第10話

「朔花、何へたれてんの? 帰らないの?」

「んー。睦ちゃん、コレわかった?」

 突っ伏していた机から身体を起こし、六限目の授業で配られた数学のプリントをひらひら振る。

「あ、ダメだった。筒井の説明、要領得ないんだもん」

 あっさりとした答え。だよねぇ。

「その上、板書ひどすぎ。解読に必死になってるうちに次の問題に進んでるし……テストに出るって言ってたよねぇ?」

 帰られる前に数学の得意そうな人捕まえるか。教室内をみまわし適任者を探す。

「あ、ちょっと東ー。ちょーど良いところに」

 それよりも先に睦ちゃんが廊下を通りかかった東くんを手招きする。

「瀬戸口サンにつかまるとろくでもないことを頼まれるという経験則」

「しつれーだなぁ、東」

「日頃の行いの問題じゃない? で、なんだった?」

 軽口をたたきながらも教室に入ってきてくれた東くんは、空いた席に座る。別段めんどくさそうでもなく。良い人だ。

「この問題、教えて?」

 睦ちゃんはプリントを東くんの方へ向けて置く。

「こんなのさぁ……水森サン、シャーペン貸してね」

 東くんはこちらに向かって一言ことわり、カチカチと二回分、芯を出してからプリントにペンをすべらせる。

 筒井の板書よりは読みやすい記号が湧き出るようにならぶ。

 どうやったらこうすらすらと解けるんだ?

「終了」

「さすが。相変わらずだねぇ」

 満足げにシャープを置いた東くんに睦ちゃんが素直に褒める。

「瀬戸口サンに褒められると裏があるのではないかと勘繰りたくなる」

「可愛くない」

「瀬戸口サンにカワイイって言われた方が怖いよ」

 内容とは裏腹の、のんびりのほほんとした口調に睦ちゃんは苦笑いを浮かべる。

「毒気ぬかれるよ、東には」

「おかげさまでー」

 仲良いなぁ。

 睦ちゃんのプリントに書かれた数式を自分のプリントに写しおえて顔を上げると東くんと目が合う。

「水森サン、わかった?」

「うん。たすかったよ。ありがとう」

 とりあえず納得できたはず。これでテストもばっちり、だといいけど。

「いえいえ。水森サンのお役に立てたなら何よりですよー」

 軽く言ってくすくす笑う。なんというか、良い感じに力抜けるなぁ。

「東、朔花にはやさしーじゃない。私にとはちがって」

 からかうような笑顔が睦ちゃんの顔にうかんでいる。

「そりゃもう、瀬戸口サンには今までに降り積もったイロイロがありますし?」

「いろいろって何、人聞きの悪いな。私、こんなにやさしいのに」

 睦ちゃんの発言に東くんはわざとらしく目をそらし頭を横にふる。

「水森サン、瀬戸口サンは傍若無人な人だから気をつけてね? いじめられたらおれに言ってね?」

「そうそう。朔花、だから東にしときなって」

 睦ちゃん。なにが「そうそう」で「だから」なのかさっぱりだよ。だいたい本人目の前にして、今この話題をだす意味がわからない。

「なに、おれにしとけって?」

 唐突な話の転換についていけない東くんがきょとんとする。聞き流してほしかった。

「早瀬くんより東のがよっぽどいいんじゃないのー? って話」

「睦ちゃん」

 呼ぶ語調がつよくする。まったく。

「だって不毛に見えるんだよー。早瀬くんとっていうのは」

 あのさ。確かに不毛っていうのは間違ってないかもしれないけど、それは早瀬のというよりはこっちの問題だし。言うなよ、そういうコト。関係のない東くんの前で。

「水森サンって早瀬とつきあってるんじゃないんだ?」

 そんな不思議そうな顔されても。どの状態を見て付き合ってると思えたんだろう。そっちのがフシギだよ。

「つきあってないよ。残念ながら」

 自分で言って苦笑いする。残念ながら。何が?

「そーなんだ。じゃ、瀬戸口サンも言ってることだし、おれにする?」

 にっこり。頬杖ついて人当たりの良い笑顔がこちらをまっすぐ見る。

 はい?

「さーすが、東。はずさないねぇ」

 睦ちゃんの愉しそうな声。

 はいー?

「ほら、おれ。今はやりの和み系だしー。数学だって得意だし、良い人だし。お買い得だよ」

 和み系って、はやりなの? だいたい良い人っていうのは恋愛対象からはずされる基本じゃないの?

 ちがう、そういう問題ではない。どこまでホンキなんだ?

「めずらしい、朔花が混乱した上、焦ってる。もう一押しだ、東。ガンバレ」

「水森サンのためなら早瀬のマネして眼鏡をかけたって良いんだよ?」

 なんだ、それ。

「何でそこで外すかなぁ」

 だいなし、と言わんばかりの睦ちゃんに東くんは小さく肩をすくめる。

「やりすぎたらダメでしょ。ゴメンね、水森サン。ちょっと悪乗りしすぎた」

 謝る表情がなんだかやわらかくて、ため息がでる。

「そこでほっとした顔されるのもちょっと癪だったりねぇ?」

「東、それはやりすぎに入らないの?」

 睦ちゃんの呆れ声。

「東くん、免疫ない私みたいなのにそういうコトするとホンキにするよ?」

 カンベンしてよ。ほんとに。がっくりと机に突っ伏す。苦手なんだよ、こういう話。

「別にホンキにしてもいーよ。とりあえず今日は撤収するね。ばいばい」

 あっさりとした言葉を残して、ぱたぱたと足音が遠ざかる。その音が完全に聞こえなくなってから顔を上げる。

「睦ちゃーん」

 思った以上に恨みがましい声が出る。東くんがどこまでがホンキでどこからが冗談だったのかは知らないけれど、この流れを作ったのは確実に睦ちゃんだ。睦ちゃんのせいだ。

「ゴメンって。ここまですんなり予想通りにいくとは思わなかったんだって」

「予想通りって何」

「ま、そういうコトだよ。で、どう? 東は」

 まだ言うか。

「かわってるね」

 かるくずれた答えを返しておく。

 とりあえず。ああいう人だとは思わなかった。

「そーいうことじゃないって、わかってて言ってるでしょ」

 確かにその通りなんだけど。ため息だけを返す。

 だいたいなんでそんなにくっつけたがるんだ、東くんと。

 どっちかといえば睦ちゃんと東くんがくっつけば良いんじゃないか? 息、ぴったりだったし。口にすると反撃がすごそうだから言わないけどさぁ。

「ま、いいけどねー」

 含みのありそうな声。

 何を言ってもムダそうなので黙々と机の中身をかばんにつっこむ。

 帰ろ。

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