりと漕ぐ。

「ねぇ、さっきの人、お兄さん? が、都ちゃんの好きな人?」

 おずおずとした口調で小崎に尋ねられ、思わず絶句する。

「なんで」

「なんとなく。なんか、都ちゃん、しんどそうだったから」

 これは聡いと言ってもいいのか。

「違うよ。好きなのは、別の人」

 嘘ではない。それは兄ではなく、異母弟だった。知らなかった。自分だけが知らされていなかった。

 信じてない風の小崎に続ける。

「ただ、相手のことお兄も知ってるし、そのことで、ケンカ中だから」

 あまり答えになっていないことを、ぽそぽそと伝える。

 聞いているのかいないのか、小崎はブランコに立って大きく揺らす。

「都ちゃん、さっき、カレシって言ってくれたの、たぶんっていうか、当然その場限りの言い逃れなんだと思うけど、有効にしてもらえないかな」

 空を見ながら、小崎は言う。

「ごめん。勝手にあんなこと言って、小崎の好意、利用した」

 ブランコを漕ぐ小崎の前に立って頭を下げる。

「都ちゃん、真面目だなぁ。そーいうところも、好きだけどね」

 スピードを緩めながら小崎は小さく笑う。

「ごめん」

「謝んないでよ。……都ちゃんが、まだその誰かを好きでもいいからさ、お兄さんに対するウソの続きでいいから、カレシってことにしてくれないかなぁ」

「意味が分からない。なんで、そこまでして私なの?」

 一目ぼれって言ってたから、まぁ顔が好みだったんだろうとは思うけど、別に特別に美人なわけじゃないし、半ば八つ当たりのように対応してることも多いし、好きって言ってもらえる要素が見当たらない。

「都ちゃんだってダメでも好きなんでしょ。おれも一緒だよ」

 ぜんぜん一緒じゃない気がする。だって私は子供のころからずっと一緒にいた。

 それでもあまりに当然のような顔で言われると反論がしにくい。

「ってことで、どうかなぁ? まぁ、ダメでも今まで通り、都ちゃんにまとわりつくけどね!」

 ひょいとブランコから飛び降りて着地をした小崎は振り返って笑う。

 まとわりつくって、なんかヤだな。っていうか、自覚あったのか。

「私、好きなタイプ、小崎と正反対だよ? だから、きっと友達以上には好きにならないと思う。それでも?」

 いい加減で、子どもっぽくて、責任感もない感じで、だけどまぁ、友人としては結構いいヤツかもしれないと思わなくもない。

 無愛想で、しっかりしていて、わかりづらいけどやさしいあいつとは大違いだけれど。

「充分。マイナススタートのほうが、良いとこ見つけた時に評価がより高くならない? 『あの小崎にこんな素敵なとこが!』ってなること、請け合い」

 実際そうだとしても、手の内さらすのはどうかと思う。

 変な奴だ。

 ほらやっぱりぜんぜん違う。だからきっとやっぱり好きにはならない。

 それでも、だからこそ気が紛れるかもしれない。

 自分勝手な理由で、自分本位に利用する。

「じゃあ、とりあえず友達以上カレシ未満ってことでどうかな?」

 打算に満ちた提案だと小崎にだってわかってるはずなのに、うれしそうに笑う。

「うん。大丈夫。都ちゃんはきっとおれを好きになるから」

 だから、その根拠のない自信はなんなんだよ。

 バカみたいで、おもわず笑う。

「よろしく、伸哉」

 名前で呼んだら、驚いたその顔が真っ赤に染まる。

 その反応に意表を突かれてこっちの顔まで熱くなる。

 ヤバい、なんだこれ。

「都、帰ろ」

 真っ赤なまま差し出された小崎の手に手を重ねた。

 好きになんてならない。きっと。たぶん。まだ。

 ……当分。

 

                                  【終】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る