第27話
ピリリリリ……と軽快なアラームが鳴り響く。
亮介は間一髪でボスの攻撃を避けると、胸ポケットから携帯を取り出し、トイフェルに向かって放り投げた。
「トイフェル! メール、誰からだ? 読んでくれ!」
器用に尾で携帯を受け取ったトイフェルは、これまた器用に操作してメールを開く。そして、プッと笑った。
「亮介、従兄弟クンからだよ。麻婆茄子は辛口と辛さ控えめ、どちらが好みか、だってさ」
「……」
その答に、辺りが静まり返った。フォルトとイーター達のボスは、呆れ果てた顔をしている。
だが、その静まり返った中でプッと空気を噴き出す音が聞こえた。フォルトが怪訝な顔をして音のする方を見てみると、そこでは亮介が腹を抱え、笑いを堪えている。……いや、堪え切れていない。くくく……っと笑い声が漏れている。
「いやまぁ、確かに……時野は今俺がこんなところでイーターと戦ってるなんて知らねぇけどさ……色んな意味でタイミング良過ぎだろ、あいつ。普通、戦闘中に聞くか? 麻婆茄子の味の好みなんてさ……」
そう言って、一しきり笑ってから亮介はトイフェルに言った。
「トイフェル、俺の代わりに返信しといてくれ。辛口で頼む、ってさ」
「辛口かい? ボクはどちらかと言えば、辛さ控えめの方を食べたいんだけどね」
「じゃあ、そっちでも良いや。トイフェルの好きなように返信しろよ。どちらにしたって、あいつの作る料理が美味い事に変わりは無いからな」
それだけ言うと、亮介はボスに向き直った。
「悪ぃな、せっかくお前ら好みの味付けになってたってのによ。けど、美味い物を食いたいってのはお互い様だ。俺としては、時野の麻婆茄子を食い逃すワケにはいかねぇんでね」
そう言って、亮介は右手の人差指で宙を指した。そして、ミリィの形見とも言える魔法の呪文を唱える。
「虫をも射落とす冴えたる弓よ、今ここに炎の矢を降り注がん! ウィリアム・テルの焔弓!」
唱えるのと同時に、燃え盛る無数の火矢が空から降り注ぐ。だが、火矢はボスに一矢たりとも当たる事は無く、亮介の頭上を流れていく。
「ちょっと、何をやっているのよ!? 魔法で攻撃をするならよく狙わないと、魔力が無駄に……」
「いや、これで良い筈だ!」
フォルトの抗議を遮るように、亮介は鋭い声で言った。するとそれが合図であったように、一本の火矢が亮介の後方やや上部で爆発した。
「!?」
目を丸くするフォルトの眼前に、ドサリと何かが落ちてくる。見れば、それは今の火矢でダメージを負ったらしいイーターだ。それも、ボスほどではないがかなり大きい。
「イーター!? ボスの他にもまだこの場に残っていたのか……!」
トイフェルの叫びに、亮介は頷く。
「あぁ。俺もトイフェル達も、イーター達がステルスしてても見えるもんだから忘れてたんだろうけどさ……俺達がこいつらを見る事ができるのって、こいつらが故意にトイフェル達や、トイフェルの臭いが付いている俺に姿を見せようとしてるから……なんだよな。恐怖を与えるためにさ。だから、別に俺達にイーターのステルスを見破る能力があるわけじゃない。こいつらが俺達から姿を隠そうと思えば、いくらでも隠せたってわけだ。今のこいつみたいにさ」
「グ……ググ……何故、気付いた? 私のステルス能力も、私の囁きも、完璧だった筈……。現に、お前は先ほどまで負の感情で腑抜けになっていたではないか。それなのに、何故気付いた? 何故立ち直った? 何故だ!?」
ボスと同じように、滑らかに喋る。体のサイズから考えても、このイーターは副ボスなのかもしれない。
「声だよ。お前の声……その囁きって奴が、聞こえ過ぎたんだ。……お前だろ? 昨日から、まるで俺が心の中で迷ってるみたいな言葉を囁きかけてきてたのってさ」
言いながら、亮介は昨日からの出来事を思い出す。昨日から、亮介は何度も不安を感じ、迷う事があった。その度に、内なる自分が囁きかけていたような気がしていたのだ。
(くそっ! 予兆はあったのに……イーターに狙われる可能性があるってわかってたのに……なのに、こんな事になるまで何もできなかったなんて……。こんなんで、何が魔法だよ!)
(……どこだ? 宇津木さんと、イーター達は……どこにいる?)
