赤い宗家の白と黒③

 六月三日、午後六時五十三分。僕は、北千住の駅から出発した。

 群馬県は赤城に向かう特急に乗り、螺奈さんに指定された太田駅へと向かう。初めての路線に初めての駅、どうしても、未知の場所へ電車を使った移動というのは不安を覚えがちだ。


 螺奈さんに言われた、女衆総出のおもてなしとやらを期待する下心から、少しばかり小腹が空いていたが、駅弁等を買うのは控えた。他人の家での食事というものに、僕は楽しみを抱くタイプだし。


 車内は通路を挟んで二列ずつ、購入した切符を手に持ちながら、自分の座席を探す。新幹線や特急は、普通車両に比べれば座席が広々とはしているけれど、旅行なんかで荷物が多いとなるとやはりどこか窮屈だ。今回は泊まりであるから、スーツケースを家から引いてきた。どうも荷物が多いのは慣れない。

 軽量を謳う最新のスーツケース、黒色のそれを引きながら、自分の席を見つける。


「あれ?」


 自分の席を見つけて、もう一度手に持った切符に印字された座敷番号を確認した。間違いない。僕はこの列の窓際だ。僕は自分が購入した指定席と間違えていない。


 もう一度指定されている席を見た。窓際のそこには、学生が一人座っていた。セーラー服姿の、大人しそうな女の子。

 周囲を見渡す。平日のこの時間、普段の乗車率は知らないけれど、座敷に乗っている人は疎らだ。座席の半分も人が乗っていない。だから、相席になるなんて訳がないだろうから、きっとこの子が間違えているのだろう。


「あの、すみません。席間違えていませんか?」


 席がやたら空いていたから、そのまま僕が違う席に座っても良かったのだけれど、もしも僕が適当に座った席が次の停車駅で乗って来る人のものだった場合、一々の移動が億劫だ。中々器が小さい行動の様な気もするけれど、僕は女の子に声をかけた。


「はい? なんでしょうか?」


 頬杖を突いて物思いに耽る様外を眺めていた女の子は、こちらを向くと不思議そうな顔をする。その顔は大人しそうではあるが、どこか大人びていて、大人しいというよりは、落ち着いたという表現が合っていた。

 当然か。自分の席に座っていたら、突然スーツ姿の男に声をかけられたのだ。怪訝な顔をしないだけで随分とこの子が良い子、または抜けている子なのだなと分かる。


「席、間違っていませんか? そこ、僕の席なんです」


 言いながら切符を見せると、女の子は慌てて足元に置いたリュックのポケットから切符を取り出す。


「あ! ああ! あれ!? ここ何両目ですか!?」


「三両目だよ」


「ああ! すみません! 私四両目でした! ああ! 恥ずかしい!」


 女の子はばたばたと切符を仕舞うと、リュックを持ち上げて立ち上がる。座っていたので気付かなかったけれど、中々身長が大きい。鎖子には及ばないが、百六十センチ後半はある。


「ああ、大きい荷物とかあるのなら僕が君の席に行くから大丈夫だよ?」


「いえ! このリュックだけなので大丈夫です! お気遣いなく! ありがとうございます! ああ! 恥ずかしい!」


 大袈裟に僕に頭を下げると、女の子は黒髪を振り乱しながら隣の車両に移動して行った。

 自動ドアが開閉したのを見送って、僕は彼女が座っていた窓際の席に腰を落とし、彼女がしていた様に頬杖を突いて窓の外を見た。窓が僕の顔を反射する。少し疲れているのか、覇気のない表情だ。


 そういえば、先程の女の子。僕を見る前、窓の外に視線を投げ出していた時。


 酷い目をしていたな。


 


