第2章 あれからの日々、或いは1年生の終わり編
第1話 遅刻しそうな日常
常と変わらない朝。
「行って来まーす」
月曜特有の気だるさに後ろ髪を引かれつつ、僕は家を出る。
電車通いの同級生に比べれば、自転車通学の僕は幾分緩やかな登校風景を迎えていると言える。
出掛けにふと向かいの家を目にする。
久我山家。
幼馴染の明日香が住む家だ。
彼女は電車で通学する必要のある高校へと進学したため、僕とは家を出る時間に開きが出てしまい、出掛けに顔を合わせ、一緒に登校するというような事は無くなった。
お互いの家の距離は変わらない、今でもたまに言葉を交わす事はある。
けれど確実に疎遠になりつつある。
「……人生、何が起きて今までの環境が変化するか、分からないものだよね」
大きく息を吐き出し、自転車のペダルを漕ぎ始める。
高校1年の三学期も既に終わり近く、3月になって若干温かくなったものの、頬を撫でる風はまだ冷たい。終業式を迎える頃にはこの辺りにも桜前線は到達しているだろうか。
自転車で走ること20分、その程度で僕の通う
来月になればまた新しい、初々しい新1年生が増えるわけだが。
「うちの千里も、来月には中学生か」
昨日までは当たり前のように思っていた事実。
その日を迎えられるであろう事に尽力できたのは誇らしく。
「……あとはナントカの穴を塞がなきゃね」
そのために抱え込んだ大きな憂いは後悔こそしないものの、やはり純然たる悩み事して僕の心に居座っていた。
******
胸の内の懊悩がペダルを漕ぐ足に影響を及ぼしたのだろうか。
いつもなら僕より遅れて登校してくる顔ぶれが先んじて教室内でだべっていた。
「うーっす」
「ようマサキ、今日は遅かったな」
ひとりは漫画から顔も上げずに、もうひとりはにこやかに僕を出迎える。
「別に遅刻はしてないだろ」
「そりゃそうだ」
漫画を読んだまま適当な相槌を打つのは
高校からの知り合いだが、馴れ馴れしいのが良い方向に作用する、得な部類の友人。
「そっちこそ、今日は早かったんじゃないの?」
「いや、俺達は電車だから時間は変わらないよ」
笑顔を崩さない彼は
「だから
時計を見ればいつもに比べ10分ほど遅く到着した事が伺える。成る程、深刻なものではないにしろ、心配をしてくれたようだ。
「うん、寝坊じゃないよ。ただ──」
「女だな」
「……は?」
揃って顔を見合わせ、そのまま式太へと視線をスライドさせる僕と鉄幹。相変わらず漫画を読む姿勢を変えないまま
「昨日見たぞ。お前と可愛い子が駅前でデートしてるの」
「ほほう、それは興味深いね」
式太の投げかけた問題提起に笑顔を浮かべたまま興味を隠さない鉄幹。式太の発言は事実であるが、残念ながら彼らの好奇心を満たすには色々物足りない真実。
「うん、式太が見たのは妹だよ」
「なんだ、千里ちゃんの事か。相変わらず仲がいいね」
鉄幹は何度か僕の家にも来た事があるので、当然千里の事は知っている。
「妹かよ。つまらん」
「別に面白くしようと思って出かけてたわけじゃないよ」
「……ちなみに年は幾つだ?」
「13歳になったばかり。興味ある?」
「……もっとつまらん」
年齢に問題があったらしく、式太は千里について関心を失ったようだ。
外見がチャラい彼は日々彼女が欲しいと公言し、時折ナンパに勤しんでいるが釣果はいまいちらしい。
ただ僕からすれば行動するだけ凄いという感想になる。中学時代に行動せず、今や幼馴染と疎遠になりつつある僕に比べれば勇気があるからだ。
現状の変化に怯え、何もしなかった僕だけど。
「あんな変化を受け入れる事になるなんてね」
やがて予鈴が鳴り、雑談は中断させられる。
「それじゃまた後で」
「なんだ、やっぱり眠そうじゃないか」
欠伸をかみ殺しながら席に戻ろうとした僕に、鉄幹は苦笑混じりのツッコミを寄越す。寝坊じゃないと言いながら眠そうな態度にそう言いたくなった気持ちは分からなくもない。
けど、本当に寝坊ではないのだ。
「夢見が良くなかったのは否定しないけど」
いつもよりも遅くなった理由をあえて挙げるなら。
昨夜に見た夢と、それにまつわる悩み事がペダルを踏む足を重くした、のかもしれない。
******
「おはよーございマス」
浮揚感を覚える不思議な空間でフクロウが少しおかしな挨拶をした。
「あれ? ここは?」
「アナタの夢の中デス。今夜お邪魔すると言ってた通り、来まシタ」
あの戦いの後。
『今は時間がありまセン、今日の夜にでも説明に行くデス』
神サマの遣いを名乗る白いフクロウ、ヘイゼルは去り際にそう言い残していた。
その言葉を信じて僕は午後1時くらいまで待っていたのだが、フクロウがやってくる気配は無かったので諦めて寝てしまった。
そうして寝入り端にこの仕打ちである。
「そうならそうと言ってよ!」
「え、だって、フクロウがパタパターっとお家を訪ねるっておかしくないデス? ましてフクロウと会話してるところを家の人に見られるかもって危なくないデス?」
