File099. 掟


 行方不明中の三人組を捜す捜索隊の元に、複数の弓兵隊隊員から同様の証言が集まっていた。


 ――禁断の山には、悪魔憑きの美女が棲んでいる。


 消える数日前から、三人はその噂で盛り上がっていた――と。


 さらに、禁断の山へ向かう三人組の目撃証言まで出てきたところで、捜索隊を仕切っていた弓兵隊副隊長は申請を出した。


 禁断の山――カラジャス山への立ち入り許可申請を。



 だが、その申請は却下された。

 それどころか、捜索打ち切りの命令が下されたのだ。



 何があろうと禁断の山は立ち入り禁止――それがエルフ族に伝わるおきてであることは、エルフ領に暮らす者なら誰でも知っている。

 エルフ族は伝統と規律を重んじる種族である。

 行方不明者たちの両親も、息子が禁断の山で発見されるようなことになれば、親族全体にとっての不名誉だとわかっていた。


 だが実際のところ、掟だからという理由で本心から納得するのは三百歳を超える六神官くらいのものだ。

 弓兵隊の副隊長が特に異議を申し立てなかったのは、行方不明になった三人が問題を起こしてばかりいる厄介者たちだったからにすぎない。

 今回の行方不明事件についても、彼らの自業自得の線が濃厚だと考えていた。


 それでも彼が本気で捜索を進めていたのには理由があった。

 行方不明者の中にハイエルフ族のテギニスがいたからだ。


 ハイエルフ族といえば気位が高く、自分たちを特権階級だと思い込んでいる厄介な連中だった。

 実際にエルフ領で優遇措置を受けている彼らと揉めれば、自分が損をするだけだと誰もが知っている。


 三人組のリーダー格でハイエルフ族のテギニス。

 その両親に目をつけられたくないというのが、副隊長の本音だった。


 だがテギニスの両親からは捜索打ち切りに対する抗議どころか、捜索依頼さえ出されていないことが判明した。

 そのことを不思議に思う副隊長だったが、すぐに考えるのをやめた。

 今日一日、できることは精一杯やったのだ。

 彼にとって、ハイエルフ族の事情など知ったことではなかった。



  ***



 禁断の山への捜索を許可しなかったのは、族長のエステルだった。

 エルフ族において、族長の命令は絶対である。

 伝統と規律を重んじる六神官はその決定を歓迎した。


 だが、族長とのつき合いがそろそろ二十年になろうとしている神殿護衛隊の隊長ルチスと森林防衛隊の隊長カシムは首をひねった。

 自分たちの族長が、いざとなれば伝統や規律よりも実務を優先する人だと知っていたからだ。


 ふたりは気づいていた。

 族長の態度が急変したのは、“禁断の山に棲む悪魔憑きの美女”の噂について報告を受けたときからだということに。

 そしてどうやら族長が、今回の事件を自分の目で確かめようとしていることに。


「エステル様」

「カシムか」


 クセのあるこげ茶色チョコレートブラウンの髪を掻きながら、二十歳前後に見える無精ひげの男が族長と対峙していた。

 彼の実年齢は五十九歳である。


「俺とルチスも同行させてください」

「……何の話だ?」

「明日からの予定を三日分もキャンセルしていたじゃないですか。行くのでしょう? ――カラジャス山へ」


 小さなため息をつく族長。

 彼女の年齢は一八八歳だが、外見年齢は二十代前半にしか見えない。


「おまえも知っているだろう。禁断の山には、たとえ族長であっても入ることは許されていない」

「ええ、存じておりますとも」

「…………」


 無言の時間は五秒ほど。

 もう一度ため息をつくと、族長は有能な部下を見つめた。


「まあ、おまえたちには気づかれていると思ってはいたがな」

「ははっ、さすがエステル様。俺たちの進言がエステル様の身を案じてのことだということも、見抜いていらっしゃいますよね? 何しろ、行き先が“禁断の山”ですし」

「……おまえは、入隊したときから少しも変わらんな。少しはルチスのように言葉を選ぶということを学んだらどうなんだ」


 髪をガシガシと掻きながらニカッと笑うカシム。


「ははっ、これが俺の長所なんで。ルチスでなく俺が来たのも話が早いからですよ。ふたりとも、もう三日分の休暇を申請済みです。もちろん、その間の予定は調整済みですよ」

「承認済みの書類がここにあるから持っていけ。おまえと駆け引きをする気はない。疲れるだけだからな」


 呆れた様子の族長だが、その眼差しは優しい。


「承知いたしました!」


 大声を上げたカシムが右腕を胸に当て、エルフ軍隊礼式の敬礼を綺麗に決める。

 ひったくるようにテーブルから書類を取ると、彼は部屋を仕切る布をくぐって出ていった。


 外で待っていたのは、マーマレード色のミディアムヘアをマッシュウルフにした女。

 カシム同様、二十歳前後に見えるが、実年齢は六十歳だ。

 ふたりとももちろん族長と同じエルフ族である。


「よっ、ルチス。明日はよろしくな」

「ええ、生命に代えても私たちでエステル様を守りましょう」

「そうだな」


 ルチスが額にかかる前髪を払い、受け取った書類を確認する。

