茉莉花堂のできた日(その二)
「なるほど、メルちゃんに店に出てもらえば、シャイトが出るよりはずっとまともな売り上げが期待できるな……」
「ということは、ベオルークのおっさん、まさか」
家の主であるベオルークがその気になっている。これはまさか。
「しかしなぁ、展示や販売用のドールとドールドレスはこっちで作れるからいいとして……長年、魔術具用の店だった場所を、ドールの店になぁ……新しく調度品とか内装を整えるとなるとかなりの金貨銀貨が必要になってくるな」
「それを昼間、メルちゃんと話していたのだけどねぇ」
ゆったりと、温めのお茶をカップを持ち上げながらオルネラはメルに微笑みかけてきた。
「うん、オルネラさんは『琥珀のランプ』で使ってた棚やテーブルをそのまま新しいドールのお店でも使って欲しいって言ってくれたの」
「引っ越しのときにそんなに荷物があっても運びきれないからねぇ、ただでさえ、自分の家の方でも魔術具に埋もれそうになってるものだから」
ベオルークは軽く眼を見開く。
当たり前だ……『琥珀のランプ』はときに貴族の客も来るような店だから、家具調度は誰が見てもしっかりとした、そしてセンスの良いものを使っているのだ。そして値段もしっかりとしたものであり、本来は捨て置いていくことは考えられないような代物である。
「いいのかよ、あんなにいいものを」
「そう、いいんだよ、いいんだよ。田舎暮らしをするのにはあまりにも大げさな家具じゃ、かえって私も息子も笑われてしまうよ。あんな、薔薇の花が彫刻された銘木のテーブルだとか、猫足の肘掛け付き椅子だとかはもうこの年寄りにはいらないものなんだよ。だからせいぜい、そちらで役に立ててやっておくれ、ね?」
未練がないわけがないだろうに、はっきりとした口調でオルネラはそう言った。
「それとね、ベオルークのおっさん。提案があるんだ」
メルがカップの中のお茶を飲み干してからそう切り出すと、ベオルークは興味をそそられたようだった。
「何だ? 今ならわりと大抵の要望は通るぞ、メルちゃん」
「それはよかった――あのね、あたらしいドールのお店の商品なんだけどね……ベオルークのおっさんが作るドールたちや、シャイト先生のつくるドールドレスだけじゃなくて、例えばドールの靴だとか帽子にアクセサリーでしょ、それにいろんなドールのサイズの家具やドールハウスにドールトランク、あとはミニチュアの小物類でしょう? ……まぁ、とにかくドールのことならなんでも揃うお店にしたいの」
「ドールのことならなんでも揃うとは、また大きく出たもんだな」
「でも今までなかったのが不思議なぐらいだとおもうの、花の国の花咲く都なんだもん、一軒ぐらいそんなお店があってもおかしくないのに」
「ふぅむ……」
ベオルークは白い髪をがりがり掻きながら何かを考えているようだ。
そして、唐突に言った。
「シャイト、いきなりだがお前いくら金をためてある? 今までお前に、ドールドレスの材料費と手間賃を給金として払ってきたが、それはどのぐらい残ってる?」
「本当にいきなりだね……貰ったのはほとんど手を付けてないよ、材料費ぐらいしか使ってない」
「おう、マジか。結構な金額だぞ。……となりゃあ、シャイト。お前、その貯金で品物を買い付けろ。今メルちゃんが挙げた品は確実に抑えとけ。作ってる職人は心当たりが何軒かあるから、そこを回ってみろ……って……シャイト、お前に品物の買い付け交渉なんて無理か……」
「まぁ、うん、無理だね」
てきぱきと指示を出していたのに、その結論に行き着いてしまった途端、ベオルークはごつい大きな手で頭を抱える。
「お前本当ドレス作る以外のこと、どうにかしろ、それじゃ嫁さんも来ねぇぞ?」
「……そんなの、いらないから、いい」
「あの、ベオルークのおっさん」
そのとき、おずおずと小さく挙手しながら発言を求めたのは、メルだった。
「その、品物の買い付け、私が私のお金でやっていい?」
メルは、いろいろあってとある「呪」をかけられている。その「呪」を解いてもらうために、かなりの金額を用意していたのだ。結局、解呪のための金額には足りていないが、それでも結構な額だ。
――それに、実家においてある私が使っていた魔剣たちを売り払えば……
「メルちゃん、そいつはちょいとダメだ。メルちゃんがシャイトと共同経営者ってことならともかく、こっちはメルちゃんを雇う方なんだ。雇われる店員が身銭切って商品を用意するような、どこぞの真っ黒な商会みたいな真似はしたくない」
そこで、ベオルークはカップの茶を一口飲んで、こう指示した。
「やるなら、メルちゃんがシャイトの金を使って買い付け交渉してこい。シャイト、お前はメルちゃんをきちんと信じられるよな?」
その夜のこと、メルの自室にて――
「そういうわけだから、さっそく明日は品物の買い付け……というかその下見と、交渉だね、つまりまぁお出かけなの、白も来る?」
クローゼットに頭を突っ込みながら、メルはベッドの上でごろごろしている白に尋ねる。明日はちゃんとした服を着ていったほうが良いが、さてどれがいいかと迷っている最中だ。
「面白いことになったねぇ、ドールのことならなんでも揃うお店だなんて。もちろん僕も行くよ。最近メルはお出かけの時すごくおしゃれしてすごくかわいいから、僕も一緒に歩くの嬉しいし」
「それはよかった」
メルはその晩、まだ夏の暑さが残っているこの時期のお出かけに相応しい服はどんなものだろうとずうっと頭を悩ませるのだった。
次の日の朝
「じゃあ、品物の下見、行ってきます!」
結局服装は半袖のブラウスに、かっちり感のある青と紺色の縞模様のハイウエストスカートにした。気候が急に冷え込んでも大丈夫なように、水色の薄手のストールをプリムローズおかみさんから借りた。
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「おう、気をつけてな」
「……行ってらっしゃい、メル」
「はーい!」
メルは、いつもの職人通りの道を歩いていく。
でも、それは確かに、メルの夢のお店に近づく歩みだった。
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