宴の陰で
メアリーベルが、ベルグラード男爵家の正式な娘だということを社交界に知らせるための、お披露目のパーティが開かれたのは、それから半月ほど後のこと。
男爵家で行われているそのめでたい席には、メルも招かれていた。
令嬢メアリーベルがまだ年若いこともあって、パーティはいわゆる夜会形式ではなく、室内でのティーパーティ形式となった。
春の花で飾り付けられた会場は見事で、用意された茶器も、飲み物やお菓子も上級貴族のパーティにもひけをとらないような立派なものだった。
それを見た招待客たちは、ベルグラード男爵夫妻はどれだけあのメアリーベル嬢に愛情を注いでいることだろう! こんな見事な茶器を娘のお披露目パーティの客人に使わせるとは! とささやきあっているのだった。
今日のメアリーベルは、ミモザのような黄色のドレスを着ていた。帯にはラピス・ラズリの青い色が効いた、まるで花のような印象のドレス。
そして腕に大事に抱く、雪のように白い髪がみごとな人形のレナーテイアも、同じデザインのドレス。
……そう、男爵令嬢メアリーベルと人形のレナーテイアはおそろいのドレスを纏っていたのだ。
ドレスは、男爵夫人が自らの馴染みの仕立て屋にずいぶん無理を言って、かなり短い日数で『春待ちの花』と同じようなデザインに仕立てあげさせたものらしかった。
いったいどんな風に無理を通してみせたのだろう。もしかしたら仕立て屋の建物に、あのとき見たのと同じ魔炎の突撃でもしたのだろうか。などとメルはジルセウスとこそこそと言い合って笑った。
ジルセウスは今日はメアリーベルの個人的な友人であると同時に、リヴェルテイア侯爵家の代表として出席してくれていた。リヴェルテイア家の者がメアリーベルのお披露目パーティに居るということは、それすなわちリヴェルテイア家がメアリーベル嬢を認めたことになり、彼女の箔にもなり得る。それはいずれ、彼女の役に立つはずだった。
ユイハとユウハも招待状を送られたらしいのだが、今日は銀月騎士学院のほうでどうしても外せない講義があるということで、やむなく欠席だった。
メルはジルセウスと会場となっている大広間を離れ、あの日に皆で小さなお茶会をした庭園を散策していた。
メルは大勢の人の中ですこし気分が悪かったのが顔に出ていたようで、ジルセウスが気を使って外に連れ出してくれたのだ。
「これで一件落着。でしょうかね、ジルセウス様」
「……」
「ジルセウス様?」
「あぁ、いやなに、メアリーベル男爵令嬢のことは、たしかに落ち着いたのかもしれない。が……ベルグラード男爵のお役目のことは、まだ終わってないだろうとね」
「男爵のお役目のことがどうなっているか、ジルセウス様が尋ねてみてもだめなんですか?」
「本来は駄目なんだよ。なにせ、男爵の本当のお役目は秘密も秘密、極秘であるべきことだ。それをあのとき我々に教えてくれたのは――そこまでしてでもメアリーベル嬢を護る、という覚悟を決めた状態だったのだろうね。……まぁ、それはさておき、だ」
「はい?」
メルは、ふわふわの金の髪を揺らしながら首をかしげる。結ばれている淡い緑色のリボンもそれにあわせて揺れる。
今日のメルはほとんど白に近いごく淡い緑色のドレスを着ていた。昼のパーティ用なので露出こそほとんど抑えられているが、かえって清楚さがあって可愛らしい装いだ。
「先程、どこぞの豪商の若旦那らしいのに絡まれていただろう?」
「絡まれていた、というか……その、私が茉莉花堂の店員と知って、いろいろと話を聞きたいからいる自分のいるテーブルに席を移動しないか、とお誘いを受けただけですよ」
「そういうのを絡まれているというのだよ。君は――君は……」
……ジルセウスは、明らかに怒っていた。
なぜ、ジルセウスが怒っているのかメルにはわからず、困惑してしまう。もしかして、淑女ならばああいうのはすぐに断るはずだ、はしたない、などと言われるのだろうか、しかしメルは貴族の令嬢ではないのだから、淑女の礼儀など関係ないだろうし、仕事の話かもしれないので――
「メルレーテ、君はあまりにも美しいから」
いつもとは違いすぎる、あまりにもまっすぐな言い方。
その言葉の意味を理解できた瞬間、メルの頬には紅色がうかぶ。
「ジルセウス様、あの」
「メルレーテ、いいやメル、君のふわふわしてさわり心地のよさそうな金の髪がいけない。君のいつまでも見つめていたくなる海底に沈んだ宝石のような青い瞳がいけない。君の陶磁器のようになめらかですべすべしているのにいかにもふっくらと柔らかそうな肌はもっといけない。中でも特別にいけないのはこの唇だね、ところ構わずとき構わず、いつもキスしたくなる」
「ジルセウス様、さすがにそれ以上のお戯れは」
ジルセウスから逃れようとするメルの声は、メル自身でも泣きそうになる手前のそれだとわかった。
こんな風に、ジルセウス様にからかわれるだなんて。
……ずっと憧れてた、好きな、人に、こんな、こんなの。
「戯れではないよ、今回でようやく確信したんだ」
ジルセウスが、メルの両肩のあたりをつかむ。
その力はたしかに強いが、メルならいつでも振りほどける程度だ。
「君は、美しいだけじゃなくて、強くて、そして優しくて、悲しみも苦しみも知っている優しい女の子だ。温室の薔薇ではなく、谷底に咲く花だ。そんな花に惹かれ、手に入れようとしても、仕方がないじゃないか」
「ジルセウス様、私はそんな大層なものじゃないの。……ただの、ただの、夢を押し付けられて、夢を叶えることができなったお人形の残骸なの」
「あぁ、たしかにかつてはそうかもしれないけれど――だけど君は今はちゃんと花を咲かせたじゃないか、茉莉花堂でね。というか、もうこれ以上焦らすのはやめにしてくれるかい? それとも僕が嫌いかい?」
メルはほとんど反射的に首を振る。
立場だとか、身分だとか、そんなことはもう、頭にはなかった。
「そんなことない!」
「じゃあ愛してる?」
「決まってるじゃない!」
まるで噛み付くような勢いの返答なのに、ジルセウスは笑っていた。
「じゃあ問題ない、キスするよ」
彼の唇が近づいてくる、ゆっくりと、ゆっくりと。
「や、あの、待って、心の準備……ジルセウス…………ジル……!」
そして、二人の人影は一つになって――
「その、ひどいわ……男の人との、ちゃんとしたキスなんて、はじめてなのに、あんな……あんな、キスの仕方」
ようやく、一つの人影が二つにほどけたとき、メルの口から出たのは苦情だった。ちなみにちゃんとしたキスがはじめてなのは紛れもない真実だ。なお、騎士学院時代の海上訓練における人工呼吸などはものの数に数えないものとする。
「メルが可愛いからいけないのだよ、お陰で加減できなくなったのだからね、あと、いきなり敬称外して呼んできたし、その上略称で呼ばれるんだよ? これで我慢できるほど、僕が聖人君子じゃないことはわかってるだろう?」
「わかってるもん、ジルのあの買い物の仕方はとても聖人君子のそれじゃないもの」
「僕は欲にまみれた人間だからね。ねぇ、ところで――もう一度キスしてもいいかい? メルに敬称なしの略称で呼ばれるのはやっぱり効くね」
「……今度はやさしくしてね、ジル」
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