File074. 役名拒否


 真剣な顔で標識を見つめるカイリ。


「だめだな。やっぱり読めない」


 日本語の綺麗なフォントで記されていた予言書とは違い、村の入口に立つ標識に雑に刻まれた文字は意味不明の記号にしか見えなかった。

 〈翻逸トランスレート〉の魔法で言葉を交わせるようになっても、この世界の文字を読むことはできない。


「雪の街で見かけた看板の文字よりかくばっているけど、似ている気もする」

「ふん、ヒューマンの文字だな。俺が読んでやろう」


 カイリを押しのけるように前に出たリュシアスが、ひげの上からアゴに手を当てる。


「マ、オ、イ……。一文字目は何だったか……」

「ノマオイ、ですね。この村の名でしょう。旅をする商人向けの標識のようです」


 背も視力も知力も高いレイウルフがふたりの背後からそう指摘した。


「ここまで他に村なんてなかったと思うけど。商人なんて通るのかな」

「ヒューマン族の商売根性は他種族の比ではありませんよ、カイリ。おそらく途中で見かけた少数種族の集落と交易があるのでしょう」

「なるほど」


 すぐにレイウルフが提案した。

 ここでも商人のふりをして通り過ぎるのが良さそうだと。


「もちろんそれで安全とは言えませんが、小さな村ですからね。この村を通り過ぎるだけの商人がいる可能性はあると思います」

「どう思う、マティ?」

「え、私ですか?」


 きょとんとするマティを見て、苦笑するカイリ。

 このパーティのリーダーを引き受けたはずの彼女だが、今日まで彼女が出した指示はひとつもない。


「よいのだカイリ。リーダーってのは、最終決定をすればそれでよい。もちろん自分の考えを言うのはかまわぬが、重要なのはパーティの行動をひとつに決めることだ」

「わかったよ、リュシアス」


 パーティメンバーの意見が一致している間は、何もしなくてもかまわないのだろう。




 辺境の小さな村。

 だからこそ、ヒューマン族以外の種族が珍しい可能性は高い。

 やはりリュシアスやレイウルフは変装し、マティは隠れて進むことになった。


「ああ、カイリ。おまえたちは後から来い。先に俺とレイウルフたちが進み、安全そうならビャッコにスザクを呼ばせる」

「……かまわないけど、理由を聞いても?」


 怪訝けげんな顔をするカイリに、ニヤリと笑うリュシアス。


「俺はもちろん、エルフ族の隊長を務めていたレイウルフも一流の戦士だ。敵地での活動には慣れている。要するに――この前のようにカイリに派手なことをされると面倒なのだ」

「……わかった」


 賓客室を黒焦げにした後、店主と話をつけてくれたのはヒョウエだが、店にかけつけたリュシアスたちを驚かせたのは事実だ。


「それはグループを編成した私の反省でもあります。“常識に疎い”ということが、いかに危険の引き金になるかを甘く見ていました。ドワーフ族の女性のこと以外にも、思わぬ落とし穴があるかもしれません」


 レイウルフにまでそう言われて、カイリは少々落ち込んだ。


「ですから、今回はテクニティファ様とカイリ、スザクが第二陣として残ってください」

「わかったわ」


 明るく答えるマティ。

 マティは常識担当、スザクは通信担当といったところだろう。

 カイリは自分がとてつもないお荷物になった気がした。


「じゃあ、俺たちは先に行く。なに、安全そうなら、すぐにビャッコから連絡を入れる」

「ああ、行ってらっしゃい」


 リュシアスたちを見送った後、柵の近くでしゃがみこむカイリにスザクが気づいた。


「カイリ、落ち込んでる?」


 寄ってきたスザクを見上げるカイリの足元に、大きな双葉が開いていた。


「あれ? フェス?」

「うん。リュシアスの言う敵地とまではいかなくても、未知の土地ではあるからね。何かないか調べておいてもいいかと思って」

「ふーん」


 興味が無さそうに視線を上げたスザクがビクリと反応して背筋を伸ばした。


「あっ、ビャッコ姉とゲンブからコールが入ったよ。様子を聞こうと思ったけど、うーん、さすがに竜の回線は届かないか」

「ずいぶん早かったな。じゃあ、俺たちも行こう」


 そこへマティが飛来した。


「では、おじゃまします」


 ぺこりと頭を下げると、カイリのローブの襟元を広げる。

 思わず緊張するカイリだが、マティがローブの内ポケットに入ることは事前に相談して決めていたことだ。

 ただ、胸に伝わるぬくもりの心地良さがカイリの顔を赤くした。


「ゆったりとしたローブではあるけど、窮屈じゃないかな?」

「平気です。翅がありますから」


 カイリにはよくわからないが、マティの翅には姿勢制御以外にも彼女が存在する空間を安定させる作用があるようだった。




 標識のそばを通り過ぎようとしたときだった。


 カイリの足が止まった。


 それに気づいたスザクが振り返る。


「どうしたの、カイリ」

「ん、いや……」


 歯切れの悪い言葉を返したカイリが、標識の手前まで引き返す。

 そしてもう一度標識を通り過ぎた。


「なんだこれ……まさか」


 表情を引き締めるカイリの元に、スザクが引き返してきた。


「どうしたのっ?」

「スザクはなんともないのか」

「んん??」


 おもむろに呪文の詠唱を始めるカイリ。

 スザクはぽかんとしている。


「〈離位置りいち〉」


 白い波紋の魔法陣は現れず、カイリの姿が白い光に包まれることもなかった。


「間違いないな。この村では、魔法を使えないみたいだ」

「えーっ?」

「そうなんですか?」


 ポケットから出てきたマティも〈拝丁メイジハンド〉を試してみたが、発動しなかった。


(ビャッコやゲンブからの信号がスザクに届いているんだから、ナノマシンが存在しないわけじゃない。役名コマンドの受理をシステムが拒否しているのか?)


 標識のそばを通り過ぎたときにカイリが覚えた違和感。

 それは、普段は意識しなくても感じている“世界との一体感”の喪失だった。


 カイリを含め、カイ・リューベンスフィアは例外なく〈翻逸トランスレート〉の魔法をマティからかけられている。

 〈翻逸トランスレート〉が脳内ナノマシンと周辺ナノマシンとのリンクを強化することで、自分の役名コマンドが届く範囲にいるナノマシンの存在を、その気配を、脳内ナノマシンを介して感じている。

 それが、カイリが感じていた“世界との一体感“の正体だ。

 魔法を使用する際に、その届く範囲である百メートルの距離を感覚で判断できるのもそのおかげだ。


 今のカイリにはその感覚が無かった。


「俺たちの存在をヒューマン族はまだ知らないはずだ。だから罠っていうわけでもないだろうし、地域的なバグだと思う。できるだけ穏便に、さっさとこの村を抜けよう」

「そうですね」

「うん、わかった」


 魔法が使えないとなると、カイリは役立たずだ。

 戦闘ではリュシアスの近接戦闘能力やレイウルフの弓術、そして竜たちの力に頼るしかない。


(セイリュウのこともあるし、竜の力はなるべく使わないで済ませたいけど、使えないよりはずっと安心だな)


「頼りにしてるよ、スザク……と言いたいところだけど、最初から目立つことは避けたい。竜の力を使うことは、できるだけ我慢してくれ」

「まかせてっ」


 控えめなサイズの胸をぽんと叩いてニッコリと笑うスザク。

 不安しか感じないカイリだったが、その言葉を呑み込んだ。




 カイリたちが村の入口から姿を消した後。

 入口を挟んで標識の反対側に立つ大樹から、人影が地面に降り立った。

 その数、六。


 二十代前半の男たちの中心に立つのは、モッズコートの若い女だった。


「幻のフェアリ族を連れた男……あれが王の客人で間違いないようね」


 女の言葉を受けて、オールバックの髪の男が残念そうにつぶやく。


「ヒョウエ殿から話を聞いたときには、あのクソ領主を倒した見どころのある奴かと思ったが……まさか王に通じる奴だったとは」


 続けて他の男たちも、それぞれの思いを口にした。


「この村に姿を見せたのですから、間違いないですよ。情報通りです、サリン」

「〈離位置テレポート〉で先回りしておいて正解だったな、エルローズ」

「すぐに確保しようぜ。ドワーフやエルフと離れた今がチャンスだろ」

「俺はその情報が怪しいと思うがね。奴らと出会った数日後にそんな情報が出てくるなんて、タイミングが良すぎるぜ」


 エルローズが右手を上げると男たちが黙った。


「戦闘精霊を失ったあたしら精霊騎士団スピリチュアルナイツに、騙す価値なんて残ってやしないわ。そしてこれは、王と交渉できる最後のチャンスかもしれないのよ」


 サリンがオールバックを撫でつけながら、ため息を吐いた。


「やるしかねえってわけだ。ヒョウエ殿がサービスしてくれた“竜にも効く隠密能力”ってぇのが何の役に立つのかわかんねぇし、あの小僧が領主を倒した方法もわかってねぇけどな」

「追い詰められたネズミは、捨て身でネコに噛みつくしかありません」

「ちょっと待って」


 やる気を出し始めたメンバーにエルローズが微笑んだ。


「村長には話をつけてあるわ。あたしらが動くのは、成功率を上げられるだけ上げてからよ」

「なるほどな」

「了解」


 ヒューマン領。

 そこはヒューマンの王が支配する地域であり、レジスタンス活動を続けてきたエルローズたちの故郷でもある。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る