 そして長い睫毛まつげをしばたたかせ、ため息をついた。


「おまえのその諦めた風のため息、エステル様にそっくりだからやめてくれよ」

「それは光栄だわ。ここを見てよ」


 ルチスが書類の隅に書かれた文字をカシムに見せる。



 ――何があっても、私より先に死ぬな。族長命令だ。



「私たちの考えることなんて、エステル様はいつもお見通しなのよね」

「つき合いが長いからな。お互いさまだと思うぜ。それより……」

「それより?」


 カシムの目が真剣になる。

 こういうときのカシムは雰囲気がエステル様に似ていると思うルチスだが、言葉にはしなかった。


「エステル様のこの言葉……マジで危険なのかもな、禁断の山」

「そうね。こんな命令をエステル様からいただいたのは、入隊後に初めて戦場に出たとき以来だわ」


 禁断の山には六神官はもとより、歴代の族長でさえ入ることを許されていない。

 当然、ふたりとも入山した経験はなかった。


 別れ際に手を振るルチスが、新婚の同僚をからかった。


「明日は家に帰れないかもしれないわ。今夜はルシアさんに優しくしてあげなさい」

「るせえな、俺はいつだって優しいよ」


 ドワーフ族が繁殖期に入ったことで休戦状態が続く平和な時期ではある。

 それでも、二大隊長が同時に三日間もの休暇を取るとなれば大事だ。

 ふたりには今日中に片付けなければならないデスクワークがまだ山ほど残っていた。



  ***



 貧富の意識が低いエルフ族と共に暮らしながらハイエルフ族には富があり、一部の治外法権が認められている。

 種族平均でいえば体力も魔法適正もエルフ族に劣る彼らだが、ハイエルフ族にはひとつだけ特殊な能力があった。

 それは、いにしえの時代の遺物を操作できる――たったそれだけ、だが他の種族にはけして真似できない能力。


 彼らはナノマシンシステムの仕組みを理解しているわけではない。

 ただ先祖から代々受け継がれる半永久素材タイムレスアーティファクトの手順書を百冊以上有し、それら手順書のいずれかに該当する遺物に限り操作できるのだ。

 しかも古の遺物が反応するのは、彼らハイエルフ族が操作したときだけである。


 過去にはその手順書をめぐる他種族との争いが幾度となく繰り返されており、戦闘能力に劣るハイエルフ族はそのたびに数を減らしてきたと言われている。

 だが手順書があっても、古の遺物がハイエルフ族にしか反応しないことが知れ渡ると、真っ先に彼らと手を組んだのはエルフ族だった。


 エルフ領の中央神殿区。

 そこにはいくつもの古の遺物が残されており、そのうちのひとつが〈離位置テレポート〉によるエルフ領内への出現を許可する登録システムである。

 そのシステムを操作しているのがハイエルフ族であり、そのおかげでエルフ族はドワーフ族との戦争における年間死者数を大幅に減らすことができたのだ。


 エルフ族とハイエルフ族は体色以外の外見はよく似ているが、種族間で子を成すことができなかった。

 そのため、古の遺物を操作できる特殊な種族の血が薄まることはなかったものの、一方で種族間の目に見えない溝が埋まることもなかった。


 ハイエルフ族は最初から気位が高かったわけではない。

 弱小種族だった彼らは、エルフ族に迎え入れられた当初はワーラビット族よりも気が弱く、オドオドしていた。

 体力も魔法適正もエルフ族に劣る彼らは、慣れないエルフ領でストレスを抱え、若くして死ぬ者も多かった。


 そんな彼らの希少性を理解していた当時のエルフ族族長は、彼らを保護する新たなしきたりを作った。

 古の遺物を操作する対価としてハイエルフ族に高額の金銭や物資を贈り、様々な優遇措置や一部の治外法権を認めたのだ。


 それから数千年という時が流れた今、ハイエルフ族はすっかり高慢な種族に変貌していた。

 自分たちがいなければエルフ族はドワーフ族に滅ぼされるだけの種族であり、毎年送られる金銭や物資は税金や貢物だと認識しているのだ。


 それを面白く思わない者はもちろんいる。

 それでも伝統や規律を大切にするエルフ族は、ハイエルフ族を保護するしきたりを守り続けている。

 それは、実際には持ちつ持たれつの関係にある彼らが、長年にわたり安定を維持できている理由でもあった。




 行方不明になった三人組のリーダー格でハイエルフ族のテギニス。

 その両親や親族が捜索依頼さえ出していないのには理由があった。


 ハイエルフ族には一部の治外法権が認められている。

 そのひとつが、彼らがようする傭兵軍――“パンテラ”だ。


 テギニスの両親はパンテラを使い、息子たちを捜索する準備を終えていた。

 仮に死体で発見された場合には犯人を捕らえ、自分たちで思う存分なぶり殺しにするのがハイエルフ族のやり方だ。

 テギニスたちに目をつけられた者たちが遭遇していたとは、テギニスのポケットマネーで雇われたパンテラの一員によるものである。


 こうして公には知られることなく、禁断の山カラジャスでの大規模な捜索が開始された。



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