 もう隣の車両に行ってしまった彼女の目の理由を知る事はないけれど、その頃の自分を思い出して、少しだけ先程の女の子の事が気にかかった。



 ■



「おや」


「あ、先程はすみませんでした」


「いえいえ、お気になさらず」


 車両は大地を進み、目的地である太田駅の一つ前、足利市駅に着いた時の事だった。


 用を足した僕がトイレから出ると、先程の女の子が飲み終わったペットボトルを捨てに来ていた。特急電車のデッキで、僕達は顔を見合わせた。


 相変わらず乗車してくる客の少ない車内は変わり映えがなく、窓から先に広がる田畑と時折の街並みにも飽き飽きとしていた頃だったので、つい口を開いてしまった。


「まだ乗っていたんだね。どこまで行くんだい?」


 冷静に考えれば、社会人の男が女子高生に行先を尋ねるなど、今日日通報されてしまっても弁明が難しそうなものだが、そういうリスクを冒してしまう程に僕は退屈していた。


「えーっと、確か次……でしたっけ? 太田ってところまで行くんです」


 口を開いてやってしまったと思ったけれど、そんな僕の心情を跳び越えて、女の子は返答した。ペットボトルをゴミ箱に押し込みながら笑顔で答える。

 明朗な子なのか、はたまた抜けている子なのか。


「へえ、奇遇だね。僕も太田まで行くんだ」


「ええ! そうなんですね! 偶然!」


 そんな他愛ない会話をしていた。電車が駅に停車している、ほんの僅かな時間。

 開いていた扉が閉じて、電車が動き出す刹那だった。


 僕との会話に乗じていた女の子の目が、大きく見開かれた。初対面だという僕に対して朗らかな表情で接してくれていた女の子は、表情を引き攣らせる。


 ただ、視線は僕ではなかった。僕の背後、僕を通り過ぎた場所を見ていた。

 車両間のデッキ、その四両目寄りで話していた僕の背後、つまり、デッキの三両目寄り。


 彼女の視線に合わせて、振り向いた。


「え?」


 ハッとした。そこに居たのは、黒いライダースジャケットに、濃いジーパンの男。真っ赤な短髪がすぐに目に付いたけれど、それ以上に、息を飲んだのは、両手。


 それぞれの手に、バタフライナイフ。有名な開閉アクション、手慣れたナイフ捌きで刀身を露わにして柄を掴むと、二挺の刃物を構えてこちらを見ている。


 変なのに絡まれたと一瞬嫌気が差してから、急速に思考を冷静に。すぐさま隣の彼女の脇腹を抱え、口を塞いだ。

 デッキには、僕とセーラー服の彼女と、そして、両手にバタフライナイフを携帯した男。


 本音はここで逃げ出したいが、相手が危ない奴ならば、他の一般人に被害が出るのは御免被りたいので、僕が行動を起こしざるを得ない。しかし、この後大事な仕事を控えているから、警察の厄介も避けねばならない。


 静かに素早く確実に。


 目撃者がいるのは嫌だ。僕のことを話されてしまう。だから、今は女の子に名乗らなかったのを幸いに思うしかない。少なくとも、すぐに足がつくことはない。

 彼女は大きな声でなにか叫ぼうとしていたが、未然に防ぐ事が出来た。他の車両の人間に気づかれたくない。願う、今はデッキに誰も出てこないでくれ。


「やぁ、いい天気だね」


 僕は級友に挨拶する様な気軽さで、バタフライナイフに話しかけた。


「おいおい、まじかよ。お前、十一片だろ?」


 僕は名前を言われたところで、エンジンをかけた。

 ただのナイフを持った危ない奴ならどれ程楽だったか。ただの通り魔だったのならば、ただのテロリストだったのならばどれ程楽だったか。


 こいつは、だ。


「へえ、僕みたいな弱小フリーランスを知っているなんて、光栄だね」


「おいおい、まじかよ。冗談よせ。この国で十一片を知らなきゃそいつはモグリだ。世界的な有名人がフリーランスだなんてよせよ」


 螺奈さんに僕の事を日本最強だなんて吹聴した友人といい、バタフライナイフといい、僕の評価は僕の知らないところで鰻上りな様子。


「しかし、状況が飲み込めねえな。玉子たまこ、外部に頼るったあな……形振り構ってられねえのは何処の家も同じか……ったく、よりにもよって玉子か……最悪だぜ」


 赤髪のバタフライナイフは、どこか悲しい表情をして言った。


 状況が、更にグニャリと歪に姿を変える。


 赤髪のバタフライナイフはこちら側の人間で、その男が女の子に声をかけたのだとするならば、つまりこの子もそうなのだろう。 

 だから、右脇に抱えたと呼ばれた彼女に声をかけようとする。鞄を抱える様、右脇にしっかりと抱えていた筈だ。


 僕の思惑は少しだけ空振る。軽々と脇に抱えていた筈の彼女が、僕の隣に立っていたのだ。僕はいつ抜け出したのか全く分らなかったなかった。いや、それ以前に、彼女には抜け出そうとする動作すらなかった。厳密に言えば、僕は彼女の動きを腕に感じなかった。


 セーラー服の少女を見る。少女は、バタフライナイフを見据えていた。その目は、最初に彼女を見た時の様に真っ黒で、表情は酷く歪んでいた。

 怒りでもなく、焦りでもなく、喜びでもなく、悲しみでもなく。いや、むしろ、全部混じっているような。


 僕は取り敢えずと、台湾で購入した呪符をスーツの内ポケットから取り出すと、デッキの壁に張った。以前、日月で起きた事件の後片づけの時に使ったものとは違い、呪符を張った空間内に何人も侵入させない人払いの呪符だ。自動ドアで仕切られたデッキ内に、これで人は入って来ない。


