File006. 最後の生き残り


 元の世界には帰れないかもしれないとは考えていたカイリ。

 それでも、きっぱりと言い切ったマティの言葉に心がこおりつく。


 少なくとも彼女が出会ってきた二十人の召喚された者たちは、元の世界に帰れなかったということだ。

 その中には、帰る方法を見つけようと努力した者が何人もいたに違いない。


「帰れないってことか……」

「はい」


 もしカイリを召喚したのがマティだったなら、彼女を恨むこともできただろう。

 しかしこの世界に異世界から人を召喚するすべは存在しないという。

 もちろん彼女が嘘をついている可能性はゼロではないが、嘘をつく理由を今のところ思いつかない。


「事情はわかった。けど、君たちにとって今の俺は何の利用価値もないってことになる。もうすぐ世界が滅びるっていうときに、マティは俺の世話なんかしていていいのか?」


 内心ではすごく助かるとカイリは思っている。

 何しろ右も左もわからない異世界だ。

 よほど便利で暮らしやすいならともかく、大自然が広がるこの世界にこのままほっぽり出されたら、現代の生活に慣れているカイリはやはり生きていく自信がない。


「そうですね……普通なら、そういう場合ではないのかもしれません。でも私は二千年間ずっと……召喚されるマスターを迎え、身を守る方法を身につけていただき、身の回りのお世話をして、その最後を看取みとり、次のマスターを迎える準備をする……それだけを繰り返してきたんです。いつか世界を救えると信じて……二千年間ずっと、ずっと、それだけをです」


 振り返ったマティの顔に、悲しい笑顔が浮かんだ。


「ふふ……他に何をしたらいいのか、思いつかないんですよ」


 その笑顔がカイリの胸を締めつけた。

 世界が一年後に滅びるという時に森の中でカイリを探していた理由が、他に何をしたらいいのか思いつかないから。

 それがどんな気持ちなのか、カイリには想像できない。


「思いつかないって……その、仲間と話したり、遊んだりして楽しく過ごすとか……」

「私、フェアリ族の最後の生き残りなんです」


 マティは何でもないことのようにその言葉を口にした。

 そしてその一言でカイリは理解した。

 彼女はこの世界で、ずっと独りなのかもしれない――と。


 フェアリ族という種族の名前があるのなら他にも種族があってその関わりもあるかもしれない。

 そして百年に一度召喚される人間との関わりは深かったに違いない。

 だが、同種族がいないというのは……。


(俺と同じ……ってことか)


 異世界から召喚される人間は、百年に一人だけ。

 そして帰る方法は知られていない。

 それが本当なら、もう二度と両親や友人たちには会えないということになる。


 マティもまた、二度と同族に会うことはないのだ。


「ひとつだけ……」


 マティが思い出したように口を開いた。


「マスターが勘違いなさっていることがあります」

「え、……何?」


 意表を突かれて素直に聞き返したカイリに、素直に答えるマティ。


「マスターに利用価値がないわけではありません。正確には、過去のマスターたちが解読した予言書の内容を知るマスターには、ですが」


 なるほど、とカイリは思った。

 古代語の解読というからには、今のこの世界の住人には読めない代物なのだろう。

 その内容には少なくとも歴史的な価値はあるだろうし、解読された部分だけでもそれが様々な知識の宝庫である可能性がある。


(でもな……もうすぐ世界が滅びるっていう時に古代の知識を気にしている場合じゃない気がするんだが。実際、マティは解読を諦めたわけだし……)


 カイリがそんな疑問を口にする前に、その答えをマティが明快に説明した。


「世界を滅びから救えるほどの内容……それは、世界を変えるほどの強大な力だと……そういう噂が、他種族に流れているのです。そして、この世界の住人すべてが世界の滅びを信じているわけではありません。現に、あと一年で世界が滅ぶという今でも、この大陸の二大勢力であるエルフ族とドワーフ族の間では争いが続いています。他種族からしてみれば世界の滅びはフェアリ族の古い言い伝えに過ぎず、それを信じる者もいれば信じない者もいます」

「そうか……」


 カイリは自分が誤解していたことに気づいた。

 世界の滅びをこの世界のすべての人間が受け入れていると思い込んでいた。

 フェアリ族であるマティが世界の滅びを信じていることは間違いないだろう。

 だが世界が滅びるという話が真実かどうか、それを確かめる手段は今のカイリにはない。


(少なくともこれまでの予言書の解読内容を確認する必要がありそうだな……)


「先ほどの……」


 マティの話が続いていた。


「樹海での威嚇射撃は、エルフ族のものに間違いありません」

「……威嚇だったのか」


 はい、とマティが即答した。

 最初はマティもわけがわからず逃げていたという。

 だが池に出てから矢の数が増えた。

 マティの話では、たとえ弓が下手な者であっても、狩猟を生活の一部にしているエルフ族があれだけの矢を放ってすべて外すということはありえないらしい。


「エルフ族とドワーフ族の間で、二千年前に不可侵条約が結ばれたのがあの樹海です。あそこにエルフ族がいたことは明らかに条約違反なんです。そこまでして私を追ってきた目的は……おそらくマスターが召喚されたことの確認です」


 マティが深く頭を下げた。


「申し訳ありません。マスターを見つけるのに三日もかかってしまったのは私の失態です。しかも偶然とはいえ、マスターがいる場所にエルフ族を誘導する形になってしまいました」


 森での出来事を思い出すカイリ。

 カイリを見つけてマティは涙を浮かべて喜んでいた。

 あの見通しの悪い森の中を、苦労して必死に探していたのではないだろうか。


 マティの話によれば、いつもであれば他種族に見つかる前に森の中でマスターを保護し、数年の間は身を隠して自衛の手段を学んでもらっていたということだった。


「およそ百年周期でマスターがこの世界に現れることはエルフ族も知っています。ですが百年ごとの同じ日にあの樹海にマスターが召喚されることを知っているのは私だけのはずですし、過去のマスターたちのそばにはいつも私がいました。もしエルフ族が以前から今回召喚されるマスターを狙っていたのだとしたら……私は数年前からエルフ族に監視されていたのかも知れません」


(個人に狙われるのも嫌なのに、種族ぐるみで狙われるのか……ぞっとするな)


 ため息をつくカイリ。

 それから再びマティと視線を合わせる。


「わかったよ、マティ。エルフ族に見つかったのは不可抗力だと思うし、気にしないでくれ。それよりまずは身を隠せる場所に移動したほうがよさそうだ。案内してくれないか?」

「はい。どうぞ、こちらへ」


 崖の上は平らでまばらに木が生えていた。

 その木の間をぬうように進むと、すぐに二階建ての大きな屋敷が目に入った。

 築年数はかなりのものに見えるが、それほど傷んでいる様子はない。


「ここがマスターの屋敷です。電気も水道も問題ないことを確認していますし、掃除も済ませてあります。すぐにお風呂の準備をしますから、まずはリビングでおくつろぎください」

「で……」


 電気に水道……。

 大自然の中の、しかもこんな崖の上まで……ということに驚いたわけではない。


(童話の世界じゃなかったのか……)


それがカイリの感想だった。



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