File051. 召喚の仕組み


 ナノマシンシステムは、稼働を開始した当初から魔法や竜を実現していたわけではない。

 稼働したばかりのナノマシンシステムは地球表面を覆う目に見えない神経細胞のようなもので、既存の情報ネットワークから独立していたこともあり実用性は皆無と言ってよかった。

 構想されていた各種機能を実現するためには、当時の科学力を超えるいくつかの未知の技術――特にナノマシンの相対座標を固定する技術――が必要だった。


 地球の自転が公転に一致したこの時代では、すでにシステムが完成し魔法と竜が実現されている。

 それはナノマシンシステム自身が試行錯誤によって学習と成長を繰り返し、必要な技術をひとつひとつ獲得していった結果だ。

 システムの稼働から完成までに要する時間は百年から二百年だろうと推測されていた。


 予言書に書かれたその推測について、カイリはこれまで気にしたことがなかった。

 それが百年だろうと千年だろうと、今からおよそ五千万年前であることに変わりはないからだ。

 だが今は、その稼働から完成までの時間差タイムラグが重要だった。

 スザクは卵に入る前に、タキタニという人物と会話をしたという。


(そんなことが、ありえるのか?)


 カイリの目の前で白く輝く光。

 五歳児のサイズだった光の塊が成長していく。

 あらかじめ確保されていた原子群が成長速度制限の呪いから解放され、ナノマシンによって新しいスザクの身体を構築していた。




 予言書がまとめられたのは、ナノマシンシステムが稼働する直前である。

 そしてその時点ですでに魔法システムや竜を含む精霊システムの基幹プログラムは完成しており、稼働を待つナノマシンシステムに仕込まれていた。

 それらはシステムが稼働を始める時点では眠っており、システムが成長し必要な技術を獲得することで解放されることになっている。

 一方で、ナノマシンシステムが稼働するだけで機能するプログラムも存在していた。

 竜の人工知能プログラムや、役名コマンド入力者を全身静脈パターンで識別するプログラムなどである。


 そして竜の卵が設置された黒い箱型の孵化器は、すでに世界の四地点に埋められていた。

 日本のグローバル企業による工事にカモフラージュされて。

 ただし卵の中に竜の身体が形成されるためには、ナノマシンシステムの完成を待つ必要があった。


 ――卵に入る前……タキタニさんに……聞いた。


(スザクが会話したのは卵に入る前、身体が形成される前だ。つまりナノマシンシステムがする前ということになる。そしてナノマシンシステムがした後のはずだ)


 ナノマシンシステムが稼働する直前――予言書がまとめられた時点――の竜の人工知能には、まだ“心”が存在しなかった。

 心とは、意思や感情、意識、思考といったものだ。

 それは竜という危険な兵器が、状況に対して臨機応変に行動するために必要なものとされていた。

 心がない機械は、想定された状況の中でしか期待される行動を取れないからだ。


 人間の心は、脳という器官の中で生じる物理現象であることがわかっている。

 開発中の人工知能が心を持つためには、刺激と認識を反応に収束させるためのフィードバックを繰り返す物理的な三次元構造が必要だと考えられていた。

 それを実現するのがナノマシンによるネットワークであり、稼働直後の未完成なシステムでもその機能は果たすだろうと期待されていた。

 心が生まれたことを確認した後に、竜の人工知能プログラムは卵が孵化するまでナノマシンシステムの中に封印される手筈になっていた。


(誰かがスザクと会話をしたとすれば、心が生まれてから封印されるまでの短い期間しかない)


 その時のスザクにはまだ身体がなかったのだから、その会話はマイクとスピーカによるものだったかもしれないし、ディスプレイとキーボードによるものだった可能性さえある。


(問題は、その会話の相手がかもしれないってことだ。そんなことが、ありえるんだろうか?)


 “竜にかけられた呪い”はプログラム上の変数であり、五千万年前に設定された竜の成長速度制限を、まるで〈方定パーマネント〉の魔法のように今でも有効にしている。

 〈免全キャンセル〉の魔法によってその変数を書き換え、呪いから解放できるのは、呪いを設定した本人だけのはずである。

 予言書には術者本人の識別方法も書かれており、〈免全キャンセル〉の説明文に嘘や間違いがあるとは思えなかった。


 ナノマシンシステムは全身静脈パターンの整合率が五十パーセント以上で、魔法の術者――役名コマンドの入力者――を本人と判定する。

 百パーセントに近い値で判定しない理由は、病気や事故で身体部位が欠損した場合でも識別するためであり、身体の五十パーセントが残っていれば判定できることになる。

 本来は三パーセントも整合すれば本人にほぼ間違いないとされる手法であり、五十パーセントも一致すれば完全に本人だと言えた。

 DNAによる判別とは違い、一卵性双生児であっても容易に区別することが可能である。


(竜に呪いをかけた人の情報を、ナノマシンシステムは全身静脈パターン情報として記録しているはずだ。それを俺の全身静脈パターンと比較し、本人だと判定した)


 つまりカイリの〈免全キャンセル〉で竜の呪いが解けるのであれば、竜の呪いを永続化する〈方定パーマネント〉をかけたのはカイリ本人ということになる。


(誰が唱えても〈免全キャンセル〉が効くように設定されていたということは……ないだろうな。開発チームは竜が他国に利用されるリスクをかなり大きく見ていた。竜の成長速度制限を敵やスパイに解除される可能性を残すはずがない)


 むしろ本人限定とはいえ、竜の成長速度制限を解除できる手段を残したことがカイリには不思議だった。

 もちろん本人の死後は誰にも解除できないのだから、リスクとしてはほとんど問題にならなかったのかもしれない。

 だが逆にメリットがあるとも思えなかった。

 しかもわざわざスザクに伝えることに何の意味があったのか――?


