第10話

 夕闇に浸食された町は、急速に昼間の生気を失っていく。繁華街であれば人通りも多く活気もあるのだろうが、住宅街の夜にそのような物は無い。

 道行く人は皆、疲れた顔を、あるいは満ち足りた顔をして家路を急ぐ。

 そして、彼らは気付かない。力尽きる寸前の街灯によって生み出された自分の影に寄り添うように、別の影が動いている事があることを。

 勿論、彼らは知りはしない。その影は突如大きく口を開け、寄り添っていた者を喰らう事があるということを。

 当然、彼らは知る由も無い。その恐ろしい影が、町中に複数現れているということを。

 影は闇の中から姿を現し、牙を剥き、人を喰らい、そしてまた闇の中へと消えてゆく。

 それでも、彼らは気付かない。町が異形の者どもに浸食されているという事に。

 やがて町から人の気が目に見えて減っていった時、彼らは不安を募らせていくことになる。

 放っておけば、この町は遠からずそのような状態になる。七階建てのビルの屋上から路地を行く人々を眺め、亮介はぼんやりとそんな事を考えた。今回は、子どもの頃に使っていた金属バットを持参している。そして、両袖口にいくつものゼムクリップを取り付けている。

 イーター達は、地球上では基本的にステルス能力を使っている為、その姿は目に見えない。だが、それでもやはり多少の影はできるらしい。意識して、目を凝らして見れば確かにそこかしこにイーター達の影が見える。

 更に亮介には、トイフェルと一緒にいた事でトイフェルの臭いが染み付いている。その姿を持ってトイフェル達の種族に恐怖や不安を与えているというイーター達は、ステルス能力を使ってもトイフェル達には姿が見えるようにしているらしい。結果的に、トイフェルの臭いが染み付いている亮介にもイーター達の姿が見えている。

「おぉ……こうやって高い所から見てみると、結構な量がいるんだな……」

 驚き半分呆れ半分の声で呟いてから、亮介は辺りを見渡した。人通りの少ない住宅街だ。前回のように戦闘で使えそうな物は、あまり見当たらない。精々、マナー違反で前夜に集積場所に出されたゴミぐらいだ。

「あーあー、こんな時間にゴミ出して……明日の朝、町内会長が荒れるぞ……。っつーか、あそこに転がってるの、ひょっとしなくても殺虫剤のスプレー缶か? 危ねぇな……ちゃんとガス抜いてあるんだろうな?」

「亮介……それもあの従兄弟クンの影響かい? 発言がどことなく主婦になっているよ?」

 呆れたようなトイフェルの言葉に、亮介は誤魔化すように咳払いをした。そして、話題をすり替えるように言う。

「とっ……とりあえず今回の目的は、場数を踏んで場馴れする。アーンド、経験値を貯めて急速レベルアップ! だったな?」

「現実とゲームを混同気味なところが少々引っ掛かるけど、まぁ、そんな感じだね。本当ならここで一掃してしまいたいところだけど、今のキミの魔力量じゃそれは絶対に無理だ。だから、戦闘後にその場を離脱して逃げる為の魔力を残しておいて、倒せるだけ倒したらあとはトンズラだ。良いね?」

「了解!」

 言うや否や、亮介は鞄から金属バットを取り出した。そして魔法で自らの姿を消し、ビルの屋上から飛び降りる。

 宙でバットを剣に変え、落ちる勢いで真下をうろついていたイーターの脳天に突き立てる。剣を突き立てられたイーターは断末魔の雄叫びをあげたが、今までそのイーターに寄り添われていた五十代半ばの男性は全く気付かずに歩いていく。

 続いて亮介は、ゴミ集積場に転がっていたスプレー缶を拾い上げると、力の限り二体目のイーターの顔面に向かって投げ付けた。

 そして間髪入れずに左袖のゼムクリップを三つほど手に取ると、魔法で細く頑丈な針に変えてスプレー缶に向かって投げる。

 勿論、針の投擲なんて初めてだ。だから、魔法で軌道を修正する。針がスプレー缶を貫く。

 そこを睨みつけながら、亮介はパチンと指を鳴らした。するとスプレー缶のすぐ横で、チッと火花が散った。

 瞬間、ボンッという大きな音が鳴り、スプレー缶は爆発した。爆風と缶の破片が目を傷付け焼いたのか、イーターはドウと横倒しになり、のたうち回っている。

 その隙を狙って亮介は再び魔法でビルの屋上へと一気に跳び上がった。あとは、先程と同じだ。ビルの屋上から飛び降りた勢いで、剣に変化させた金属バットを脳天に突き立てる。

 このイーターもまた、断末魔の雄叫びをあげ、そして体から黒い煙が噴き出しながらザラザラと崩れていく。

「……これで、二体!」

 言いながら、次を探す。すると、少し離れたところに、かなり小さめのイーターがいた。幼生体なのだろうか? かなり、小さい。

 これなら勢いを付ける必要もほとんど無いだろうと、走り寄る。近くで見ると、目測したよりも更に小さい。日本人の小学生か、下手をしたら幼稚園児ぐらいのサイズしかないかもしれない。

 そのサイズに、亮介は思わず怯んだ。今までのサイズなら、躊躇わずに倒せた。だが、これだけ小さいとなると……何だか弱い者いじめをしているようで、何だか腰が引けてしまう。

 おまけに、子どもだからか……今までのイーターと比べると目も大きくつぶらで、愛嬌があると言うか、可愛いと言うか……戦闘意欲をザクザクと削いでしまう力を持っているように思う。

