File048. 枢暗光《サーベイ》


 ドワーフの族長を冷徹に見おろすエステル。

 頬の傷は浅く、汎数レベル2魔法〈産触導潤キュア〉で跡形もなく消えるだろう。


(忘れずに後で治療しておかねばな)


 今回の迎撃作戦を指揮するレイウルフが、崇拝する上司の傷を見てどう思うか。

 エステルが心配しているのは、彼が六神官たちのように小言を言い始めることだった。


(“族長が前線に立つ必要はありません”――などと言いだしかねんからな)


「エステル様?」

「ああ、わかっている」


 ゲンブに声をかけられ、自分が苦笑していることに気づくエステル。


(二十一代目のすさまじい魔法を見た後だと、レブリオスの奴が可愛く見えていかん)


 高さ二十メートルの岩壁に囲まれた荒れ地では、両足を拘束された千五百のドワーフと三百の土の精ノームがもがいている。

 その中には大声で騒ぐレブリオスとタオスの姿も見えた。


「問題なさそうだな」

「はい」


 エステルが右手を上げると、岩壁の上で弓を構えていたエルフたちが撤退する。

 彼らの役目はゲンブの補佐とドワーフへの威嚇だったが、どちらも意味がないことを確認できたからだ。


(ゲンブにとって、我々はむしろ足手まといだろう。そして魔道士隊ならともかく、数十人の弓兵ではドワーフどもへの威嚇にはならんな)


 それはレイウルフの想定内であり、撤退の合図もあらかじめ決められていた。

 ゲンブという竜を手に入れたエルフ族にとって、ドワーフの族長も千五百の部隊もすでに脅威ではない。

 真に警戒すべきは――。


「奴らの竜――おまえの姉の動向はわかるか?」

「いえ。竜が探知できるのは妹に対してのみですわ。宿舎で受けとったビャッコ姉さんからの信号は、ずっと途絶えたままです」


 寂しげにつぶやくゲンブを見れば、エステルにもわかる。

 スザクとの戦闘を嫌った彼女が、姉竜との戦闘を望むはずもなかった。


(姉竜の方もそうであれば良いのだが)


 空を見上げるエステル。

 そこには夕陽を反射する金属板が小さく見えるだけだった。


「ドワーフどもはすぐにでも埋めたいところだが……確認してからだ」

「パターン三の一ですね。わかりました」


 レイウルフによれば、ドワーフが竜と千五百の兵を併用してくること自体がおかしいのである。

 こちらに二体の竜がいることは姉竜が感知しているはず。

 だからレブリオスとタオスが姉竜を連れてくることはわかる。

 だがその時点で、千五百の兵など兵力として誤差のはずだった。


 そこからレイウルフが予想した状況はふたつある。


 ――ひとつは、竜の能力は役に立たないとドワーフ族が考えている場合です。


 エルフ族も竜の能力を把握しているわけではないし、その時間もなかった。

 実際に彼らが目にしたのはカイリとの戦闘で出現させた岩壁と、彼の強化された〈一気通貫ライトニング〉の直撃を受けても傷ひとつわなかったという事実のみである。

 それだけでも戦闘能力が高いことは想像できるが、敵にダメージを与えるところを見たわけではない。

 そして戦闘において重要なのが精神面である。

 竜が気弱な性格や気まぐれな性格であり、それが戦闘に反映されるようであれば、やはり即戦力としては使えないというのがレイウルフの考えだった。


 もっともその可能性はかなり低いとエステルは考えていたし、実際に今目の前でゲンブは千五百のドワーフを無力化している。

 ゲンブが姉竜との戦闘を望んでいないとしても、レイウルフの命令――エルフを守るために最善を尽くすこと――を最優先に行動し、そのためには姉竜を殺すことさえいとわないだろうと直感していた。


(できればその必要がないことを、パターン三の一で確認できれば良いがな)


 “作戦パターン二の二”としてゲンブの力がドワーフに対して有効であることを確認した。

 その時点でまだ姉竜が姿を見せなければ、パターン三の一へ移行することになっていた。

 確認する必要があるのは、レイウルフが指摘したもうひとつの可能性である。


 ――姉竜またはその主人と、ドワーフ族が必ずしも信頼関係にない可能性があります。


 例えば姉竜の主人がドワーフではなく外部の者で、一時的にドワーフ族に協力しているような場合をレイウルフは想定していた。


(真の脅威が姉竜であり、その立ち位置が不明である以上、ドワーフどもとの繋がりを確認しておく必要がある)