(どうすりゃ良いんだ……もう、諦めるしかないのか?)
(ここまでか……!?)
(もし、俺の力が持たなかったら……?)
(やべぇ……このままじゃ、エアテルを助けるどころか俺まで……)
(もし、この石が二番目に大きい石だったら……?)
(勝てるわけがない、こんなの……!)
「あれ、てっきり不安過ぎて考えなくても良い事を考えちまってたんだと思ってたんだけどな。さっき、「あれ?」って思ったんだ。俺ってこんなにネガティブだったっけ? ってな。そこから考えて、何となく思ったんだ。レベルの高いイーターは人の心に囁きかける事ができるそうだ。じゃあ、この不安を煽る声は、俺の心の声じゃなくて……俺を餌として狙ってる、イーターの声なんじゃないか、ってな」
「……」
相手は、黙ったまま喋らない。どうやら図星のようだ。
「姿を消して、まるで俺自身がそう考えたように、俺の不安を誇張して囁いて……それによって俺の不安が増大する事を狙ったんだ。そのために、ご苦労な事に俺に四六時中付いて回ってたんじゃないのか? それで、あとで俺の不安を煽るのに使えそうな情報は逐一そこのボスイーターに伝えてた。例えば、俺の名前とか。……違うか?」
「なるほど。サイズからして、こいつはイーター達の中では二番目の格付けになるような奴なんだろうし、まず間違い無く通信のための石は持ってる。けど、一番大きな石じゃないから、夕べキミが石を持って部屋の中をウロウロしていても光らなかったってわけだ。そして恐らく……石の求め合う力にレベルの高いイーターだけが使える思念を載せて通信していたってわけだ。それなら、さっきボスがキミの名前を知っていたのも頷ける」
トイフェルの言葉に、亮介は頷いた。そんな彼を眺めながら、トイフェルは更に言う。
「それでわかったよ。昨日から、キミにやたらと負の感情が纏わりついていたワケがね」
「気付いていたのか……! ならば、何故……!?」
悔しそうに呟く副ボスに、トイフェルとフォルトは馬鹿にしたような顔をした。
「決まってるだろう? 亮介に負の感情が纏わりついていたのには気付いていた。けど、それを亮介に言って何になるって言うんだい? 原因もわからないのに、キミに負の感情がー、なんて騒いだら亮介の不安が増すだけじゃないか」
「わざわざ自分達を更に窮地に追い込むような事をする必要は無いものね。だから、トイフェルも亮介がいきなりここへ来ようと決めた事に反対しなかった……。そうじゃない?」
フォルトに対し、トイフェルは頷いた。
「不安になってる時に、自分の意見に反対されたりすると……地球人って奴は更に不安になるらしいからね。それに、亮介なら多少ピンチになっても、何とかできるだろうって思っていたし」
「……おい、そんなに買い被られてもプレッシャーにしかならねぇんだけど……」
亮介が照れが半分、居心地の悪さが半分という顔で言うと、トイフェルは「本当だよ」と言う。
「キミは何だかんだ言いながらも、何度も自分で窮地を切り抜けてきた。憧れと魔法への過信だけじゃなく、自分で工夫して考えながらね。そんなキミだから大丈夫だろうって思ったんだよ。……まぁ、安心し過ぎてボクの警戒心が薄れていたのはボクが反省すべき点だね。お陰で、こんなにでかい図体のイーターが近くに潜んでいる事にも気付かず、キミやボク達自身を危険にさらしてしまったわけだし」
トイフェルが少しだけしょげたように言うと、フォローするかのようにフォルトがトイフェルの頭を尾でパシンと叩いた。
「それを言うなら、アタシも同罪よ。アタシだって、気付かなかったんだから。それにしても……イーターって本当に悪趣味ね。ずっと近くにいて情報をボスに送っていたって事は……夕べの話も当然伝わっているんでしょ? アタシ達が石を手に入れた事も、それを使って今日アタシ達がここへ攻め込んでくるって事も」
「……」
ボスも副ボスも、喋らない。だが、その沈黙が肯定を表している。
「まぁ、作戦としてはこんなところかな? とりあえず弱くていてもいなくてもかわらない雑魚達を亮介に一掃させて、亮介に優越感を持たせる。そこで亮介の名前を呼んで動揺を誘い、一気に恐怖のどん底へ叩き落とす」
「より高い所から落ちた方が、恐怖は強まるものね。あのまま亮介が不安に駆られたままなら、あなた達にとっては相当良い味になっていたでしょうね」
