File050. 免全《キャンセル》


 スザクの目覚めはとても心地よいものだった。

 カイリが唱える召雛子インキュベート要俳キーワードは、黒い箱の中で卵の白い殻に包まれているスザクを、彼女が生きるべき夕暮れの世界へと優しくいざなった。


(私を待っている人がいる……)


 殻を破って卵から頭を出した紅いヒナは天井を仰ぎ、その喜びを産声うぶごえに乗せようとして――思わず竜の息ドラゴンブレスを吐いていた。

 ここでいうブレスとは呼吸にともなう通常のブレスのことではなく、竜が口から放出する攻撃手段のことである。




 火系プラズマの竜が吐くブレスがプラズマであることは、カイリが読んだ予言書――ナノマシンシステムが包括する全要素についての技術報告書――に記されていた。

 予言書はナノマシンシステムが稼働を開始する直前にまとめられており、その二大技術成果である “魔法”と“竜” は開発初期から構想されていた日本の軍事機密である。

 そして汎数レベル2までの下位魔法と、竜プログラムの一部を流用した精霊システムが、民生用に公表されることが決まっていた。


 予言書の製作時点では構想だけがあり、後に実用化された技術もある。

 そのひとつが自己修復機能をもつ“半永久素材タイムレスアーティファクト”だ。

 半永久素材タイムレスアーティファクトとしてその基本構造がナノマシンシステムに登録された素材は、破損するとナノマシンによる修復が自動的に始まる。

 したがって半永久素材タイムレスアーティファクトを加工するためには一度ナノマシンシステム上の登録を抹消し、加工後の形態を再登録する必要がある。


 古代の布は半永久素材タイムレスアーティファクトにさらに浄化機能が付加された技術であり、その浄化作用もまたナノマシンにより実現・維持されている。

 五千万年前に印刷された予言書が現存している理由も、その紙が後に半永久素材タイムレスアーティファクトとして登録されたからであり、地下インフラとして水や電気を運ぶ“竜脈”がこの時代に生きているのもまた、それらが半永久素材タイムレスアーティファクトで造られているからだ。

 地下インフラには特別に自己成長機能が付加されており、それは受精卵が臓器の形成に合わせて血管を形成する機能に似ている。

 必要な元素量の確保に時間はかかるが、その土地の需要に応じて水道や送電線のネットワークが自動的に拡張されるのだ。


 これらの技術はすべて、互いに信号を授受するナノマシン群がまるで神経細胞のように情報伝達ネットワークとして機能するナノマシンシステムの上に成り立っている。

 カイリが魔法や竜について詳しく、古代の布の仕組みを推測できたのは、瞬間記憶能力によって予言書の全文を覚えているからだ。

 だからカイリは知っていた。

 火系プラズマの竜が吐くブレスがプラズマであることを。


 物質は有するエネルギーによって状態を変え、固体、液体、気体と変化し、さらにエネルギーが高くなると分子から一部の電子が飛び出してプラズマとなる。

 電界エネルギーで生じたプラズマは“雷”として知られ、化学反応による熱エネルギーで生じたプラズマは“火”として知られている。


 スザクは火炎を吐くこともできるが、生まれて初めて吐いたブレスは稲妻だった。

 それは光の柱となって空に浮かぶ雲まで届いたが、竜が扱えるエネルギー量としてはまだまだ少ない。

 予言書によれば竜は生まれて七日で成竜となり、そのブレスは一息で大都市を消滅させるだろうと予測されていた。




 一部が溶融した黒い箱から外に出て、スザクは自分を待つ人の姿を探したが近くにはいないようだった。

 だが彼女は慌てることも悲嘆することもなかった。

 まだ見ぬその人が自分を必要としていることは、ナノマシンシステムが召雛子インキュベート要俳キーワードを受け付けたことでわかっている。


(私は待っていればいい。その人はきっと、私を見つけてくれる……)


 そして彼は現れた。

 白が基調のローブを着た黒髪の青年。

 その外見は、スザクの記憶にある“日本人”の特徴に合致していた。


(想像していたよりもずっと若い男の人だ……)


 彼はスザクを見つめ、彼女の小さな身体を持ち上げた。


「おまえは俺が育てる。……が、その前にその体温を下げてくれないか?」


 彼が語りかけた言葉はスザクが知る日本語ではなかった。

 彼女の記憶領域にある地球上のどの言語とも一致しない。

 そして竜形態のスザクもまた、人の言葉を発することができなかった。


「その子が 火系プラズマの竜 です?」


 彼の左肩に緑髪の小人が姿を見せた。

 スザクの記憶領域にそんな生き物は存在せず、その言葉をやはり理解できない。


(私が卵の眠りについてからずいぶん時が流れたみたい。この時代の言葉や文化を覚えなくちゃいけないな)


 そして彼は言ったのだ。

 スザクにとって運命的な一言を。


「よろしくな、


(!)


