深夜一時の奇奇怪怪⑧
「行って来まーす!」
「行って来ます!」
「行ってらっしゃい」
五月十二日。朝ご飯を食べながら、元気よく登校する桜ちゃんと深くんに返事をする。東城中学の始業は高校より一時間早いので、朝はどうしても二人とはすれ違いがちだ。
ただ、この日は二人の登校が遅かった。寝坊でもしたのだろうか。いつもは厳しい鎖子ちゃんも、特にそれを指摘しなかったので、私も口には出さなかった。
「真凛、お醤油取って」
「どうぞ」
私と鎖子ちゃんは二人で食卓を囲んでいる。いつもならテレビを点けているのだけれど、今日は一向に鎖子ちゃんがリモコンに手を伸ばす気配がない。
私もそれを察して、テレビを点けないでいる。
日月市殺人事件。最近、テレビはそれ一色だ。
流行りの都市伝説にも似た事件を私が不安がるので、鎖子ちゃんがそれを嫌がっているのかもしれない。鎖子ちゃんは、なんの力も持たない私が怪異に関わるのを避けようとする。
香織ちゃんから聞いた話で、それは人間の仕業らしいと思っている。だから、疾うに私の不安は薄れているのだけれど、鎖子ちゃんは心配し過ぎの気がある。いつまでも私を子供扱いしているんだ。
「ごちそうさま」
鎖子ちゃんが手を合わせて食器を片付けると、そのまま洗面所に向かう。私のほんの些細な反抗心。本当にくだらない、些細なもの。多分、深層心理にそういったものがあったかもしれない。
ただ、鎖子ちゃんがそうしようとしなかったから、それをやってやろう、という本当に子供染みた気持ちから、リモコンに手を伸ばした。
チャンネルはニュース。最新の情報を告げる。
『今日未明、日月市北区の路上で、四人の刺殺体が見つかった事件ですが、過去三件と同一犯と見て——』
続きを聞かずに、私はテレビを消した。
七人。今日、四人? これで、七人、七人だ。
異常だ、これは。七人もの人命が、この二週間で奪われた。
二人の登校が遅かったのはこれだ。多分、時間を纏めての、集団登校。教員も付き添うのだろう。多分それだ。
鎖子ちゃんがテレビを点けなかったのはこれだ。多分、私がまた不安がるから。だから、桜ちゃんと深くんの登校の事も話さなかった。
「ごちそうさま」
私は静かに言って、手を合わせた。食器を音を立てない様に洗い場に置いて、二階に上がった。
悍ましい事件が、その闇を深めていく。七人もの人を手にかけるなんて、尋常じゃない。
自室に入ると、電話をかける。相手は、お兄ちゃんだ。
コールが、一回。それだけで、十分だった。
「もしもし愛するシスター真凛、どうしたんだい?」
緊迫した私とは打って変わって、いつもと変わらない調子のお兄ちゃんが電話に出る。
「あ、お兄ちゃん、えっと、今大丈夫?」
「大丈夫さ。大丈夫じゃなくても、真凛相手なら大丈夫さ」
お兄ちゃんは、台湾。呪術暴走の処理とかで、私には分からないけれど、大きな仕事の筈だ。お兄ちゃんが呼ばれるくらいなのだから、きっとそう。
それなのに、お兄ちゃんは本当になんでもないみたいに、私に応える。
そんなお兄ちゃんに悟られない様に、平常を装って話す。
「あの、この間、都市伝説の話をしたじゃない?」
「なんだ真凛、まだ不安なのかい? それは在り得ないって言っているじゃないか」
好都合だ。この様子では、恐らくお兄ちゃんは日月のニュースを見ていない。多分忙しいのだろう。それならば、押し通せる。
「えっとね、ちょっと興味出ちゃって。その、口裂け女だっけ? 最後に顕現したっていう都市伝説……細かい事情があるって言ってたけれど、どんな事情なのかなあって」
ヒントは、歴史に習うべきだ。
この世のルールに則っているのならば、過去の事例はこれ以上ない目安になる。
「ううん……事情か……うーん、でもなあ」
お兄ちゃんは、喉につかえがある様な物言いで渋る。気にしているのは、鎖子ちゃんの事だ。
「大丈夫。鎖子ちゃんには黙ってるから」
鎖子ちゃんは、私が関わろうとするのを嫌がる。でも、そこさえ取り払ってしまえば、お兄ちゃんの不安はない筈だ。
