Folder14. 譲れない願い

File105. 手紙


 薄曇りの穏やかな空の下。

 つたに絡まれた立派な門柱と色とりどりの花が咲くたくさんのプランターが目立つ小さな屋敷に、一通の手紙が届けられた。

 金色の長髪を後ろで束ねた二十歳くらいに見える女性が、受け取った手紙を手にして去り行く配達人を見送る。

 エルフ族である彼女の年齢は六十五歳であり、この屋敷にひとりで暮らしていた。


 封筒には神殿の正式な印璽シーリングスタンプが押された青い封蝋があり、定期的に届く年金通知だろうと彼女は思った。

 エルフ族としてはまだ十分に若い彼女だが、森林防衛隊で戦死したとされる夫の遺族年金で慎ましく暮らしている。

 彼女の楽しみは毎日の花の世話と神殿護衛隊に入隊して家を出た一人娘の活躍、そして娘の幼なじみである青年から神殿での娘の様子を聞くことだった。


 ただしもう半年も連絡をとれていない娘には、最近になって悪い噂が流れている。

 族長代行という重責に耐えかねて心を病んでいる。

 エルフ領から逃げ出して行方不明中。

 さらには、ドワーフ族に寝返ったという辛辣なものまで。


 それらを思い出して目を伏せた彼女は、封筒の隅に小さく書かれた差出人の名前に気づいた。

 心臓が跳ねる。

 その手紙が待ちに待った娘からの手紙であることに、ようやく気づいたのだった。




 ゆっくりと一杯の香茶をいれ、それを一口飲んで気を落ち着かせると、テーブルの上に置かれた封筒へと手を伸ばす。

 開いた便箋に綴られている筆跡を、彼女はよく知っていた。



 ~~~~


 親愛なるお母様へ


 お元気ですか。うちが神殿護衛隊に入隊してもう六年になりますね。久しぶりの手紙であること、どうかお許しください。そしてこれが最後の手紙になりそうです。やから今回、今までずっと言えんかったことを書きます。


 うちがお母様に引き取られてすぐの頃、夜中にお母様の部屋の前を通ったことがあります。そんとき、いつもは穏やかなお母様が泣きながら、エステル様のこと悪く言うのを聞いてしまいました。お父様が死んだんはエステル様のせいやて。うちはびっくりしました。エステル様はうちの命の恩人で、そんとき一緒におったんがお父様いうんは知ってます。でも気づいたらお父様はもうおらんくて、うちは何があったんか知りませんでした。

 やから、お父様が死んだんがエステル様のせいで、そんでお母様が悲しい思いしとるて、そんとき初めて知ったんです。

 幼いうちは、自分が偉うなってお母様ができへんかったエステル様への復讐を果たしたろ思いました。けど、神殿護衛隊で出世すればするほど、やっぱりエステル様の優しさは本物や思うようなって、だったらちゃんとエステル様と話そ思て話したことがありました。

 そしたら、エステル様がすごく辛そうな顔するんです。そんで、お母様にはいくら謝罪しても足らへん言うんです。うちは、もうどうしたらええんか、わからんようなりました。そもそも悪魔憑きのうちがお母様と普通に暮らしてこれたんも、普通に神殿護衛隊におれたんも、六神官や心ない人たちからエステル様が守ってくれたおかげでした。

 そんときエステル様に言われたんです。おまえはおまえのしたいようすればええて。


 うちが幼い頃、お母様に言ったこと覚えてますか?

 うちには絶対やりたいことがあるんです。うちにしかできんことです。それは、この世界を滅びから救うことです。

 世界が滅びるいうこと、お母様は信じてくれへんくて、口にはせんようなりましたけど、今でもその気持ちは変わってません。だって今のまま世界が終わってもうたら、お母様の人生は不幸で終わってしまいます。うちはお母様に、残りの長い人生で新しい幸せを見つけてほしいんです。


 どうすれば世界を救えるか、六歳のうちは悪魔から聞いて知ってました。それは十二年後に召喚される二十一代目のカイ・リューベンスフィアに、四体の“竜”を集めさせること、そんでそれだけでは足らん最後の手助けをすることです。

 そんためにうちはあらゆる手を打ちました。森ん中でフェアリ族が彼を見つけるよう誘導しました。最後の手助けに必要な予言書の一ページを手に入れました。二十一代目が自分で予言書を燃やしたときは驚きましたけど、彼は一体目の竜を手に入れました。そこからは自分でも上手くやれたと思います。二体目の竜に会えるようエステル様んとこに向かわせ、三体目の竜に会えるようドワーフ族をそそのかし、四体目の竜を手に入れるため、ヒューマン族の王を殺しました。


 二十一代目は四体の竜を手に入れましたけど、まだ足らんもんがふたつあります。

 ひとつ目は、情報です。でもこれは問題ありません。その情報を入手して彼に伝えるため、うちは“神”になる準備を進めてきたんですから。

 ふたつ目は、時間です。彼は四体の竜に自分を主人やと認めさせる必要がありますが、そのための十分な時間があるとはいえません。これだけは、うちにもなんともならんことです。けどうちは、それほど心配してません。彼はうちが思うてた以上に世界を救うことに真剣で、それこそ全身全霊かけて取り組んでくれてるてわかったからです。


 うちが物語に出てくるような神になったいうたら、お母様は笑いますか?

 きっと信じてくれへんでしょうね。それに神いうても、すべてを解決できるわけではありません。うちには直接手え出せんところで世界の滅びは進んでます。

 けど、たいていのことはできますよ。お父様のかたきであるエステル様を、一瞬で殺すこともできます。冗談ですけどね。今のうちは何でも知ることができます。やから、あの夜にお母様が口にしたエステル様への誹謗が本心ではなく、お父様を失った寂しさからきたものやいうことも、今のうちにはわかってます。

 エステル様が誰にも打ち明けてへんことも、今のうちは知ってます。お母様、お父様が死んだんはエステル様のせいではありません。エステル様のせいで戦死したいうのは嘘です。お父様は湖に落ちた幼いうちを助けようとして死にました。でもどうか、うちのこと嫌いにならんでください。うちはもうすぐ消えてまうからです。


 神になったうちは今、なんでも知って、なんでもできます。そうなって初めて、うちは知りました。やりたいことがいつでもなんでも本当にできる。そう実感すればするほど、やりたかったはずのことがどうでもよくなってまうんです。今せんでも、いつでもできるんですから。むしろ自分がかかわらんとこで、何がどうなっていくんかをただ眺めるようになりました。

 やから今のうちが執着しとることはひとつだけです。昔から願い、神になってもできんこと。世界を救うことです。そのために、二十一代目に最後の助力をします。その後はもう世界を救うためにできることも、したいこともありません。そうなったら、うちという自我に意味はなくなり、世界に溶けて消えるでしょう。この手紙を書き終えたら、もう意味がない肉体をまずは捨てるつもりです。


 お母様に感謝してます。

 うちを引き取って育ててくれました。初めて人里に降りたことでいくつもの伝染病を続けてわずろうたうちを、そのたびに徹夜で看病してくれました。嬉しいことがあれば一緒に喜んでくれました。悲しいことがあれば一緒に悲しんでくれました。お母様のおかげで、うちは世界中で一番の幸せに包まれて成長することができたんです。

 本当に、ありがとうございました。


 あなたを心から愛する娘

 サナトゥリア