 彼が“スザク”と発音したのがわかった。


「ピィウィ!」


 生まれたての紅いドラゴンは、ご機嫌な様子で鳴き声を上げた。



  ***



 竜は妹の存在を感知できるが、姉の存在を感知できない。

 これは何らかの原因で敵国が地下に埋めた卵を見つけるというリスクに対処する設定のひとつである。

 戦争が発生した場合に、最初に竜を目覚めさせるのはその存在を知る日本である可能性が高い。

 だがなんらかの原因で四体すべての竜を孵化できなかった場合、先に生まれた竜の存在を知った敵国が竜の卵を入手し、その孵化に成功してしまうリスクは無視できなかった。

 先に生まれた竜が一方的に妹竜の動向を把握できるという“遠距離感応制限”は、そんな最悪の事態に備えたものである。


 だが妹竜が姉竜の存在を全く感知できないというわけではない。

 姉竜が近くにいれば、竜が備えている索敵機能に普通に引っ掛かることになる。


 カイリの魔法〈枢暗光サーベイ〉でその動きを把握されていたビャッコとリュシアスの二人は、やがてスザクの索敵範囲に入った。


「カイリ……魔法を……ちょうだい」

「魔法?」


 スザクの緋色の瞳がカイリを見つめている。


「竜が成長する……制限を……解除する魔法」

「…………」


 生まれた子竜ヒナが成竜に成長するための日数は七日。

 その成長速度制限は、姉竜だけが妹竜の存在を感知できるという遠距離感応制限と同じ理由で設定されている。

 妹竜が敵国に渡った場合に、姉竜が有利に対戦できるようにするためだ。

 竜に対抗できるのは同じ竜か、役満フルコマンドの魔法だけなのだから。


 その成長速度制限の解除をスザクは要求していた。


「そんな魔法はないよ、スザク。少なくとも予言書には書かれていなかったし、そこに書かれている以上のことは俺も知らない。俺が知っているのは、君が大人になるまでにあと四日かかるってことだけだ」


 不満気に首を横に振るスザク。

 ボリュームのある赤髪の上で、小人のフェスが振り回される。


「ある。卵に入る前……タキタニさんに……聞いた」

「いや、そう言われても……」


(タキタニ? ……偶然かな。ナノマシンシステム開発チームの誰かの名前だろうけど)


 滝谷は元の世界におけるカイリの苗字でもある。


「ある。竜にかけられた……呪いを解く魔法」

「しつこ…………え?」


 カイリが動きを止めた。


(呪い?)


 片手で口を覆い、考え込むカイリ。

 〈枢暗光サーベイ〉で感知されるビャッコとリュシアスは、もうすぐそこまで来ている。

 だがもしスザクの成長速度制限を解除できるのであれば、風系ガシアスのビャッコに対して火系プラズマのスザクが格段に有利になることは間違いない。


「呪い……最近、そんなことを考えたことがあった……。そうか、竜の成長速度制限はシステム上の制約だ……もしかしたら……」


 カイリが汎数レベル1の隠し役名コマンド方定パーマネント〉をガーディの村の近くで唱えたのは一昨日のこと。

 それは事前詠唱魔法の有効期限を解除する魔法であり、それによって早朝に詠唱した〈障遮鱗プロテクト〉の魔法を昼のエステル戦で発動させることができた。

 一般的に汎数レベルが高い魔法ほど事前詠唱魔法の有効期限は短く、役満フルコマンドである〈障遮鱗プロテクト〉の有効期限は五十分しかない。


「〈方定パーマネント〉を使えば、何百年後でも魔法を発動させることができる。末代までことも……。もし竜の成長速度が〈方定パーマネント〉を使った事前詠唱魔法と同じ仕組みで制限されているのだとしたら……。それを解除できるのは汎数レベル1の解除魔法――」

「〈免全キャンセル〉ですね」


 いつの間にか近くに来ていたフェアリ族の娘がそう口にした。


「よく覚えてるな、マティ」


 予言書に書かれていたその役名コマンドを、瞬間記憶能力を持つカイリは当然覚えている。

 だが〈方定パーマネント〉と〈免全キャンセル〉についてカイリがマティに説明したのは、彼が砂漠からガーディの村に戻ったときの一度だけだった。


「カイリが隠しコマンドと言ったパーマネントのことは知りませんでした。でも汎数レベル1魔法の〈免全キャンセル〉は私も習得していますよ。たいていの魔法は効果時間が短いので、使う機会は滅多にありませんけど」

「あ……そうか」


 納得するカイリ。

 〈免全キャンセル〉は詠唱中に対象となる魔法を指定することで、自分が発動させた別の魔法を中断することができる。


「……待てよ」


 〈免全キャンセル〉が中断できるのは、〈方定パーマネント〉を含め魔法だけである。


(システムが術者本人を識別する方法は、ええと……)


 瞬間記憶の中にある予言書の記述を思い返すカイリ。


(うーん、これやっぱり俺には解除できないんじゃないか? スザクに話をしたタキタニさん本人ならともかく……)


 落胆するカイリのローブをスザクが引っ張った。


「カイリ……早く」

「ああもう、ものは試しだ」


 カイリが呪文を詠唱して〈免全キャンセル〉が発動すると、スザクが白い光に包まれた。

 ナノマシンが活動し、元素の分解と結合が高速で繰り返される際に生じる放射光である。



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