未来創造のメンタルガイド
皐月双葉
人間の欲は計り知れない
第1話 真夏の依頼(ミッドサマーリクエスト)
――ある夏の出来事。
うだるような暑さが続く今日この頃。天気予報によると、ここ一週間は暑い日が続いて高温注意情報が連日発表されていた。夏真っ盛り、真夏の日差しが容赦なく照りつける。
俺も決して他人事ではなく、朝から体がだるい現象を引き起こしていた。幸か、不幸か今日は土曜日、部活も休みであることが俺にとっての唯一の救いだった。
県内では丘にそびえ立つ高校校舎として有名な一色高校。進学校である一色高校は土曜日でも補習授業が設定されており、俺こと
追い打ちのように連日の暑さ、今日は更に暑くなるという。俺への嫌がらせをお天道様がしているのか、雨乞いやら呪術儀式やらで雨を降らせる方法しかなさそうだ。
いつもの無駄な考えを頭に描きながら、エアコン設定温度を操作して室温を下げた。
キッチンのテーブルの上には無造作に置かれた朝食の食パンが残され、俺用の餌だとわかる。隣の居間には妹の
ふと、妹に視線が移るとスカートの裾からきわどい太腿が露わになっていた。俺は慌てて目線を逸らし、気を紛らわすかのようにパンをかじった。
妹も今年で中学三年生、受験生の夏だというのに何だこの様は……と誰もが思うだろうがウチの小豆はスポーツ推薦を狙っている身だ。頭の方もそこそこ良くて俺と同じ一色高校を受験希望としている今、偏差値的にも申し分ないという。ちなみに陸上部で俺よりも走力があり、自慢の妹って言っても過言じゃない。人前で言えばキモいと罵倒されて、相手にされなくなるのがオチなので絶対に言わないが。
それにしても少し気の抜き過ぎではないかと俺は思った。パンツが見えそうな件にしてもだ。いくら俺と小豆が兄妹だっていっても年齢的に異性として意識してしまうのが普通じゃないのかと思う。俺が部屋に居る前でもリラックスした格好って……まさか俺は男として認められていない? あるいは影が薄いのか? だとすれば、その辺りをしっかり教育してあげなければ。
俺は反転して再び小豆を眼中に収めた。小豆はブルーレイレコーダーに録画されたアニメ一覧を呼び出し、視聴するアニメを選んでいた。小豆は自然な格好をしているのか、俺の事は気にもせずに四つん這いのポーズとなってお尻を上げていた。スカートは重力に従って頭頂部のお尻から垂れ下がり、白い太腿の先に爽やかな水色がチラッと見えた。
ここは兄貴として妹の行儀を正さなくては、と俺は声を掛けようとした。が、小豆はそれよりも先に振り返って俺を呼んだ。
「ねえ、お兄ちゃん……アイス買ってきて」
妹の何気ない一言は俺を地獄の日差しに出そうとする、小悪魔のささやきだった。
「はあ? このクソ暑いって時にアイスを買って来いだと?」
「そうだよ、アタシは午後から部活があるから体力温存しておかないとだから」
そうだった。小豆が通っている学校は今日、競技場の使用関係で午後から部活であると昨日連絡の電話がきていた。小豆は三年であるが、まだ全国大会の出場が残っている為、三年生でただ一人、小豆だけが残って練習しているのだ。
「悪い、忘れてた。てか、アイスは昨日買ってきたって母さんが……」
「今食べ終わった」
小豆の手には一本に棒が握り締められ、ブンブンと振って見せた。棒には『ハズレ』の文字が小さく刻印されていて、それが小豆が好みである小豆バーと分った。
「同じヤツでいいから、買ってきてよ」
「いやっ、でも俺、学校に今から行くとこ……」
「じゃあ、行く前にサッと買ってきて。まだ時間あるでしょ?」
寝そべっている小豆は全く動こうとせず、顎で行って来いと合図を送った。
「だから、俺は――」
「お兄ちゃん……お願いだから……行ってきて。ねえ、お願い……」
反論の余地も与えず、最後の締めとばかりに小豆からおねだりコールを受ける。俺には嬌声を響かす小悪魔に見えた気がした。
ここまでされると妹の為だとか思い、変な兄妹愛が芽生え始める俺は、素直に引き下がるしかなかった。教育してやると思いつつ、小豆のおねだりにはめっぽう弱かった。こんな調子で、いつになったら厳しく出来るのか先行きは依然不透明だ。
家の中はエアコンの冷風によって天国のような快適さを作り出しているが、壁を隔てて外に出た途端に真夏の暑さに体が焼かれる。外は灼熱地獄と化して人が生きていくには危険な程の暑さに達していると言うのに、妹の我がままはいつでも健在だ。
