File100. 山狩り



「何があるのですか?」

「何のことだ?」


 森林防衛隊隊長カシムの問いに、族長のエステルが切り返した。


 エステルとカシム、そして神殿護衛隊隊長ルチスの三人が、禁断の山の入口から少し離れた木陰で落ち合っていた。

 彼らの視線の先には不気味にそびえるカラジャス山。

 皆が寝静まる時間帯だが、その山肌を覆う巨木の森が、沈まない太陽によって右側から照らされている。


 その木々の間に蠢くたくさんの人影が見えた。


「ハイエルフの傭兵軍“パンテラ”によるカラジャス山の非合法な捜索活動――これについては、あなたにも午前中に情報が入っているはずよ、カシム」


 ルチスのクールな瞳がカシムを見つめていた。

 エルフ族の軍をまとめるふたりにとって、第三の武装勢力である“パンテラ”は目の上のたんこぶでしかない。

 その動きは監視され、定期的に報告書が届くのだが、雑務が苦手なカシムは見ていないことが多かった。


 クセのある髪をガシガシと掻くカシム。


「そうじゃない、ルチス」

「?」


 ルチスが隠すことなく疑問を顔に浮かべる。

 彼女は知っていた。

 カシムという男が、その粗野な言動からは想像できない思慮深さを備えていることを。


「“悪魔憑き”と“禁断の山”――どちらも俺たちエルフにとっては禁忌タブーに属する案件だ。それだけに今回の事件は興味深いものではある」

「そうかもしれないわね」

「だがそれだけの理由であれば、エステル様は俺かおまえにお任せくださったはずだ」

「…………」


 少しうつむいてから顔を上げるルチス。

 黙ったまま禁断の山を眺めている族長の背中を、ふたりの隊長が見つめた。


 エステルが小さくため息を漏らす。


「……優秀な部下というのは、時に困ったものだな」


 振り返った族長の顔が微笑んでいた。


「このカラジャス山が禁断の山である所以ゆえんを……その真の理由を誰も知らぬ。多くの者は何もないただの山だと思っている。ただ昔からの掟を継承しているだけだと」


 そこまで聞いた二人の隊長はハッとした。

 ヒューマン族でいえば二十代前半にしか見えない族長の年齢は一八八歳。

 外見は同じように見える三人だが、族長の生きてきた時間はふたりの三倍以上なのだ。


「エステル様はご存知なのですか、禁断とされる理由を?」

「あるのですか、禁断とされる理由が?」


 カシムとルチスが同時に同じ疑問を口にしたことが可笑しくて、白い歯を見せるエステル。


「……十八歳じゅうはちの時にな……禁を破ったことがあるのだ。禁断の山の秘密を知りたくてな。……六神官どもには内緒だぞ?」


 子どものような笑顔の族長を見て、ふたりの顔が一瞬引きつる。

 そして納得したように笑った――それでこそ、自分たちが知るエステル様だと。


「禁断の山に悪魔憑きの美女が棲んでいるかどうかは知らん。ただ――」


 再び背を向けるエステル。

 次の言葉を待つカシムとルチスが聞いたのは、一段階低い族長の声だった。



「禁断の山には、“悪魔”が封印されている」



 沈黙があった。

 最初に口を開いたのはカシムだ。


「悪魔――とは何ですか?」

「……さあな。ただ、本人がそう名乗ったのだ」


 振り返ったエステルに、笑顔は残っていなかった。


「その正体は私にもわからん。ただ、エルフ族の中で私だけが汎数レベル4の魔法を使える理由は、私がその悪魔に気に入られたからだ」


 それはカシムとルチスにとって、衝撃の告白だった。



 この世界で魔術師と呼ばれる者が扱える魔法は汎数レベル2まで――その常識を覆す者が二人存在した。

 カイ・リューベンスフィアとエステルである。


 歴史上、カイ・リューベンスフィアは汎数レベル6までの魔法を使いこなしたことが知られている。

 そして二十代目のカイ・リューベンスフィア――カインから、汎数レベル4の魔法を受け継いだのがエステルだ。

 だが、一緒に旅をしていた同じエルフ族のソロンは習得することができなかった。

 エステルが唱える呪文を彼女の部下たちがいくら真似してみても、汎数レベル4の魔法が発動することもなかった。


 その差は魔法に対する才能の差だと言われており、カシムとルチスもそう信じていた。




「真実は違う。禁断の山に封印された悪魔が、私に汎数レベル4の魔法を許可・・したのだ」


 エステルは、その出来事を悪魔から口止めされていたわけではない。

 ただ、エルフ族の掟は絶対なのだ。

 自分が禁を破ったことを人に話すことはできず、ましてや人に勧めることなどできるはずがなかった。


 そもそも悪魔の言葉が真実だとわかったのは、悪魔と出会ってから九十年もの歳月が過ぎた後――カインから教えられた汎数レベル4の魔法を、自分だけが習得できたときである。


「そんなことができる悪魔という存在を、私はむしろ恐ろしく感じた。私はたまたま運が良かっただけかもしれない。次は悪魔の機嫌を損ねるかもしれない。そのとき、どんな災厄に見舞われることになるのか……」


