第5話  弱点は心

 光のゲートを潜り抜けた先は、忘れる事の出来ない赤黒い世界だった。


 駅近くの馴染みある繁華街の一角。

 建物の並びは変わらないはずだけど、色彩が夜の大火災を思わせる。

 熱はない、炎の揺らめきもない、しかし世界に満ちる音は災害時と同じく悲鳴と怒号。


 白い人影が混乱の坩堝に取り込まれた中、大きな黒い影が雑草を刈るかの如く無造作さで人間を捕らえる。

 極めて非人間的な動作。当然だ、あの巨影は人間ではない。


 巨神ギガーテ。

 そう、あいつらにとってヒトは餌か障害物でしかないのだ。


 ボクの心に炎が宿る。


「ヘイゼル、避難誘導よろしく!」

「了解デス!」


 白い流星が水平に奔る。

 人知を超えた一足飛びは、ボクの体を砲弾のように加速させた。


「“心眼”発動!」


 神通力を得た視力の前に大きな影の塊が解け、ボクの目に飛び込むのは異形の人型ひとかた

 両腕に濃い獣毛を備え、極端な前屈姿勢を取った猿を思わせる手長の巨人。


 その伸ばした手の中に囚われた少女の姿。彼女の体から漏れ出す光の粒がギガーテの歪んだ口腔へと吸い込まれているのが見える。

 今なら分かる、あれは“プシュケー”を奪われている光景なのだと。

 “プシュケー”、過去から現在へと繋がるエネルギーを全て奪われれば、存在も遺さずこの世から消滅させられるのだと。


「させっ、るか!!」


 放たれた矢のような勢いで巨人に迫ったボクは、その眼前で地面を踏み蹴って跳ね上がる。

 女神の力を得た状態でもボクはヘイゼルのように空は飛べない。

 だけどボクの足は何もない空間を蹴り付け、足場とする事が出来る。


 そう、ボクは空を飛べないけれど、空を疾走する事は出来るのだ。


「ぜやっ!!」


 宙を蹴り、道なき空を駆け、突進力に跳躍力を加えた動作を斬撃へと伝える。獣のように毛深く丸太のように太い巨人の剛腕が易々と斬り断たれた。


「ギャアオオ!?」


 巨人の手に掴まれていた少女を空中でキャッチしつつ身を翻す。塞がった両腕、でも戦女神の力を得たボクは迷う事なく次の『手』を打った。


「グオオオオオオ!!」

「うるっさい!!」


 牙を剥き出して雄叫びを上げる異形の顔面に回し蹴り、巨体を蹴倒しながらボクは反動で距離を置く。

 地面に降り立ったボクは、なんとか助ける事の出来た少女を逃がすべく


「さあキミ、ここは危ないから早く──」


 思わず息を飲み込んだ。

 ボクが助けたのは見知らぬ少女だった。面識はないし、名前を知るはずもない。

 けれど彼女が着ていた制服には見覚えがあった。


 聖宮女学院。

 幼馴染の明日香が通っている学校の制服だった。


 今は夕方、ここは駅前。

 電車通いの聖宮女学院生徒が帰宅途中にギガーテの『巨神殿』に取り込まれたのだろう。


(──なら、まさか明日香もこれに巻き込まれて!?)


 一瞬の思考停止が隙を生んだ。


「オオオオオオオン!!」


 吹き飛ばされたギガーテが身を起こし、怒涛の勢いでこちらに迫るする姿が見えた。巨神が持つ不死性を誇っての保身なき突撃、少女を連れて避けるのは難しいタイミング。


「仕方ないっ」


 少女を抱きかかえ、ギガーテに背を向ける。銀色に輝く女神の鎧、その防御性能を信じる。


 そして襲い掛かる衝撃。

 陶器が割れるような甲高い音を立て、銀色の鎧が粒子になって四散する。粒子は球状にボク達を包み込み、巨人の拳を受け止め、大きく弾き返した。


(あれが、ヘイゼルの言ってた防御フィールドかな)


 地面を割るほどの攻撃を受けたにしては痛みをほとんど感じない、その代わりに生じたのは脱力感。


(破壊エネルギーを相殺する代わりに“プシュケー”を消費する、つまりボクの存在を上書きしてしまうとは聞いたけど)


 今のは余計な事に気を取られたボクのミス。


 借り物だけど、女神の力のお陰で戦いを恐れない勇気は宿った。

 剣を振るい巨神を圧倒する戦闘力も得た。

 だけど心はボクのもの、迷いや思わぬ動揺が優れた力を上手く使えなくする事もあるのだ。

 それを肝に銘じ、取り返しのつかない事態でそれを引き起こさなかったのは幸運だったと心を切り替える。


「キミ、今のうちに早く逃げて!」

「は、はいっ!」


 二の句を継がせない強めの口調で助けた子を追いやる。ややふらつきながらも逃げ走る様子を横目に見送り、改めて剣を握り締めた。


 相対する巨人。

 寸断した片腕は既に完治し、こちらを獲物を見る目で見下ろす威容。

 けれど。


「ヘイゼル、避難誘導は?」

『完了デス!』


 囚われた人々が居なければ、もはや恐れる要素は何ひとつ無い。獰猛さを剥き出しに迫る巨人を今度は余裕をもって迎え撃つ。

 振り上げられた巨腕、雪崩かかる暴力の塊がボクを狙って打ち下ろされる。強烈な破壊の具現、しかし単調な一撃。


 打ち据えられたアスファルトが砕かれ、黒い破片が宙に舞う。それは巨人がボクを捉え損ねた証。

 空振りを打ったギガーテの側面、ボクは剣を携えて躍り出る。

 横薙ぎの一閃、巨人の左足首を断つ。

 剣先は休む事なく跳ね上がり、おまけと言わんばかりに袈裟掛けに切り下げられた。


「グアアアアア!!」


 剛の暴力を巧緻な体捌きで翻弄され、強かに左足を切り付けられたギガーテが猛る。周囲に轟く怒声は力に満ち、その身の戦意が全く削がれていない事を知らしめる。

 そんな事は先刻承知。

 不死性を誇るギガーテに刻む剣の一撃は無意味なのだ。


 足を断たれたギガーテが怒りの声を上げるよりも早く、ボクは跳躍し。

 巨体を見下ろす形で剣を振り上げていた。


「“プシュケー”、出力最大……!」


 ボクの体に金色の輝きが渦巻く、青い輝きが煌く。

 身を刻むだけでは倒せない巨神を屠る、女神の剣を覚醒させるため、ボクは力を放出する。


 神剣パラディオン。

 アテナの力に呼び起こされ、花開くは巨大な刃。

 軍神の威光を帯びて振るわれるのは絶剣。


「グラウ──」


 『輝く瞳を持つ者』の意を持つ言葉。

 女神を称える言霊に気合を込めて、ボクは吼える。


「コーピス!!!」


 炎のように噴き上げ、稲妻のように天地を奔る光の一撃。

 荒れ狂う力の輝きが巨人を捉え、打ち据え、弄び、嵐のように包み込む。


「ウオオオオォォォォ……」


 渦巻く光の奔流に飲み込まれたギガーテの断末魔は、その姿と共に消え去っていった。


******


 どこか遠く、そして限りなく近い次元の向こう側で。


「……また、デクが1体封印されたか」


 虚ろな空間の中で。


「何者か、確認するとしようか」


 孤影は呟いた。


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