トイフェルとフォルトの言葉に、イーター達は不快そうに顔を顰めた。そして、苦し紛れに言う。
「……だから……だからどうしたというのだ? 力量的に、我らが有利である事には変わりが無い! 小僧は先程の攻撃魔法の連続で、魔力はそれほど残っていまい? 小さな餌二匹には何ができる? ……何もできまい。できるなら、最初から地球人に協力を要請したりしていない筈だ!」
副ボスの言葉に、トイフェルは「まぁね」と、さらりと答えた。その余裕綽々の態度に腹が立ったのか、副ボスは傷付いた体を起こしながら吼えた。その声で、辺りの空気がビリビリと震動する。
「何故だ! 圧倒的不利がわかっていながら、何故足掻こうとする!? わかっているだろう、小僧! たかが二十年かそこら生きただけの若造が一人足掻いた程度では何も変わらない……世界など救えないと、わかっている筈だろう!?」
言葉を受け、亮介は相手をキッと睨み返した。
「わかってるさ……わかってる! 俺がお前達を倒せたとしても、イーター達はまだたくさん地球にいる。イーター達がみんないなくなっても、何がどうなるってわけでもない。景気は悪いし、就職できるかもわかんねぇし、将来の夢が叶う保証も無ぇ! ひょっとしたら、お前達に食われるよりも更に悲惨な最期を迎える未来だって有り得るかもしれねぇ!」
それだけ言って、亮介は一旦言葉を切った。そして、深く息を吸い込むと大きな声ではっきりと言った。
「この世界は、二十一歳の若造が一人で救えるほど安かねぇ! そんな事くらいわかってんだよ! ……けど、一人が足掻いただけじゃ何一つ救えねぇほど、お高い世界でもねぇはずだっ!!」
叫んだまま、ほとんど息も継がずに亮介はミリィの魔法を唱えた。
「咲き誇る刃の花よ、今ここに激しく散れ! 剣吹雪の舞!」
唱えると同時に白銀色の花吹雪が吹き荒れ、二体のイーターを包み込む。今回は昨夜のように、盾にする雑魚イーターは残っていない。多少のダメージは与える事ができるだろう。
「……でもって、ズゾっていったっけ? 昨日のイーター。あいつのところに行っちまえ!」
亮介が叫ぶや否や、まだ花吹雪が舞う下にぽっかりと大きな穴が開く。これで、少なくとも副ボスは倒せただろうか?
「……いや、そう考えるのは甘い、か……」
舌打ちをしながら、亮介は呟いた。次第に白銀色の花吹雪は消えていく。そこから、傷付きながらも堂々と立つ二体のイーターが現れた。落ちる寸前に跳び、離脱したのだろう。役目を果たせなかった穴はその場で消えた。
「予想以上にダメージが少ないっつーか……ちょっと凹むな、こりゃ。ミリィがショックを受けたのも仕方無ぇや……」
言いながら、亮介はジリ……と下がった。頬を、冷や汗が伝う。
よくよく考えれば、二体以上のイーターと正面切って戦うのは初めてだ。今までは一対一か、背後を取って不意打ち……という戦法を取っていた。だが、今回はそうはいかない。回り込むための建物も無い。
「どうしたもんかな……」
(やっぱ無理なんじゃ、これ……)
困ったように呟いた瞬間に、すかさず心の声に見せ掛けたイーターの声が囁いてくる。亮介は、顔を顰めた。
「しつこいっつーの! 一度タネがわかった罠に誰がかかるかよ!」
そう言いながらも、やはり胸は少しもやもやしている。それはそうだろう。普通に考えたら無理なのだから。
「なら、普通じゃない方法を考えるしかねぇよな、やっぱ……」
そう心の中で考えながら、亮介は何気なくズボンのポケットに手を突っ込んだ。そこで、手に何か硬い物が当たる感触を覚える。
「あ、これ……」
昨日倒したイーターの、石だ。そのひんやりとした感触を確認しながら、亮介は寸の間考えた。そして、口を開くと副ボスに向かって問う。
「一つ、聞かせてくれ。……何でお前は、俺を狙った? 他にもっと不安を煽り易そうな奴はいくらでもいたと思う。……なのに、何で……」
素朴な疑問だ。亮介よりも濃い負の感情を纏っている者は、この日本には掃いて捨ててもまだ有り余るほどいる筈だ。宇津木のような社会人でも良いし、現在就職活動に躍起になっている大学生や高校生だってきっと不安まみれになっている者が多い事だろう。
だが、そんな国の中で、あえて少なくとも三日前までは特に大きな悩みも無く、極普通の男子大学生であった亮介に、あの副ボスはついて回っていた。それも、短くても一日以上。
そこが、腑に落ちない。