(思い当たることがないか、後でスザクに聞いてみよう。それにしても五千万年前にスザクと会話したのは、本当になのか?)


 カイリの本名は滝谷たきたに海里かいり

 この世界でその名を明かした相手はマティだけであり、スザクがタキタニという名を口にしたことは偶然にしてはできすぎだと思える。


 予言書のうち“沈まない太陽”と題された本の発行日は、カイリが生まれた年から約三百四十年後の日付だった。

 そして残り二十五冊の本――ナノマシンシステムが包括する全要素についての技術報告書――に書かれた報告日が、カイリが生まれた年からわずか六十五年後であることを瞬間記憶が覚えている。


(つまりスザクと会話した“タキタニさん”が、六十五歳の俺自身である可能性はってことだ)



 カイリは知らなかった。

 孵化したスザクがカイリを見つけたとき、その外見が日本人の特徴に合致していたことを。

 想像していたよりも男の人だという感想を持ったことを。

 そしてスザクが知る日本人が、滝谷海里であることを。




 完成したシステム下のナノマシンは物体を原子レベルで分解し、構築することができる。

 〈離位置テレポート〉の魔法ではナノマシンが移動前の身体や衣服を分解し、移動後の場所に同じ空間配置で原子を並べて結合し、身体や衣服を構築する。

 予言書からその原理を知ったカイリは、予言書には書かれていなかった“召喚”の仕組みについて推測することができた。


 ――滅びを迎える世界が、滅びを避けるためにマスターを召喚していると言われています。


 そうマティは言った。

 つまり“召喚”とは、世界――ナノマシンシステム――が自身の滅びを避けるために、予言書と同じ時代のデータベースから人間の情報を呼び出し、まるで〈離位置テレポート〉で出現するようにその人間をことだった。


 カイ・リューベンスフィアとは、ナノマシンによって造られた人間である。


 ただし予言書の日付はカイリが召喚されてから四十七年後であり、ナノマシンシステムが稼働したのはそれと同じ年か翌年くらいということになる。

 したがってカイリの身体や高校の制服について、原子レベルの情報が記録されていたとは思えなかった。


(たぶん六十五歳の俺の身体情報や記憶から十八歳の俺をシミュレーションした結果を使っている。なぜそんなシミュレーションがされたのかはわからないけど、シミュレーションで完全に十八歳の俺を再現することはできなかったんだろうな。この世界に来たとき、見慣れているはずの両親やクラスメートの顔をはっきりと思い出せなかったのはそのせいだ……)


 つまり“召喚”によって、本物オリジナルの滝谷海里がこの世界に呼ばれたわけではない。

 本物オリジナルの滝谷海里は過去の世界で何も知らずに生きている。


(じゃあ、この世界に召喚コピーされた俺は何なんだろうな?)


 予言書を読み終えた直後のカイリが落ち込んでいた理由がそこにあった。

 カイリにとって、自分の生命は“仮そめの存在”としか思えなかったからだ。


 そんな彼の存在意義を明確に示してくれたのが、他ならぬ黒髪の妖精だった。

 マティとの“約束”を果たすことが、カイリにとっての生きる理由になっている。


 そしてカイリはぼんやりと考えた。

 〈離位置テレポート〉を繰り返すこの世界の住人は、出現時にナノマシンに造られるという点において召喚されたカイリと変わらない。

 違うのは、〈離位置テレポート〉の場合は元の身体が分解されるということ。


 それは“死”なのだろうか?

 それとも原子レベルで同じものは、同じものなのだろうか?


 例えば元の身体を構成していた原子を別の場所に運び、同じ原子を同じ位置に置いて身体を再構成すれば、それは同じ人間だと思えるかもしれない。

 切断された腕がくっついて動けば、自分の腕が元に戻ったと思うのと同じことだ。

 だがそれは、見慣れた自分の腕と他人の腕では明らかに違うからである。


 原子に“個性”は存在しない。

 同じ種類、同じ状態の二個の原子を位置情報で区別することはできる。

 だが特性で区別することはできない。


 この問題はカイリには難しすぎた。

 これは突き詰めれば、“時間”とは何かという問題にまで発展する科学界でも未解明の分野である。

 人が個を認識するとき、必ず時間という要素が絡むからだ。




 カイリの目の前で輝く光が薄れていく。

 そこに立ち、にんまりと満足気な笑みを向けているのは、ゲンブと同じ十五、六歳に見える少女だった。

 艶のある赤い髪が風になびく。


「ありがとっ、カイリ」


 突き刺すような美しさを放つ、成長したスザクがそこにいた。



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