茉莉花堂のできた日(その四)
そしていよいよ迎えた開店の日の朝。
「うん、ばっちり晴れてる!」
その日はからりと晴れたとてもいいお天気だった。
いつも早起きのメルだが、その日はもっと早い時間に自然に目がさめてしまった。
ベッドの中で二度寝する気分でもなく、起き上がってこの日のために特別に仕立ててもらったラベンダー色のドレスに袖を通し、髪を櫛で丁寧に梳く。以前はこの髪も肩ぐらいまでしかなくて、もっとぱさぱさしていたが、最近ちゃんと手入れをするようになってからはずいぶんきれいなツヤがでるようになったのだ。
「このドレスの色には……このリボン、かな?」
髪型は、サイドの一部を編んでその端に青いリボンを結ぶ。
身支度を整えて、ゆっくりとプリムローズおかみさんの作った朝食を食べてしまえば、あとはもう開店までやることは、いくつかの大事なことを残すだけだった。
「よいしょっと」
ドレスの上からエプロンを付け、水拭きと乾拭きでかるく店内を掃除する。とくにお客さんが見るだろう商品棚は念入りに。あのお気に入りの薔薇が彫刻されたテーブルも、より美しくなるようにと念をこめて丁寧に磨く。
掃除をしていたら、開店時間の鐘の鳴る時間も近づいてきていた。
メルは店の外に出て小さな看板をかける。
看板にはドールブティック茉莉花堂という文字があり、そして白く塗られた金属で花の飾りがついているものだ。
「まったく、シャイト先生ってば、こんな日にぐらい他の仕事してくれてもいいのになぁ……」
本来なら店主であるシャイトが看板をつけるべきなのだろうが……外に出たくないというただそれだけの理由で、メルにこの仕事が回ってきたのだった。
それからドアの外側に『ドールブティック茉莉花堂、本日開店です。どなた様もお気軽にお立ち寄り下さい』と書かれた紙をくっつけて、店内に戻る。
メルは茉莉花堂の店内を見回す。
ベージュに茶色の縦縞模様の壁紙、小さな窓と大きな窓からそれぞれ見えるようにしたドールのディスプレイ、商談用に使うために奥においたテーブルセット、さきほどぴかぴかに磨いた商品棚、いい飴色になっているカウンター。
ピシュアーの赤ちゃんでも履けないような、小さな小さな靴。どうやって作っているのかわからない、手にしただけで溶けてしまいそうな細い鎖のアクセサリー。小さなドールたちが中で本当に生活をしているのではと思えるほど精巧なドールハウス。
それに、シャイトが作った心ときめくような愛らしいドールドレスたち。
みんなみんな、メルが大好きなものだ。
このお店には、大好きなものばかりがつめこまれていた。
それらをもう一度見回して――
そして、開店時間を告げる鐘が響いた――
「とうとう、開店時間だね、メル」
いつも通り、いつの間にか現れた白は奥のテーブルの席に優雅に座っていた。
「うん、本当にお客さん来るかな。あまり宣伝できなかったけど」
「大丈夫だよ、来るさ」
「うん……」
まだまだお客はこないだろうし、ひとまず縫い物でもして心を落ち着けようと、カウンターのところまで移動する。
と……小さく、馬のいななきと、馬車の車輪の音が聞こえた。
そしてその馬車は、そのまま茉莉花堂の前に止まったようで――
「え、嘘、ちょっと待って! 思ってたより早い!」
メルは喜ぶよりもむしろ焦った。
こんなに早くお客さんが来るとは思ってもなかったのだ。あまり宣伝もしていないし、どちらかというとお金持ち向けの店の割にはこんな場所にあるし、なによりドールというお金のかかるものを趣味としている人は花咲く都ルルデアでもそう多いわけではないらしいし――
とにかく、外の車止めに止まった馬車から人は降りているらしい。メルは急いで髪とドレスの裾を整える。はじめてのお客さんにみっともない姿は見せられない。
そうこうしている間に、茉莉花堂のドアが開いた。
「いらっしゃいませ、ドールブティック茉莉花に、ようこそ!」
その声は少しばかり上ずっていたが、なんとかちゃんと言うことができた。笑顔もまぁまぁ、合格点を貰えるだろう。
「うん、今日開店で間違いないみたいだね。ベオルーク殿から聞いた話に記憶違いはなかったようだ。よかった、用意した花が無駄にならずに済んだよ」
はじめてのお客さんは、黒髪に青い瞳の青年……服装からして貴族のようだった。それもかなり裕福な。
「花、ですか?」
彼の手元を見ると、たしかに花束がある。それもただ花を切って束ねただけの代物ではなく、美しい白い薔薇とピンクの薔薇をきれいに組み合わせて作られている見事なものだった。かけられているリボンにしてもこのツヤは絹ではないだろうか。
「あぁ、こういう開店のお祝いには花が必要だと聞いたものだからね。というわけでこれをどうぞ、お嬢さん」
「わぁ……わざわざ、ありがとうございます……。飾らせていただきますね。あの、お名前を聞いてもいいでしょうか?」
多分今日この日に、わざわざ花を持って来てくれたということは、彼はベオルークの顧客で開店情報を事前に聞いていたとかそういうことだろう。さっきも彼はそのようなことをつぶやいていた。
「どういたしまして、僕はジルセウス。ジルセウス・リンクス・リヴェルテイアというんだ。さて、僕が名乗ったんだから君も名前を教えてくれるかい? 店番のお嬢さん」
「……えっと、メルレーテです。メルレーテ・ラプティ……です」
「いい名前だね、ではメルレーテ嬢と呼ぶよ」
そう言って、ジルセウスはにっこりと微笑む。
なんて眩しい微笑みだろうと、メルは心からそう思った。胸のどこかよくわからないが奥底が熱くなる感覚がわずかにあった。
「それで、メルレーテ嬢。外から見ると小さい店かと思ったけれど、ずいぶん沢山の品物があるんだね」
「は、はい! 当店はドールとドールドレスとドール小物のお店ですので、人間用のお店よりもずっとずっと小さく済むんです」
メルの言葉に、小さくだが声を立ててジルセウスは笑った。
「これがお勧めだという品はあるかい?」
「そうですね……ジルセウス様のお手持ちのドールのサイズはどのぐらいでしょうか、サイズの合うものをお出ししますよ」
「多分だけど、どのサイズも家にあるよ。だから、どれでも君のお勧めを聞かせてほしいんだ。僕は男だから、ドールとは言え女性もののドレスのことはよく分からなくてね。その、女性の意見が聞きたい」
ジルセウスは、すこし恥ずかしさを隠すかのようにうつむいた。
「そうですね……でしたら、こちらのドールが着用している『春の訪れ』という銘のドレスはいかがでしょうか」
メルはディスプレイされているドールの一体を抱いて、ジルセウスに見せるために歩み寄る。
さて、はじめてのお仕事か――
心の中で腕まくりをして、メルははじめての接客に挑む。
今日という、茉莉花堂のできた日はゆっくりと穏やかに過ぎようとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます