File020. 古代の魔力



「サナトゥリアが神殿に戻りました」

「そんなことをわざわざ報告するために、こんな辺境まで来たのか? おまえもサナトゥリアも、神殿から頻繁に離れられるほど暇な身ではないはずだが」


 立っているレイウルフのそばのテーブルまでやって来て、エルフの族長は香茶が入ったティーカップを二つ置いた。

 その美しく整った顔には意思の強さをうかがわせる灰緑色グリーニッシュグレイの瞳が輝いている。


 上司の言葉にひるむ様子もなく、考え込むようにつぶやく森林防衛隊の隊長。


「もしやとは思っていましたが……。テクニティファ様を見張るようエステル様から指示があった――というのが嘘だと発覚したばかりだというのに。カイ・リューベンスフィアに会いに行ったのも、サナトゥリアの独断だったというわけですね」

「――――」


 あっけにとられて開いた口を閉じると、エステルが目を細めた。


「そんな指示を出した覚えはないな。カイ・リューベンスフィアについては関知しなくてよいとしておいたはずだ……が。そうか、サナトゥリアがおまえにテクニティファを見張らせたのは、カイ・リューベンスフィアに会うためだったというわけだな」


 固い表情の部下を前に、エステルは優雅な振る舞いで腰を椅子におろした。


「まぁ座れ。せっかくの香茶が冷めてしまう」

「はい。いただきます」


 ぎこちなく椅子に座ったレイウルフは、香茶を口に運んでから軽く息を吐いた。


「どうしてサナトゥリアに族長代行を……。正直、私は彼女についていけません」


 エステルがティーカップから口を離してクスリと笑った。


「おまえはここぞというときは大胆な行動もするが、根が真面目だからな。サナトゥリアは……」


 エステルの言葉の続きを真面目な顔で待つレイウルフ。


「あの子は、族長に求められる要素のほとんどを備えている。中でも未来を見越して先手を打ち、最短距離で目的を達する能力は天才的で、私をはるかに凌駕する」

「そのようなことは……」


 手の動きだけで部下の言葉をさえぎるエステル。


「おまえは先ほど、サナトゥリアがカイ・リューベンスフィアに会いに行ったと言ったな。それは、この二千年間で誰もなしえなかったことだ」


 虚を突かれ、レイウルフが息をのんだ。

 神出鬼没とされるカイ・リューベンスフィアの住み処は大昔から謎とされており、有史以来探し当てた者はいないと言われている。

 雲の上や海の底にあるとも噂されているが、確かめた者はいないのだ。


「一体どうやって奴の隠れ家を探し当てたのか……おそらく私やおまえでは思いつかない手を使ったんだろう。そしてサナトゥリアにはカリスマ性、賢さ、懐の広さもある。あの子に足りないのは、伝統や規律の重要性に対する理解……くらいだな。エルフ族にとって大切なものだ」

「…………」

「その足りないものを、おまえは十分に持っている。そしてやはりカリスマ性、賢さ、懐の広さも人並み以上にあり、なんといっても民の尊敬を集める千年に一人の弓の名手だ。おまえがサナトゥリアを支えてくれれば、エルフ族はこの先二百年は安泰だと思っているよ」


 エステルが再びティーカップを口に運んだ。


(サナトゥリアは私欲で動く子ではないが……エルフ族という枠さえ超えた先を見ているフシがある。最後にエルフ族を守るのはおまえかもしれんぞ、レイウルフ……)