 族長の言葉をルチスが引き継いだ。


「それが、禁断の山が禁断とされる理由――」

「そうか……もし禁断の山に悪魔憑きの美女――かどうかはともかく、住み着いている者がいるとしたら――」


 三人が顔を見合わせていた。


「そういうことだ。今日山に入ったばかりの“パンテラ”には、悪魔の封印場所は見つけられんだろう。だが――」


 真面目な顔で頷くカシムとルチス。

 族長の懸念を理解していた。


 もし禁断の山に長年住み着いている者が実在するなら、封印された悪魔と出会っている可能性があるのだ。

 それによって何が起きたか、あるいは起きるのか。

 エルフ領を治める者として、彼らは知っておく必要があった。



  ***



 巨木の根元にできた大きなうろ

 そこにあるオオタカバチの巨大な巣が、燃え盛る炎に包まれてパチパチと音を立てていた。

 地面には、十数人による〈一気通貫ライトニング〉の一斉攻撃を受けたオオタカバチの死骸が大量に転がり、黒い絨毯を作っている。

 その中に、まだほとんど腐敗していない三つの死体があった。


「事故か?」

「事故だろう」


 ハチによる刺し傷以外には外傷が見当たらないことを確認したエルフ族の男たちが言葉を交わしていた。

 パンテラの隊員たちだ。

 捜していた三人に間違いないことは、所持品から確認済みだった。

 なにより死体のひとつがハイエルフ族であることは、その髪と肌の色から一目瞭然である。

 テギニス以外のハイエルフ族に行方不明者が出ていないことは、事前に確認済みだった。


 そこへ別のエルフ族の男が現れた。

 顔に大きな傷跡があり、エルフ族にしては体格がいい。

 パンテラを率いる指揮官だった。


「ただでさえ歩きにくい獣道をわざわざ外れて、よりによってオオタカバチの巣の前に自分から飛び込んだって言うのか?」


 男たちが言葉に詰まっていると、クリップボードを手にした女の隊員が現れて隊長に敬礼した。


「分析班の者です。判別できた足跡の変化から、動物を追ってたまたまここに飛び込んだものと推測されます」

「ばかか、おまえは」


 その粗野な物言いと蔑む視線に、女が鼻白む。


「オオタカバチの外敵に対する反応の速さを知らんのか? もし先に飛び込んだ動物がいるなら、一緒にここに転がっているはずだろうが」

「で、ですが、別の肉食獣に持ち去られたという可能性も――」

「これ以上、己の無知をさらすな、ばか者が。追われている最中ならともかく、野生動物なら絶対にここには近づかん」

「しっ、失礼いたしました」


 あきれ顔の隊長が鼻を鳴らした。


「おまえら、この状況を見てまだわからんのか? もうひとつ証拠が出れば、確実に他殺だぞ」

「で、ですが、山に入ったのがこの三人だけであることは沼地付近の足跡から確認済みで、他にルートは――」

「ちょいと、ごめんよ」


 食い下がろうとする女を押しのけて、白髪の小柄な男が姿を見せた。

 エルフ族でシワのある顔は、彼が三百歳近いことを示している。

 周辺の探索に出ていた分隊のひとつを率いる隊長だった。


「あったぜ、指揮官殿。この獣道の先に小屋だ。最近まで使われていたことは間違いねぇ」

「そうか……」


 指揮官が指笛を鳴らし、周辺を行き来する十数人の隊員が立ち止まる。


「他殺と断定する。犯人はまだこの山に潜んでいると見て間違いない。そいつを捕らえて連れ帰るのがてめえらの仕事だ。なるべく殺すなよ――急げ」

「はっ」


 命令は各分隊長に伝達され、組織的な山狩りが始まった。



  ***




「な、なんで? なんで急に里の人間らが……」


 山頂に近い崖から、六歳の少女がパンテラの動きを見おろしていた。

 森の木々がざわめき、大勢の人間がかけ合う声が小さく聞こえる。


 すでに埋葬を済ませた老人から、山を降りるなと言われていた。

 だが、向こうから登ってきた場合にはどうすればいいのか。

 少女は軽いパニックに陥っていた。


「……隠れなあかん」


 サナトゥリアが自分自身にそうつぶやいたとき、風がうなり、左上腕部に激痛が走った。

 一本の矢がかすっただけだが、裂傷がぱっくりと口を開けている。


 いたぞ――そんな声が崖下から聞こえた。


 弓という武器のことは知っていた。

 老人が若い頃に使っていたという弓が小屋に残っていたし、その手入れや補修の仕方も習っている。

 ただそれは将来のためであり、今のサナトゥリアには大きすぎて扱えなかった。

 少女は弓という武器の射程の長さに驚き、続けて傷口が紫に変色していることに気づく。


(――毒が塗られとったん? 本気でうちを殺す気や)


 どっと冷や汗が出た。

 隠れて覗いていたつもりが簡単に見つかったことにも驚いた。

 訓練された弓兵の目と技術を、幼いサナトゥリアは知らなかった。


 そして、それ以上に恐ろしかったのは――。


「じーちゃん、助け……」


 大勢の人間から一斉に敵意を向けられる――その虚ろな恐怖に動悸が強まり、足がすくむ。


「ランうあっ……」


 解毒のために〈薬杯ヒーリング〉の“ポイズン”モードを唱えようとして、絶望に沈むサナトゥリア。

 舌が思うように動かなくなっていた。

 それが毒のせいだと気づく。


 すでに左腕全体が紫色になっていた。


「どう……いんでまう……うい……」


 地面にうつ伏せになったまま、身体が動かなくなる。


(じー……ちゃん……)



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