Folder10. ヒューマン領

File073. 大樹からの視線


 乾いた地面の表層がひび割れている。

 しばらく雨が降っていないのだろう。

 けして乾燥地帯というわけではない。

 その証拠に、南へとのびる細い道の両側には畑が広がっている。


 ただ肥沃な土地とも言えないようで、遠くに見える山々に生える木々はまばらであり、地肌が露出している面積のほうが広い。

 その山肌を照らしているのは、地平線に浮かぶオレンジ色の太陽だ。


「太陽が動かないというのは、方角がわかりやすくていいな」


 畑に囲まれた道を歩きながら、そうつぶやく黒髪の青年。

 その近くで宙に浮く黒髪の妖精がぼやいた。


「カイリは平気なんですね。私は結構、混乱しています。生まれてから二千年の間、太陽はずっと西にあるものでしたから」


 マティの言葉を聞いたカイリは、カイ・リューベンスフィアの屋敷で最初に読んだ予言書のタイトルを思い出した。


 ――『沈まない太陽』


(ここでは『昇らない太陽』……だよな。“昇らない”よりは“沈まない”のほうが、イメージがいいとは思うけど)


 カイリとマティの後ろに続く五人のパーティメンバーも、東からの陽光を浴びている。


 彼らは、かつて日本の東北地方と呼ばれた地域まで旅を進めていた。

 リュシアスとビャッコが出会った場所――五千万年前にはチュコト半島と呼ばれていた旧ロシアの領土を、すでに通り過ぎている。


 ちなみに、眠る時間帯にはゲンブ発掘現場にあるエルフ族の簡易宿舎に戻っていた。

 戻るのは〈離位置テレポート〉で一瞬だからだ。

 彼らの旅は、〈離位置テレポート〉で往復できる範囲を広げる旅でもあった。


「ねえ、やっぱりビャッコ姉に飛ばしてもらおうよ。あ、そうだ。私が飛んで偵察してこよっか?」


 ボリュームのある赤髪の少女がカイリの前に回り込み、後ろ向きに歩き続けている。

 そんな彼女に、カイリの後方から声が飛んだ。


「畑を見つけて降りたいと言いだしたのはスザクですわ。もう飽きたのですか?」

「ゲンブだって、ようやく人の気配がある風景になったって、嬉しそうに言ってたじゃん」


 聖女やヒョウエと出会った雪原の街を後にしてから、つい先ほどまでは再びビャッコが飛ばす金属板で移動していた。

 灼熱の砂漠と化した太平洋を北側から回り込む形で旅を進めてきたのだが、ここまで街らしい街を見かけることはなかった。

 せいぜい少数種族が暮らす集落らしきものが点在していた程度である。


 同じような風景が続く中、ようやく“畑”という文化的な代物を目にしたのだ。

 彼女たちが喜ぶのも当然だろうとカイリは思ったが、それが人と人の争いの中でこそ価値を発揮する竜ゆえの反応であることには気づいていなかった。


「飛ぶのをやめたいと言ったのはカイリでしたね。理由をうかがってもよろしいですか?」

「何か用事でも思いついたのか?」


 のっぽのエルフ族が普通に、背は低いが筋肉質のドワーフ族は上機嫌で、それぞれカイリに話しかけた。

 ここ数日、リュシアスの機嫌がいい理由をカイリも知っている。

 確認や交渉は必要だが、次世代に引き継げる規模の新たな鉄鉱床のアテができたからだ。


「用事があるわけじゃないよ、リュシアス。前にゲンブが言っていただろう、レイウルフ。姉竜は妹竜のおおよその居場所と状態を感じ取ることができるって」


 カイリが思いつきで飛行から徒歩に切り替えたわけではなさそうだと気づき、ふたりの男の顔つきがやや真面目なものに変わる。


「四体目の竜は長女だ。マティと俺が一度だけ出会った彼女は十分に成長しているように見えたし、ここにいる竜三人が誰も彼女を捕捉できないことからも間違いないと思う」


 リュシアスが最後尾を歩く白髪の若い女を振り返り、スザクとゲンブの姉にあたる彼女が頷くのを確認した。


「ビャッコにも捕捉できんとなると、面倒な相手だな」

「うん。それで竜の長女の拠点は、エルフ領やドワーフ領がある大陸じゃないと思うんだ」

「そうですね。もしそうなら竜の目撃情報のひとつでもありそうなものです」


 レイウルフの言葉にカイリが頷く。

 二千年も生きているマティでさえ、竜を見るのはスザクが初めてだったのだ。


「ああ、わかりましたよ、カイリ。カイリは竜の長女の拠点がこの付近だと考えているのですね。それで目立つ行動を控えようと」

「この世界で人類が生存できる領域は限られてる。このあたりはエルフ領から見て、世界の反対側にあたるはずなんだ」


 ――古代人はそれをユーラシア大陸と呼んでいました。


 リザードマン族のガーディと砂漠で交わした会話を思い出すカイリ。

 今いる場所はかつて日本と呼ばれた島であり、正確にはユーラシア大陸ではない。

 ただ、あの日眺めた砂漠を越えた先にいることは間違いなく、感慨深いものがあった。


 あごに手を当てたレイウルフが顔に警戒の色を浮かべている。


「当面の旅の目的地は、その竜の長女の卵が埋められていた場所だと言っていましたね。その場所が予言書に記されていたと。もう近いのですか?」

「いや、それはまだ先だよ」

「そうですか。とはいえ世界の反対側となれば、ここはヒューマン領ということになります。我々の大陸におけるヒューマン族は少数派ですが、ここではエルフ族やドワーフ族のほうが少数派でしょう。警戒するに越したことはありませんね」