 ~~~~



 便箋にぽつぽつとシミができ、インクがにじんだ。

 濡れた瞳をあげ、暖炉の上に飾られた古い弓を見つめる。

 弓の端には“カシム”と名が彫られていた。


「あなたがその生命と引き換えに救ったサナを、私は愛しました。サナは誰にも知られないまま、他の誰にもできない偉業を成そうとしています。あなたとサナは……私の誇りです」


 しばらく思い出に耽っていたルシアは、やがてティーセットを片付けると外出の準備を始めた。



  ***



「カイリ――!」


 〈大枢至テイアインパクト〉の熱風によって削られた荒野。

 あおむけに横たわるカイリの耳に、マティの声が届いた。


 小さな妖精が心配げに彼の顔を覗きこむ。


「カイリ」

「大丈夫。ちょっと気が抜けただけだよ」


 黒髪の青年が少し無理のある笑みを浮かべて上半身を起こした。

 飛んできたマティに遅れてリュシアスとレイウルフが到着する。


「ヒューマンの王とやらには勝てたのか?」

「カイリが無事で何よりです」


 〈障遮鱗プロテクト〉に守られたカイリにダメージはない。

 その様子を見てふたりは安心の笑顔を見せた。


「セイリュウの話では、王には不死システムっていうのがあって、死なないらしい。実際、ノマオイの村で死んだはずなのに王は生きていたしね」

「なんだと。俺が腹を焼いた苦労はなんだったのだ?」

「そうなると、その不死システムをどうにかしないといけないということですか」


 伸ばされた男たちの手を借りて立ち上がるカイリ。

 身体に異常はないが、ふたりの心遣いを嬉しく感じる。


「少なくとも今回の戦闘で、日科技研の地上施設が消し飛んで地下施設が顔を出したはずだ。もし王の不死システムが残っているとすれば、そこだと思う」

「どういうことだ?」

「不死システムに近づくことが、王の死に近づくということ……ですか」


 カイリたちは荒野を歩き、クレーターの端からその中心を見おろした。

 瓦礫が散らばる中で、まるで無傷の人工物が見える。

 それが多重独立防護層ダンジョン・第五層の天井であることを、カイリは確信した。

 〈大枢至テイアインパクト〉に耐えられるのは〈大遮隣アイギス〉だけであり、〈大遮隣アイギス〉を備えているのは多重独立防護層ダンジョン・第五層であることを、予言書の知識として知っていた。


 王の登場に備えて、マティ、リュシアス、レイウルフに〈障遮鱗プロテクト〉と〈方定パーマネント〉の魔法をセットで事前詠唱していく。

 ここ日科技研の地下を通る竜脈は、実は世界中に広がる竜脈ネットワークの中で最も太い。

 そのため役満フルコマンドの〈障遮鱗プロテクト〉を続けて使用しても全く問題なかった。

 そうでなければ王との戦闘中に、威力が落ちたとはいえダブル役満フルコマンドが連続で発動することはなかっただろう。




 このとき、誰も気づいていなかった。

 カイリがわざと、自分にだけ〈方定パーマネント〉をかけなかったことに。


 そもそも、〈方定パーマネント〉がなければ〈障遮鱗プロテクト〉の事前詠唱がわずか五十分で無効になることを知っているのは、カイリだけである。


 そしてカイリはマティたちが来る前に、〈枢暗光サーベイ〉の魔法を使って知っていた。

 すでに王は死に、不死システムが機能していないことを。




「あれは何でしょうか?」


 そう声を上げたのは、クレーターの中心を見つめるレイウルフだった。



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