たまたま目に入った男子大学生を折角だから食べごろの味になるまで育てようと考えて付け回していた……とは考え難い。
問い掛けたのは作戦を考える時間稼ぎをするため、相手の隙を突くため、少しでも自分が有利になるための情報を引き出す為……という目的もあるが、それを抜きにしてもこれは訊いておきたい。
すると、問いをぶつけられた副ボスは喉をグルル……と鳴らした。その様は笑っているようにも、怒りで唸っているようにも見える。
「お前を狙う? ググガ……誰がお前のような面白みも旨味も無さそうな餌を好き好んで狙うものか。お前について回る事になったのは、偶然さ。……私はただ、我が子の様子を見守りたかった……それだけだ」
「……我が子?」
思わぬ単語に、思わずトイフェルが眉を顰めた。それに続いて、亮介が息を呑む。
「……ちょっと待てよ。我が子って、まさか……」
その先の言葉は、亮介の口からは出てこなかった。金魚のように口をパクパクと開閉させるが、まるで喉で閊えているかのように言葉も声も出てこない。
「そう……お前達がエアテルと呼んでいた幼生体……アレは私が産んだ、我が息子だ。あの日……私は産まれてくる子に最良の餌を与えようと、部下に卵を任せて狩りに出掛けていた。戻ってきたら、あのザマだ。部下はお前に狩られ、我が子はこの世に生まれ出で初めて目にしたお前を庇護者と認識してしまった……これほど口惜しい事が他にあろうか? ……いや、ある筈が無い!」
「それで……お前は俺の後を……?」
呟くように問う亮介に、副ボスは再び喉を鳴らした。今度ははっきりとわかる。これは笑っているのではない。完全に、こちらに殺意を抱いている。
「お前についていってしまったばかりに、あの子は我らが種族の喜びを知る事ができなくなってしまった! 負の感情を忌み嫌い、餌の餌を食す事で満足するようになってしまった! その挙句、餌を助けるために生まれてたった一日で命を散らすなど……嘆かわしい!」
「あの子、ね……。あなたは、その息子がズゾとかいうイーターに飛び掛かった時に止めようと動いたかしら? 穴に落ちようとしている息子を助けようとしたかしら? エアテルを亮介から取り戻そうと、何か努力はしたかしら? 何もしていないのに親だ何だと言われても、悪いけど共感はできないわね」
「まぁ、助けなかったのはエアテルが亮介に懐いてしまっていたからだろうね。負の感情を嫌うようになっていたし、取り戻したところでもう自分に懐いてくれる事はないと諦めたんだろう。だから、見殺しにする事にしたんだ。……地球でも、野生の動物が我が子に人間の臭いが付いただけで殺してしまったりするし、人間だって理不尽な理由で我が子を殺してしまったりするだろう? アレと似たようなものさ」
軽蔑するようなフォルトの言葉と、相手を小馬鹿にしたトイフェルの態度に、副ボスの顔が更に歪んだ。
「黙れ! 何を言おうとも、私はお前達を許しはせぬ! 先程は仕留めそこなったが、必ずや不安と絶望……負の感情にまみれさせてやる! そして、お前達を喰らい尽す。もがこうと悲鳴をあげようと、血の最後の一滴までをも食らい尽してくれるわ!」
「……」
雄叫びをあげる副ボスを、亮介は黙って見詰めた。その目は、静かに何事かを考えているように見える。
「……エアテルの名前が出てきたのに、随分落ち着いているね、亮介……。何か、考えついたのかい?」
トイフェルの問い掛けに、亮介は「ん? あぁ……」と呟いた。
「いや、昨日の仲間を倒された時のズゾもそうだったような気がするんだけどさ。仲間を倒されて怒ったり、子どもを失って怒ったり悲しんだり……イーター達にも、感情ってモンがあるんだな、と思ってさ。……って、変だよな。こんな時にそんな事を考えるなんて……」
そう言う亮介の目は泳いでいる。そんな亮介に、トイフェルはくすりと笑った。
「それを利用した作戦を、何か考え付いた……そう考えて良いのかな?」
亮介は、バツが悪そうに頭を掻いた。
「まぁな。……っつっても、お世辞にも趣味の良い作戦とは言えねぇんだけどさ。……悪いけど、手伝ってくれねぇか、トイフェル、フォルト?」
亮介の言葉に、トイフェルとフォルトは頷いた。
「構わないよ。奴らを倒さないと、ボクらは全員ここで死ぬんだ。良いも悪いも言っていられないしね」
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