 カイリも初めて訪れた場所に警戒心が無いわけではない。

 だが、やはり最も警戒すべきは竜の長女だと考えている。

 最初の出会いで呪文詠唱を封じられた記憶はまだ新しい。


(空を移動するのにも、竜脈からエネルギーを消費している。その消費自体を把握されるとは思わないけど……)


 竜の力を使っている――そのビャッコの“状態”を、首輪の人が感知することは十分にありえるとカイリは思っていた。


「竜の長女は、スザクたちの状態をおおまかには把握しているはずだ。それでも、こちらが竜の力を使わなければ、不用意に警戒させたり、居場所を感知させやすくしたりといったリスクを減らせると思う」

「ふん。いずれにせよ戦闘になれば、相手に先手を許すことになりそうだな」


 リュシアスの言葉に頷くカイリ。


「残念ながら、戦闘は避けられないだろうな。彼女は彼女の主人の命令を受けて行動しているようだった。竜の力を知る者が、竜を簡単に手放すとは思えない」

「とはいえ、こちらの竜は三体だ。圧倒的とまでは言わんが、有利ではないのか?」

「どうかな。少なくとも、火系プラズマのスザクは水系リキッドの長女に手も足も出ないだろう。属性で有利なのは土系ソリッドのゲンブだけど、問題は長女がいつ生まれたか、だ」


 リュシアスは思い出した。


 ――成竜どうしであっても年齢によって扱えるエネルギーには差があります。


 スザクが瞬時に成長する様子を感じとったときの、ビャッコのセリフだ。

 属性で不利なビャッコには、それでも年齢差による優位が存在していた。


 レイウルフもまた、ゲンブのセリフを記憶していた。


 ――二か月早く生まれたわたくしの、妹に対するアドバンテージは圧倒的です。


「年齢が高くなるに連れて、その差は縮まると予言書には書かれていた。だけどもし、長女が百年――仮に千年も前に生まれていたのだとしたら……正直、まるで勝てる気がしない」

「そうでしょうか?」


 口を挟んだのは、それまでずっと無口を通してきたビャッコだった。

 その場の全員が注目する中で、スカートスーツ姿の美女が縁なしリムレス眼鏡を通してカイリを見つめている。


「確かに妹竜である私たちは、セイリュウ姉さんに勝てないかもしれない。でも、勝てるのではありませんか、元帥さん?」

「…………」


 無言でビャッコを見つめるカイリ。


 魔法の最高汎数レベルは13。

 そして竜が扱うエネルギーは汎数レベル13の魔法相当とされている。


 成竜になる前であれば扱うエネルギーが汎数レベル13に満たないため、成竜になっていたゲンブが子竜のスザクを見下したのは当然だった。

 だが成竜どうしであれば、その年齢差がいくらであっても汎数レベル13の魔法相当のエネルギーしか扱えないのは同じではないか。

 差があるとしても、せいぜい一割か二割程度にすぎない。

 それがビャッコの認識だった。

 かつてリュシアスに語ってみせた強気の発言は、リュシアスに見抜かれていた通りに虚勢であり、成竜どうしであれば年齢によるエネルギー差はさして大きくはないと。


「竜が扱う汎数レベル13の魔法相当のエネルギーとは、おもにブレス攻撃で消費されるエネルギーです。ですが元帥さんなら、防御や回復、多種多様の魔法にそのエネルギーを生かせるはず」

「なるほど、そういう意味か」


 どこか安心した様子のカイリが、微笑んだ。


「たしかにビャッコの言うことには一理ある。ただ、竜が扱えるエネルギーが汎数レベル13の魔法相当という説明は、目安に過ぎないんだ。生まれて一、二年、あるいは十年が過ぎたくらいなら、そう言えるかもしれない。でも、百年、千年と歳を重ねた竜なら、汎数レベル14や15の魔法相当のエネルギーを扱える可能性がある。俺はそう解釈している」


 汎数レベルがひとつ上がれば、そのエネルギーは十倍である。

 カイリの解釈が正しければ、勝てる気がしないという発言も妥当だと思える。


 話を聞いていたリュシアスが、どこか不機嫌な声を出した。


「結局は戦ってみないことには、わからんということだろう。戦闘とは、そういうものだ。地の利や運、その日の天候や体調も作用する。敵の分析は重要だが、絶対に勝てる戦いなど存在せぬのだ」

「長女……名をセイリュウと言うのですか? その竜が何歳なのかもまだわかりませんしね。それよりも今は先に進むことにしましょう」


 レイウルフの言葉もあり、この話はここで終わった。

 ただ、カイリだけが別のことを考えていた。


(今の会話で、魔法に対するビャッコの知識の範囲がだいたいわかった。……それにしても、元帥さん――か。ビャッコの主人になるのは難しいと思っていたけど、力については認めてくれているみたいだな)




 畑の間を進む彼らの視界に、簡素な木製の柵が映った。

 ただし門のようなものはなく、通行は自由にできるようだ。

 付近に人の姿は見当たらないが、空から眺めたときには柵の向こうに民家が見えていた。


 柵と柵の間を抜ける道の右手には、ここまで目印にしてきた大樹が、左手には朽ちかけた小さな標識が立っている。


 標識の前に集まるカイリたちを、大樹の上から見おろす複数の視線があった。

 生い茂る枝葉の陰からとはいえ、その距離はせいぜい十数メートルほどしか離れていない。

 たとえその正体が無力な子どもであったとしても、竜の索敵が捉えるのに十分な近距離である。


 それにもかかわらず、視線の主たちが竜の索敵に引っ掛かる様子はなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る