「ちょ、ちょっといいかい?」


 僕は両手を挙げながら言った。戦闘の意志がない事を表しながら、どうにか話し合いで事を終着させる為だ。


「そこのバタフライナイフの人。僕はここに居る玉子ちゃんとは今しがた出会ったばかりの初対面だ。君がこの子とどんな因縁があるか分からないが、僕は無関係なんだよ」


「おいおい、まじかよ。そんなの通用する訳ねえだろうが。が居合わせる。偶然で片付けるには危険だろうよ」


「いや! だから! せめて僕に状況を説明してくれよ!」


 未だに状況が飲み込めず声を張り上げる僕を、玉子と呼ばれた女の子は不思議そうな顔で見る。


「十一片さん……フリーランスの方だったんですね」


「僕もまさか電車で乗り合わせた君がこちら側だなんて思わなかったよ。玉子ちゃんと言ったね。ちょっとこれはどういう状況なんだい? 僕にはなにがなんだか——」


 バタフライナイフは恐らく敵性で、だから僕の頼りは玉子ちゃんだったのだけれど、玉子ちゃんは僕が言い終わる前に、狭いデッキで取れる最大の距離を僕から取って離れた。と言っても、すぐ隣から、ほんの一歩離れただけだが。


「おおう! 可愛い女の子に距離を取られるのは傷付くなあ! 僕そんな危険に見えるかい!?」


「い、いえ……そういう訳ではありませんが……目的地は、太田と言いましたよね?」


「それがどうしたんだい? んん……あ」


 そういえば、玉子ちゃんもだ。玉子ちゃんも、太田に向かうと言っていた。


 少ない点は、たわむ線で繋がる。


「もしかして、玉子ちゃん、赤雪の?」


 僕の言葉に頷きはしなかったが、玉子ちゃんは眉を顰める。そうである証拠ではあるが、どうしてか僕を警戒している。


「ああ! ああ、そういう事か!」


 バタフライナイフの言葉を思い返す。思い返せば、多分にそうだ。敵性ではない。バタフライナイフと玉子ちゃんは、面識がある様だった。つまりは、そうだ。


「えーっと、君も、赤雪関係かい?」


 僕がバタフライナイフに言うと、相変わらずナイフを構えたまま答える。


「おいおい、まじかよ。分からなかったのかよ。如何にも、分家の赤弓あかゆみ幽亜ゆうあだ」


 辻褄が合った。僕が今警戒されているのはそれだ。今、赤雪の元には分家が集まっている。僕は今、螺奈さんの言っていた、賊側と認識されているのだ。


「いやあ、良かった良かった。それなら話が早い。僕は、赤百合螺奈さんの依頼で来たんだよ。だから——」


 僕の言葉が終わる前だった。


 視界に、銀の飛翔物。紛れもなく、投擲されたバタフライナイフだった。


 そして、完全に注意の域から出さなくてよかった。僕の脇から簡単に抜け出したのが気になって、一応玉子ちゃんにも警戒していたが、大当たり。投擲と同時に、狭い空間の中で玉子ちゃんは僕の右側面に、左の上段蹴りを繰り出した。もっとも、身長差のある僕の頭部を狙う為に、飛び上がった状態での攻撃だったから、威力も速度も問題ない。


 この空間内で器用なものだと感心しながら、右手で投擲されたナイフの柄を掴む。それと同時に体を後ろに仰け反らせて玉子ちゃんの左脚を避ける。その勢いのまま一回転しながら重力に引かれる玉子ちゃんをお姫様抱っこの形で受け止め、同時に右手で掴んだナイフを玉子ちゃんの首筋に立てる。


「酷いじゃないか。いきなり攻撃してくるなんて」


 勿論、僕には状況が飲み込めていない。取り敢えず、最低限の自己防衛はしておかねば、状況確認も出来やしない。


「おいおい、まじかよ。流石だな。螺奈が見込んだだけの事あるわ。まあ、相手はあの十一片だ、相手にとって不足なし……いやいや、俺が不足か。しかし、玉子を抱えたままで俺とやれるか? 俺、いけるか? いけるか!?」


 幽亜くんは、自分を鼓舞する様に声を張り上げて僕と相対する。やはり、状況が整理出来ない。


「ちょっと待ってくれ。どうして僕が君たちと戦わなければならないんだ? 僕は今回、螺奈さん……赤百合に依頼されて此処に来ているんだ。むしろ君達の仲間だろう? 赤雪の為に来ているんだよ!?」


 混乱も相俟って、つい語気が強くなってしまった。その僕の言葉を受けて、幽亜くんは、一瞬なにかを考える様に視線を僕から逸らせてから、ため息交じりに言った。


「おいおい、まじかよ。螺奈になに言われたんだよ。ったく、どうせ頭でっかちの蜘蛛女に騙されたんだろうな」


「騙された?」


 幽亜くんは、ライダースジャケケットのポケットからもう一挺バタフライナイフを取り出すと、開閉しながら言った。


「おいおい、まじかよ。赤百合に依頼されて、赤雪の為に。それなら、そうじゃねえか。それならば、間違いなくそうじゃねえか。俺とも、玉子とも違うじゃねえか。なあ、おい。それなら完全に、俺の、俺達の敵じゃねえか」


 状況が、混乱する。

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