それからのこと
本来は静かなはずの湖畔の別荘地は、この襲撃事件でちょっとした騒ぎになってしまった。
だが、それもマギシェン侯爵やベルグラード男爵やその上役、そして静かに避暑を楽しみたい別荘地の貴族たちによってすぐに静けさをとりもどすのだろう。
……レリーチェが斃れてすぐに、マギシェン侯爵がマギシェン家の護衛を引き連れてやってきた。
「アリア、ウルリカ!」
マギシェン侯爵は妻と娘の姿を見つけると駆け寄って、そしてウルリカの傷を見ると人目もはばからずに涙を流した。
「ウルリカ……すまない……私はお前にはいつもきつくあたって悪い父親だ……お前がその格好をしているのを見ると、私はお前という娘までも亡くした気がして辛く悲しかっただけなのだ……ウルリカ、頼む死ぬな……」
「……お腹をちょっとえぐられただけです、父上……すっごく痛いけど、死にはしません……多分」
「治療術使いどもは何をしている! 早くウルリカの傷を癒せ! 娘の身体に傷が残ったらどうするのだ!! 早うせい!!」
侯爵は泣きながら、慌てふためく護衛達に向かって怒鳴っている。その夫の様子を見て、状況の理解できていないマギシェン侯爵夫人はただ目を丸くしている。
「……シグルド、慌てすぎだわ」
「これが慌てずにいられようか……アリア、アリア、アリア……お前も無事で居てくれて嬉しいぞ……」
「シグルドおじう……じゃない、父上。治療術使いが来ましたよ。ウルの治療を始めさせたいと思いますので、その、ウルリカから離れてくれないと、治療がしにくいそうです」
やってきたテオドルが困ったような顔で、今は養父であり本来は伯父にあたるマギシェン侯爵をそっとウルリカから引き離そうとする。
「む、むぅ……仕方がないな……いいかお前たち、そんななりをしていてもウルリカは我が娘だ! マギシェン侯爵令嬢だ! 治療以外でウルリカにべたべたと触れることまかりならんぞ!」
その時だった。
「シグルド、こわいお顔だわ……私、ウルリカに嫉妬しそうだわ」
そう、アリアが口にした瞬間、シグルド、テオドル、そして治療を受けている最中のウルリカまでもがが、目を見開いた。
「ずるいわウルリカ、ウルリカは私の娘なんだから、私のシグルドをとっちゃダメ」
「……母、さま……私のことが……私のことがわかるのですか……?」
「……当たり前だわ、だって、ウルリカは、私があんなにお腹をいためて産んだ大事な娘、なのだもの」
舌足らずな幼い口調だが、確かに母アリアはそう言った。
「アリア……!」
「アリア母上……!」
もはや、涙を流しているのはシグルドだけではなかった。テオドルと、そしてウルリカも、もう枯れ尽くしたと思えた涙を流している。
「母さま……よくぞお戻りになってくれました……」
「メル、また何か騒ぎに巻き込まれたようだな」
エヴェリアをぎゅっと抱いたメルが、マギシェン一家の心を覆っていた茨がほどけていくのを見ていたとき、やってきたのは意外な人物だった。
……師のシャイトである。
「シャイト先生、わざわざ作業中断してきたの?」
「ん、まあなんか使用人たちが騒いでいるし、作業もちょうどいいとこまで終わってたんで様子を見に来たんだが……なるほど……ふむ……」
シャイトはマギシェン一家を見て、なんとなくではあるが状況を把握したようだ。
そして
「……お前は無理しなくていいんだからな」
「……はい、シャイト先生」
メルは、あの二年とちょっと前の月も星もない雨の夜以来ほとんど家族と会っていない。会いたいと、思えない。家族なのに。家族なのにわかりあえない。
それをシャイトは、無理をするなと言ってくれている。
「だいたい、ドールドレス職人としてもお前は未熟だ。まだ教えなければならないことも多いと言うのに、勝手に『弟子』に離れられても困る……ってメル?!」
思わず……メルはシャイトに抱きついた。嬉しかった、ちゃんと弟子と言ってもらえる。自分の居場所はちゃんとここにある。お人形として置かれた場所なんかじゃない。自分で選び取った自分の場所。
「……先生、私嬉しい……」
「メル、あのな、ひたってないで離れてくれないか……? さっきから白薔薇の貴公子どのがやたら威圧感出してきてるし、そっくり双子は双子ですごい目で武器を構えてるんだが……?」
それから
難しいこと、つまりレリーチェが引き起こした一連の騒動をどうするのかという交渉ごとはマギシェン侯爵やベルグラード男爵に任せるしか無いということで、メル達はマギシェン侯爵家の別荘に帰った。もちろん、あの木陰にあったウルリカの大事なドールや小物類などを回収することも忘れない。
ウルリカは傷は塞がったし、湖に入って身体が冷たいのでお風呂を用意しておくようにと使用人にいいつけた。
「メルもまた一緒にお風呂入ろう? よければそっちのメルの友達も一緒に」
マギシェン家の使用人たちはなかなかに粋だった。
わざわざ、普段は使っていない大きな浴室にお湯を用意してくれたのだ。
「わ……すごい、これぞお姫様のお風呂って感じだ……」
「個人が所有してるものだとは思えないぐらいだわね…‥」
おもわずメルとユウハは感嘆のため息をつく。
ぴかぴかに磨かれた白い石造りの、まるで小さな神殿のような浴室には、温かいお湯が湛えられた大きな浴槽と、水風呂らしい小さな浴槽があり、くもりのない鏡を備えた洗い場が六つある。壁には精霊たちの遊ぶ様子を彫りつけた大きなレリーフがあって、その上あちこちに花や果物が飾られていて、まるでお姫様にでもなったような気分だった。
「こっちの浴室も久しぶりだな、昔はよくヴィクトリア姉さまと一緒にこっちのお風呂使ってたものだけど――姉さま、小さい頃はどんなことも私と一緒にやりたがっていたから」
ウルリカは、自分のことを『ボク』と言わなくなっていた。もう必要ないからだ。
「にしてもウルリカさん……さっきあんな怪我したばかりなのにお風呂大丈夫なのかしら?」
「平気平気、それより汚れたのにお風呂に入れない方がよっぽど堪えるよ」
そして、ウルリカはお湯を身体にかけてかるく清めてから、大きな方の浴槽にとびこむように入った。
「さ、お風呂でいっぱいはしゃいで、いっぱいお話しよ! 飲み物もお菓子も果物もたっくさん用意させるからね!」
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