 エステルの視線の先でため息をついたレイウルフが本題に入った。


「……サナトゥリアの報告によれば、カイ・リューベンスフィアは汎数レベル4の魔法を使ったそうです」


 エステルが小さめの頭を動かすと、肩の後ろにあった透き通るようなストレートの白い髪がサラサラと流れて胸の上にこぼれた。


「……先日にあったおまえの報告と食い違うな。召喚されたばかりで、ろくに魔法も使えないと言っていなかったか?」

「はい。三日前に妖精の樹海フェアリオーシャンで見たときには、そう確信しました。……ですが、この件に関してはサナトゥリアが嘘を言っているようには見えませんでした」


 ふむ……と、エステルは考え込むように視線を遠くに移した。


「どう思う?」

「私の判断が間違っていたとしか……」

「ばかを言うな」


 レイウルフが顔を上げると、エステルの鋭い眼差しが彼を見つめていた。

 彼女はカップをテーブルに置いて腕を組んだ。


「そんな重要な案件に関して、おまえが軽々しく判断するはずがないだろう」

「勿論です。ですが……」


 エルフの族長は表情を変えずに断言した。


「この三日で魔法を身に付けた――としか考えられんな」

「…………! そのようなことが……」


 たしかに……と、エステルがレイウルフの言葉を遮った。


「先代のカイ・リューベンスフィアは汎数レベル3の魔法を覚えるのに半年を要したらしい。当然だ。一般に知られている汎数レベル2までの魔法ならともかく、その先となれば魔術師が魔法を習得するために必要な四つの要素のうち、少なくとも一つが不足する」

「――正確な発音を伝える師匠マスターがいること、ですね」

「そうだ」


 香茶の香りに包まれた部屋に、しばしの静寂が訪れた。

 やがて念を押すように言葉を重ねるエステル。


「魔術師が魔法を習得するために必要な四つの要素のうちの一つ目、魔法の役名コマンドとその要俳キーワードを知ること。これはおそらく噂どおり、予言書を解読した知識として存在する。それがカイ・リューベンスフィアの名とともに代々受け継がれているのだろう」


 ティーカップをテーブルに置いたままエステルが話を続ける。


「残りの二つ。正確な発音を聞き分ける才と正確な発音を発声する才は、先天的に向いていないフェアリ族やドワーフ族でもない限り、努力と根性でカバーできるだろうな。だが、正確な発音を伝える師匠マスターの存在だけは、どうにもならん」

「おっしゃる通りです」


 発音のコツのようなものが知識として受け継がれているとしても、師匠マスターなしで実際の発音を耳にすることなく呪文をものにするにはかなりの時間がかかるはずだ。

 トライアンドエラーの中で正しい発声を探り当てる勘や運に頼るしかないからである。

 三日で習得など、ありえない。

 それがレイウルフの率直な意見だった。


 エステルがティーカップに右手を伸ばし、香茶の水面を見つめながらつぶやいた。


「百年近く前に私が先代のカイ・リューベンスフィアに出会ったとき、彼はたった二十歳かそこらの若造だった。だが、当時の私の五分の一しか生きていないにもかかわらず、汎数レベル6までの魔法を使いこなし、賢者以上の知識を有していた」


 目を細めるエステル。


「例えばそうだな、おまえは冷蔵庫がどうして冷えるのか、レンジがどうして温まるのかを知っているか?」


 上司の表情に悪意は感じられない。


あまかける精霊騎士スピリチュアルナイト様の御力です」

「優等生の答えとしては満点だ。……が、本当にそう思うか?」

「…………」


 レイウルフの金色の目がエステルを見つめ返した。

 エステルが“優等生”と評したのは、それがエルフ族とフェアリ族に語り継がれる“教え”であり、子供の頃に親や教師から教えられた内容そのものだからだ。

 少しの間を置いて、レイウルフが再び口を開いた。


「冷蔵庫やレンジという古代の魔法具は、“電気”によって機能します」

「ふむ。では電気とは何だ?」

「古代魔力のことでしょう。魔法が人の魔力によって機能するように、古代の魔法具は古代の魔力で機能します。その古代魔力こそが電気です」


 エステルは無言のまま再び香茶に口をつけた。

 その様子を黙って見守るレイウルフ。


「その知識を誰から得た?」


 ティーカップを空にしてからようやく発したエステルのセリフだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る