「……まあ、そうかな」
どうやら気を遣わせたらしい。
一応他人から見えなくなる術は使えるらしいが、夢の中での会話はそういった手間を減らせるとの事。
「それに前もそうだったデスが、夢の中だと人目だけでなく時間も気にしなくてもいいデス」
「つまり、わりと時間のかかる話だって事?」
「アナタ次第ではありマスが」
要するに疑問があれば答えてくれるという姿勢。
あの戦いの時にも思った事だが、このフクロウは根がいい鳥なのだろう。
「まず最初に、お礼を言わせて欲しいデス。ギガーテの封印に力を貸してくれてありがとうデス」
「いや、それは僕の方こそ。お陰で千里は無事だったんだし」
「デスが……ギガーテの降臨は、あれで終わりとはならないデス」
神の遣いは語り出す。あれが最後の一体ではない事情を。
「ギガーテは遥か昔、神々の時代に『タルタロス』という場所に封印されたデス」
「たるたろす?」
「空間であり、概念であり、神サマの名前でもありマス。滅ぼす事の出来ないギガーテを弱らせ、封印するための神サマの結界だと思ってくだサイ」
かつての神々が己の存在を削って作り上げた結界。概念的存在であり、確固たる大きさや居場所すら神の遣いでも特定する事が困難な牢獄。
異邦の神ギガーテはそこにまとめて押し込められ、この世界は平穏を取り戻したはずだった。
「……デスが、この世界に不老や不死は存在しても、不滅な存在は有り得ないのデス」
それは神々の力を結集した結界『タルタロス』も例外ではなく、時間により結界の力が衰え、時として綻びを生む。
「今この世界にギガーテが漏れ出しているのは、『タルタロス』が綻んで結界に穴が出来ているデス。それを補修しない限り、またどこかにギガーテが現れ、ニンゲンの女性を捕食しようとするデス」
「ギガーテって、やっぱりあれ一体じゃないんだ」
「ハイ。アナタが戦ったあれはギガーテの中でも力の弱い存在、
力が弱いからこそ結界の小さな綻びから抜け出せたのだろう、ヘイゼルはそう推測したのだが、僕が気になったのは数の問題よりも
「その“ギガーテが湧くかもしれない”場所って、またこの近く?」
「……ハイ。その可能性は高いデス」
結界の綻びがどんな状態なのか、ヘイゼルにもまだ分かっていないとの事。けれど綻びと無関係な場所にギガーテが這い出る可能性は極めて低いらしく。
「結界の穴がこの辺りに通じている、そう考えるのが妥当と思っていマス」
「じゃあまたこの街の人や、妹やみんなが巻き込まれる事が」
「無い、とは言い切れまセン」
誠実さが今は残酷である。フクロウは嘘をもって一時の安心を与える事もしないのだから。
「……それで、ギガーテを倒す手段は?」
「他に、ありまセン。だから」
ずずずいとフクロウがにじり寄って来る。
「申し訳なく思っていマス。ワタシも全力で『タルタロス』の穴の探索と、アナタのサポートをするつもりデス。だから」
ずずずずずい。
このままではクチバシが頬に触れかねない距離までつめて来る。
「他の手段が見つかるか『タルタロス』の穴を塞ぐまで、湧き出るギガーテの封印、手伝ってくれマセンか?」
「うん、まあ、その覚悟はしてたけど」
「本当デス!?」
本当である、勿論あれで終わりなら良かったと思う気持ちにも嘘はない。
「また戦わなきゃならない。その事の実感が薄いからかもしれないけど、別人になる事、みんなと他人になる覚悟の方が重く感じたのが正直なところかな」
「……オゥ」
女神アテナ、軍神の力を借りた状態で戦闘に臆する事があるのかどうか、僕には分からない。
「『どこかの誰かのために』なんて立派な事は言えないけど」
これも偽りのない本音。
神サマに選ばれる勇者としては物足りないだろうけど。
「また家族や友達、顔見知りが巻き込まれるかもしれないのは嫌だから。出来る範囲でいいなら手伝うよ」
「……ありがとう、デス」
恐縮しきりのフクロウ。
しかし奇妙な変化がある。ついさっきまで随分押しが強かったように思えたのだけど、今はその勢いが無く。
何故か気落ち、いや、違う。
「ありがとうデス。助かるデス。ワタシも努力するデス──でも」
まただ。
またヘイゼルの話には「だがしかし」があったのだ。
「他人になる事の方が重いというアナタには、ますます理解してもらわなければならない事を話すデス」
「な、何の事を?」
「──『天換』の話デス」
これがヘイゼルの、神サマの遣いが語った講釈の終わり。
ヘイゼルは、世界やみんなの受ける影響よりもずっと小さな問題
「アナタの存在に大きく作用する、そして左右してしまうこれについて、しっかりと説明しておくデス」
僕自身の抱えた問題について話してくれた。
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