あの鐘を鳴らすのはあなた

ぽてち

あの鐘を鳴らすのはあなた

プロローグ

 静謐さが漂う森は、朝靄の中にその姿を浮かび上がらせ、幻想的な光景を作り上げていた。

その一角に、樹齢数百年の楠が密集しており、僅かある隙間さえも枝が入り込み、まるでこの中にある存在を秘匿しているようだった。それはぐるりと円を描きながら続き、出入り口さえもない。

それなのに、中には誰か立っていた。金色の髪を一つに結び、蒼の瞳はじっと空を見つめていた。

白い長袖のワンピースの下に同色のズボンと靴を履き、手には金色の杖が握られている。異様な格好であるにも関わらず、周りの風景と同化し、一幅の絵のようだった。

ふわっと風が金の髪を浚い、まるでじゃれているように見えた。

その者は小さく吐息を漏らすと、呟いた。

「あれからどれほどの時間が経過しただろう。………人はあまりにも愚かで弱い。それなのに、僕がしてあげられることはほんの些細なことだけなんだ」

自分に言い聞かせるよう胸中を披瀝するその者の頬を、一筋の涙が伝った。喚くのを杖を握る力で押さえても尚、唇が震える。

どうしてみんなは、分かってくれないのか。

以前仲間に、放った言葉が身に染みる。信じて欲しかった言葉は、もう何も意味をなさない。

自分がどれほど無力で無知だったか思い知った今なら、きっと元に戻れる。けれどもそうしないのは自分の我が儘なんだ。

すっと流れるように杖を頭上へ掲げる。

杖の周りを暖かい光が灯ると、風が誘われるかのように吹いて靄を打ち消す。

明瞭な視界の中、その者の真正面には根元に空洞を見せる一本の楠があった。

杖から灯った光は真っ直ぐその空洞へと向かい、やがてそこに収まるほどの球体へと変化する。

「僕の言葉をどうか、君が伝えて………そして導いてくれ」

祈るような気持ちで、杖を振るうと周りの楠たちが足が生えているかのように、さぁっと後方へと下がっていった。まるで忠誠を誓った騎士さながらの動きで、元いた場所へと戻ってく。

そうするとそこは、楠が異様なほど密集していた場所ではなくなった。

森の中に開けた緑の草が生い茂る空間に、その者と残された一本の楠だけが残っている。

するとどこからともなく軽やかに鳥たちが飛んで、その者たちが奏でる音色にそっと耳を澄ませた。

その間も淡い光の球体はやがて一人の少女を内包したモノへと変わっていく。

この世に存在しない桃色の髪がその中、ふわりふわりと漂う。膝を抱え、目を閉じて眠る少女は人形のように精緻で、愛らしかった。

少女を内包した水晶は、天高く舞い上がり、やがて光の光線となって目の前から消え失せる。

その頃には、かの者の姿は影も形もなかった。


そしてそこにあるのは、一本の楠だけだった。

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