俺はブツブツ文句を言いながら居間を出ると生暖かい風が吹きつけられた。エアコンの風が当たっていないところでこれなのだ。家を出ると凄まじい熱風が顔にかかり、一気に汗が噴き出した。
「暑い、暑い、暑い!」
そんな台詞を並べたところで何も変わらない事はわかっている。だが、言われずにはいられないという気持ちについつい口に出た。
コンビニまでの道のりは車が激しく行き交う、幹線道路沿いをひたすら真っ直ぐ南へ行くだけ。意外と近場にスーパーもあり、利便性だけは良い。ただ、今は夏という季節を条件に加えると、車の通りが多い道路を歩くというのは何とも苦痛に近い。排気ガスによる臭いが一層、暑さに拍車をかけ、精神的に追い込まれた。
やっと辿り着いたオアシスを前に、観音開きの扉を片方開けると、中から冷気が溢れ出てきた。冷房が効いた店内はまさに天国だ。
土曜日の朝とだけあって、学生の姿はそれほど見当たらない。制服を着ている眼鏡野郎はウチの高校の制服、他は他校の運動着を身に纏った女子連中が数人と通勤中のサラリーマンらしき若い男がパンや弁当コーナーで品物を吟味してた。
「いらっしゃいませ!」
元気の良いおばさん店員がレジ裏から声を掛け、満身創痍の俺を迎え入れた。
――やっぱ涼しい。いつまでもここに居たいな。
さっきまでの汗は一気に引いてしまい、濡れたティーシャツだけが冷たく纏わりついた。
呑気に風に当たるわけにもいかず、俺は早速、奥のドリンクコーナーで自分用の冷茶を手に取り、アイス売り場へ急いだ。冷凍庫に入れられたアイス達はどれもキンキンに冷え切って、パッケージのフィルムに氷が張っていた。
様々な種類がある中、目的の小豆バーを一個出し、足早にレジへ向かった。一人の客がレジの支払いを済ませ、後ろに控えていた俺がレジ台に商品を並べた。おばさん店員は慣れた手つきで商品のバーコードを読み取り、合計金額をはじき出した。
「えーっと、全部で三百と七十八円ですね」
俺は財布の中にある小銭を鳴らし、四百円を差し出した。その間、おばさん店員は素早くお茶とアイスを袋詰めしていた。
「はい、四百円お預かりで、二十二円のお返しです」
レジの引き出しを開け、小銭を数えながら発行されたレシートをちぎった。渡された釣銭とレシートをさり気なく確認し、袋を手に取った。
「有難う御座いました」
背中でマニュアル通りの接客挨拶を受け、店内の冷気を惜しみつつ、ガラス張りの扉を開けた。と、そこへタイミング良く、スラックスのポケットに入れていた携帯が小刻みに震えた。
こんな朝から誰だろう、と幾分不審に思いながら携帯画面を点灯させる。表示されたのは
「はい、八神です」
だらけた声にならないように意識しながら、緊張気味に電話に応対すると、電話口から聞き慣れた口調が響く。
〈泉水です、朝早くから申し訳ありません〉
顔の見えない相手でも一度聞けば誰でもわかる、冷静で落ち着きのある美声の主は間違いなく泉水本人だった。
〈突然ですが八神さん、今日の予定の方はありますか?〉
「えっ、予定ですか?」
いつもはすぐに用件を話すのだが、今日はいきなり俺の予定を聞き出そうとするので一瞬戸惑った。
「よ、予定って……今日はこれから学校に行かなければいけないですが……もしかして、また黒崎が何か?」
〈いえっ、学校があるのでしたら結構です。急ぎの用件ではありませんので、学校が終わり次第、いつものように指定する場所に来て頂ければいいです〉
泉水は事前に用意した原稿を読むかのように、決められた台詞を並べ、
〈では後ほど〉
と残して、すぐに通話が切れた。
通話を終えた携帯に新しい通知が届く。今度は秘匿のメールだ。
専用の暗号解読のアプリケーションと毎回変わるパスワードを使わなければ開けない、国家機密レベルのセキュリティーを誇るメール。その対価として、本文を確認するまでがひと手間掛かり、かなり面倒であった。何故か、情報漏えいを気にしているらしく、私的な用件でも頑丈なセキュリティーを掛けているのだ。
二重、三重のセキュリティーをくぐり抜け、やっと開いたメール本文には「桜が丘駅前、桜が丘中央公園噴水にて」とだけ記され、他には何もない。
思わず嘆息が漏れ、脱力感に苛まれた。
「……て、やべっ!」
時計は既にいつもの登校時間を過ぎていた。
立ち直りだけは早い俺はポケットに携帯をしまい、再び灼熱地獄ロードを駆け抜けるのだった。
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