「んん、後でばれたら怒られちゃうんだけどなあ」
「可愛い可愛い真凛ちゃんのお願い!」
「うううん……」
お兄ちゃんは渋る。優しいから、渋る。
「気になったのもあるんだけどさ……なんていうかさ」
だから、私は卑怯者だ。
「なんか、家族で私だけ仲間外れじゃない? だから、少しでもそういうの知りたいなって……知識だけなら、誰も困らないでしょ?」
それは本心ではあるけれど、この場では優しいお兄ちゃんから言葉を引き出す卑怯な手だ。
「んん……じゃあ、可愛い真凛の頼みだし……」
お兄ちゃんは一度咳払いをして、口を開いた。
「じゃあ、おさらいから。この世は想いの顕現で成立している。この世の万物、事象は、そうであるという想いが叶う連続の積み重ねだ。例えば、目の前にある物を手に取ろうとする行動。これは、脳が発信した信号を受け取って筋肉が動いている訳だけれど、それは人間が後付けした科学であって、本来はそう願ったから起こる小さな奇跡だ。僕はそれを手に取りたい、そして、手に取る力を持っている。だから、叶う。当然の理論だ」
私はベッドに腰かけながらスマートフォンを持ち変える。
「有機物であれ無機物であれ、その全てはそうあるものだと願い、それが叶った姿である。そして、発達した人類はそれを科学で後付けしていく事でより確証を得る。そうして、願いの顕在はより強固なものになっていく。宙で手放したものは、重力に逆らわず落下する。そうであると人は知っているから、そうなってしまう。それは人類の歩行から、たかが呼吸するに至るまで全てだ。さあ、そこで問題になるのはなんだ」
「生れたばかりの赤ちゃんが、呼吸出来る訳がない」
この領域に於ける基本知識として、絶対に聞かされる話と例題。多分に漏れず、私もまだ逆廻の家に居た頃に聞かされている。
「そう。人がそうであると知り得る訳がない赤子が産声を上げられるのは何故か。この世の万象は願いだ。つまり、刻み込まれているのさ。人はそうであると。それではなにに刻まれているのか?」
「血統」
私が痛感した、血の性質。
「そう、血だ。全世界共通で、血統とは繋がりを表す最も強力な代名詞だ。人間の子供は人間である。そう当たり前に刻まれた情報は、生まれたばかりの赤子にすら相違なく作用する。子供の顔が両親に似ている、親と似て運動神経が良い。古今東西血統には類似するであろうという刷り込みが強力になされている。実際にそう生まれてくるのだからそれはもうそういうものだ。血には親の情報が刻み込まれている。それは逸脱も同じ」
例えば私の家、逆廻であるならば、逆流、逆転、逆行、可逆。
「いつか何処かのご先祖様が大層な奇跡を体現したのなら、その子供だって奇跡の体現者である筈だ。血統信仰というものは太古に根付いた人間社会の常識。だから、逸脱した人間の子は逸脱する。魔女の子は魔女に。悪魔の子は悪魔に。そう決まっている。だから、いつか何処かの奇跡の体現者様の子孫は、その奇跡を体現する。全く同じではなくとも、少なくともその血脈に沿った奇跡を。その例が、鎖子や桜だ」
そして、本来であれば、私。
「この世の奇跡の発現には、在り得ない程の願いの力、想いの力と共に、それを発現させるトリガーが必要だ。例えば、血。そして、この間の電話で説明した様に、神や怪異の発現条件となる、結果。そうであったとしか思えない結果は、逆算して奇跡を発現する。方程式の答えが先に打ち出されてしまう形になるけれど、その答えになるにはそういう計算式があったに違いない、となったのならば、それは本来の順序を逆転して奇跡足りえる。例えば、僕の様に。ここまでは分かる?」
「うん」
逆廻の家で聞いた話と同じ。この世の摂理。
逸脱した領域のお話。
「そして、ここで話が戻る。口裂け女も、僕と同様の事例だ」
「どういう事?」