「何をしているんだい、亮介! そいつは幼生体と言ってもイーターである事にかわりはないんだ。このままじゃ、キミは食べられてしまうよ!?」

「んな事言ったって……」

 一度止まってしまった勢いは、そう簡単には復活しない。うろたえている間にも、仔イーターは興味津々という目で亮介を見詰め続けている。

 仔イーターの目が、きらりと輝いた。その目に、亮介は思わず後ずさる。ほぼ同時に、仔イーターが地を蹴り、亮介に飛び掛かった。ガバリと開けた口の中には、白く尖った小さな歯と、赤く長い舌が見える。

「亮介!」

 トイフェルが叫ぶ頃には、仔イーターは既に亮介の元に達していた。爬虫類のような前足を突き出して亮介に絡み付き、そして長い舌でぺろぺろと亮介の顔を舐め始める。

「……あれ?」

 亮介は、呆気にとられた。亮介だけではない。トイフェルも、呆気にとられている。

 そのまま数十秒が過ぎたが、仔イーターが亮介に食い付く様子は一向に見られない。そこで亮介は、試しに仔イーターの喉の辺りを撫でてみた。すると仔イーターは、ぐるぐるぐる……と気持ちの良さそうな声を発する。

「これって……」

「イーターが相手を襲わないなんて……」

 亮介は呆気にとられたまま、仔イーターにされるがままに舐められ続けている。その様子に首を傾げながら、トイフェルは辺りを見渡した。そして、ある一点で視線に視線を止めると、「あ」と短く呟く。

 それにつられて、亮介もトイフェルの視線を追った。するとそこには、玉ころがしの玉より少し小さい程度の白い何かが放置されていた。見た感じは、卵にそっくりだ。因みに、二つに割れている。

「あれ……ひょっとして、イーターの卵……か?」

「……多分ね」

 トイフェルのは、何やら苦い物を食べた時のような声をしている。

「……って事はひょっとしなくても、こいつ……ついさっきアレから産まれたばっかりか?」

「……多分ね」

 亮介も、何やら苦い物を食べた時のような声を出した。

「……っつー事は、もしかしてこれって……インプリンティングって奴か……?」

「……多分ね」

「……俺、懐かれた?」

「……多分ね」

「……」

「……」

 数秒間、沈黙が続いた。だが、沈黙は長くは続かない。

「はぁーっ!?」

 思わず大声をあげる亮介に、トイフェルは顔をしかめた。

「ちょっと、煩いよ亮介。近所の人達に不審がられたらどうするつもりだい?」

「あ、悪ぃ。……じゃなくてっ! どういう事だよ!? インプリンティングなんて……イーターにそんな習性があるなんて聞いてねぇぞ!?」

「言ってないし、ボクだって知らなかったんだよ! まさかイーターにそんな習性があるなんて……」

 このままでは堂々巡りになりそうだと感じたのか、亮介は一旦落ち着こうと深呼吸を試みた。大きく吸って、吐く。それを数度繰り返してから、トイフェルに向かって問う。

「……で、この場合……俺はどうすれば良いんだ……?」

「まぁ、本来ならここで「成長して人を襲うようになる前に殺してしまえ」って言いたいところなんだけどね。できないだろう?」

 溜息をつくように言うトイフェルに、亮介は素直に頷いた。小さくて少々愛嬌が見えるだけでも倒し辛いのだ。それが自分に懐いているとなると、益々攻撃はし難くなる。

「そこで、キミに与えられた選択肢は二つだ。一つは、今ここで覚悟を決めて殺してしまう事。もう一つは、その仔イーターが誰かを襲う事が無いように徹底的に躾ける事。因みに、後者の場合はキミが責任を持って最初から最後まで行う事になる。何しろ、キミはその仔イーターに親だと思いこまれているんだからね」

「……」

 言われて、亮介は黙り込んだ。何も考えずに選ぶのであれば、間違い無く後者だ。だが、実際に自分で育てるとなると、実現可能なのか、という点に疑問が湧く。

 誰かに見られたら、という点に関しては、魔法で姿を消してやれば済むだろう。だが、何を食べさせれば良いのか? 同じイーターの仲間がいない環境で育てて、精神面は大丈夫なのか? 成長したら自然に他者を狩って食べるようになったら、どうする? 大学の授業や親の目もあるし、四六時中見ていられるわけではない。もし、自分の目が届いていない時に暴れ出したら?

「……」

 亮介は、考えた。考えて、考えて、考えて、考えた。そして、トイフェルに言った。

「……俺が面倒を見るよ。自信は無いけど……けど、今この場で殺す覚悟はどうしてもできそうにないからさ……」

「そうかい。じゃあ、ボクはキミが後悔せずに済む展開になる事を祈るしかないね。けど、面倒を見ると言ったからには、本当に頼むよ? ボクはそいつに食い殺されるのも、朝目覚めたらキミが頭を齧られて首無し人間になっているのもゴメンだからね?」

「……肝に銘じておくよ」

 そう言うと、亮介は仔イーターを抱え上げ、そのままとぼとぼと家路に着いた。この状態では、今日はもうイーター退治などできそうにない。

 そんな亮介の後ろ姿と仔イーターを眺めながら、トイフェルは難しい顔をして呟いた。

「卵の殻がここにある……という事は、間違い無くあのイーターは地球で産まれている。……イーター達が地球で繁殖を始めているのか……まずいな」

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