 エステルはしつこくわめいているレブリオスとタオスを見据えた。


「レブリオスとタオス。多勢で奇襲をかけた貴様らを、対等に扱うつもりはない」


 エステルの声を耳にしたドワーフの族長が何かを言い返そうとする。

 その前にエステルの事前詠唱魔法が発動した。


「〈一気通貫ライトニング〉」


 エステルの足元で魔法陣が白い光の波紋を描き、ナノマシンシステムが地下の竜脈へ電流路を接続する。

 瞬時に形成された電磁界により生まれる荷電粒子が、エステルの広げた手のひらに集まり輝きを放った。


 族長を含む直線上にいる数十人のドワーフたちを、まばゆい雷光が貫く。

 彼らが身に着けている金属製の鎧は電気をよく通した。

 そしてドワーフ族の電気や熱に対する耐性は、ヒューマン族と変わらない。


「くゥ……これくらいのことでェ……」


 千五百のドワーフを二つに割るように伸びた直線上に、黒焦げになって倒れ、痙攣けいれんするドワーフの列ができあがっていた。

 その列の中で、レブリオスだけがかろうじて立っている。

 肩の上では気を失ったタオスが口から煙を吐いていた。


 近接戦闘では常に広い視界を確保し、常人の二倍の反射神経を発揮して族長にまで昇りつめた結合性双生児のレブリオスとタオス。

 だが足の動きを封じられた彼らに、反撃のチャンスはないように見える。

 再び〈一気通貫ライトニング〉をくらえば、レブリオスも倒れ、すでに倒れている兵たちは命を落とすだろう。




「あ」


 喉から小さな声を漏らしたのはゲンブだった。

 同時に、岩壁に囲まれた荒野に砂塵が舞い上がる。


 エステルには何が起こったのかわからなかった。

 わかったのは、ドワーフと土の精ノームたちが自由に動き出したということだけである。


 そこでエステルの意識は、途絶えた――。




「どういうことだ?」


 エステルが立つ岩壁の後方に位置する簡易宿舎。

 その前で、大弓を構えて竜の出現に備えていた騎士隊六名が動揺していた。


「エステル様はどこに?」


 隊長ラウエルが大弓を手にしたまま、そばに立つレイウルフに話しかける。

 だがレイウルフも答えは持っていない。


 彼らが見つめる視線の先で、エステルが忽然こつぜんと姿を消していた。


「〈離位置テレポート〉の発光は見えませんでした。ラウエル、すみやかにパターン六の一へ移行してください」

「エステル様を見捨てるのですか? 最後までエステル様をお守りするのが騎士隊の役目です」


 ラウエルの目を見つめるレイウルフ。


「パターン六の一です。議論している時間はありません」


 低い声を出すレイウルフの後方で、高さ二十メートルの岩壁が砂の塊と化し、崩れ落ちてサラサラと流れるのが見えた。

 岩壁の下へ撤退していた作業員たちのうち、数人がそれに呑み込まれて姿が見えなくなる。

 壁の上にはまだゲンブが立っていたはずだが、どうなったのかはわからない。

 息をのんだラウエルが、上ずった声で騎士の一人に命令を出した。


「パ、パターン六の一。紫を飛ばせ」


 紫色の煙が尾を引く矢が、空に撃ち上げられた。



  ***



 川の手前にある木陰からも、紫の煙はよく見えた。


「色は紫だけです」


 そう告げるマティの背後で、カイリが呪文を完成させていた。


「〈枢暗光サーベイ〉」


 そしてカイリのローブの裾をつかむ幼女の赤髪を撫でる。

 そこから落ちそうになったフェスが慌てて赤い髪束につかまった。


「俺たちへの撤退命令は無しだってさ、スザク。エステルさんは助けたい。けど、そのために全滅はさせられない。その妥協案が、俺たちになんとかしろってことだ」


 スザクは嬉しそうに顔をほころばせている。

 彼女はカイリが少しかまうだけでとても喜ぶ。

 そのことに気づいたカイリは、できるだけスキンシップを心掛けるようにしていた。

 頭を撫でたり手を握るくらいだが、幸せそうな彼女の顔を見ているだけで心が癒されるカイリである。


「カイリ、エステルはどうなったんでしょうか?」

「それを探るための〈枢暗光サーベイ〉だ。同じ解析系魔法の〈散暗光ライト〉は周辺にある元素の質量数を相対的に視覚化するだけだけど、最上位解析魔法〈枢暗光サーベイ〉は、原子の完全な三次元マップをある程度過去にさかのぼって描いてくれる。そのうえで術者の欲しい時間的空間的情報を抽出してくれるんだ。脳内で過去の事象をヴァーチャルに再現してくれるような感じかな。拡大縮小も自由自在でね。振動の周波数解析で音声も再現してくれる」


 マティの小さな頭が傾いている。


「さっぱり、わかりません。カイリが落ち着いていることはわかりますけど」

「うん、ごめん。エステルさんは気を失っているだけだよ。なぜかはわからないけど、ビャッコの主人はエステルさんにかなり気を遣っているみたいだ」


 宙に浮く妖精は、ほっとした表情を見せた。

 一方でカイリは周囲への警戒を強める。


(〈枢暗光サーベイ〉のような役満フルコマンドが使用するエネルギーは汎数レベル13相当だ。この地でそれだけのエネルギーが使用されたことは、竜脈の流れに敏感な竜はすぐに気づく。レイウルフさんの目論見もくろみでは、俺というカイ・リューベンスフィアの存在は最後の切り札だったはずだけど、早々にビャッコを警戒させることになったかも)


 そこまで考えたカイリのローブが引っ張られた。


「カイリ……スザクも……ビャッコ姉と闘う」


 カイリの表情が固まる。

 スザクにはまだ早い――とっさにそんな言葉が頭に浮かんだ。


(ビャッコはおそらく風系ガシアスの竜だ。属性の相性――ナノマシンが命令を受け付ける優先順位――から言えば、土系ソリッドのゲンブではビャッコに勝てない。だが、火系プラズマのスザクならビャッコの命令を上書きできる……はず)


 スザクの大きな緋色の瞳が輝いている。


「スザクはゲンブお姉ちゃんと違って好戦的なんだな」


 意味がわかっているのかは不明だが、コクリと頷くスザク。

 「闘う」と「遊ぶ」を間違えているような気もするが、カイリは様子を見ることにした。

 スザクは“自由な竜”であり、戦わせるにしろ戦わせないにしろ、できるだけ命令はしたくなかった。


 そして〈枢暗光サーベイ〉を発動させたままのカイリは気づいていた。

 姿は見えないが、ビャッコとその主人が接近していることに。



 - End of Folder 06 -



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