「あれは、人間だったのさ。無から発現した都市伝説ではなく、人間。連続殺人犯であった男が起こした事件と、全国を駆け巡った都市伝説の時期がぴったりと一致する。男は思った。これは俺じゃない、噂の仕業だ。口裂け女の仕業なんだ、と。日々の逃避行に追い詰められた男は、そう願う、強く願う。そして、日本中の人々は恐れる、強く慄く。そうして、男の願いは最悪に叶ってしまった。噂が結果を伴い、この世に顕現してしまった。条件は軽いんだ。無からの発現じゃないから。男は、口裂け女へと。噂の怪異、都市伝説の化け物へと姿を変えた。これが、真相さ」
お兄ちゃんの話に、開口してしまう。
だって、そうだ。そうじゃないか。それは見事に、在り得る。
七人の犠牲者。噂話。それは、十分に条件を満たしている様に思える。
「でも、真凛の心配は杞憂だよ。前も話したけれど、それは時代だ。当時ならば、まだ在り得た。国民の全てが、そういうモノが居るかもしれない、と思っていた。複数の目撃情報を伴って、その想いは強まる。人々の想いと、その男の想いは、遂に奇跡の領域にまで至った。そういう話だ。今は在り得ない。皆が皆、それを噂話だと理解している。そんなモノは居ないと思っている。あれは、昭和の最後、そういう時代が生んだ化け物で、平成の今では在り得ない発現の仕方さ」
「そっか……そうだよね」
膨れ上がった不安が、また急速に萎んで行く。確かに、そうだ。お兄ちゃんの言う通り。
事例は幾つもあれど、それと同様に、悪逆の限りを尽くす人間の事例だって存在する。圧倒的にそちらの方が多い事を考えれば、やはり私の心配は杞憂である可能性が高い。
「真凛は怖がりだなあ! 帰国したら心配だから様子を見に行こうか?」
「んー、そうだね。お兄ちゃんが居れば安心かも」
「はあ、真凛はそういうところが可愛いな。鎖子もそれくらい可愛げがあればいいのに。超可愛いけど」
「あはは」
あれ、と。
不安が薄まって、お兄ちゃんの話をもう一度自分の中で反芻した。
少し、気にかかる。どこかが。話を巻き戻す。
「お兄ちゃん、その、口裂け女になったって人……男って言わなかった?」
「ん? ああ、そうだよ。口裂け女の正体は、男だった」
「性別が違うなんてありえるの?」
「ああ、だって、変異するんだ。人間が怪異になるんだぞ? その上で、性別なんて余程些細なものさ」
「ああ、そうだよね。確かに——」
つかえがとれたと思ったところで、スマートフォンを取り上げられた。
私の手から離れたそれを目で追うと、不機嫌な顔をした鎖子ちゃんが立っていた。
会話に夢中で、気付かなかった。
「あ……」
思わず声を漏らす。
「もしもし……うん、ああ、いや、いいからそういうのは。あのさ兄貴……言い訳はいいから。うん、うん。ああ、そういうのはないよ。あったとしても、私がやる。うん、はい、はい、じゃあね。仕事頑張って」
話を短く纏めて通話を切る。鎖子ちゃんは私にスマートフォンを投げる。
表情は相変わらず渋いまま。
「あの、鎖子ちゃん」
「真凛」
鎖子ちゃんは、ベッドに腰かける私と目線が合う様にしゃがんで言う。
「不安なのは分かる。けど、そんなに知りたい? 真凛は、私達と違うんだから」
鎖子ちゃんは、優しい。
私の境遇を聞いて、自分の境遇を考えて、それでいて、私に優しくしてくれている。
私の様になるなと、私達の様になるなと、そう思っている。
お兄ちゃんもそれは同じであるけれど、鎖子ちゃんのそれはお兄ちゃんより遥かに強い。
異常なまでに、私との間に境界線を引いている。
「今回もなんでもないよ。だから、安心して。もしなにかあっても、それは私達の領域の話。真凛は、危ないから、ね?」
鎖子ちゃんは優しい。優しいんだ。
けれど、けれど、それじゃあまるで、私が仲間外れみたいで。
でも、私には才能がなくて。
「うん……ごめんね」
「外は物騒だから、今日も早く家に帰ろうね。しばらく遊び行くのやめようか」
鎖子ちゃんは優しい。
優しいから、私は、それが嫌だとは、言えなかった。
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