13話  師匠と弟子⑦


 フローラ・マッカラムという女性を語る上で、彼女の生い立ちは重要なものだ。

 離れ森やロマリアがあるアスガルド国の隣には、魔術大国たいこくとしてアスガルドと一二を争う、シエラザム皇国こうこくが存在する。

 フローラの生家であるルンドクヴィスト家は、そのシエラザム皇国の中で高い地位を持つ、格式のある家だ。

 皇家こうけ直属の魔術師であった父、エミリオ・ルンドクヴィストと、厳格な母フェリシア。二人の第二子として生まれた娘が、フローラだった。

 病弱な兄とは異なり、彼女は健康にも恵まれ――そして不幸な事に、わずかばかり魔術の才能があった。

 幼い頃のフローラは、天真爛漫で、賑やかな事が大好きな少女であった。外見ばかり華やかで、大人達の思惑おもわくが渦巻く社交界よりも、街の喧騒けんそうが好きだった。よく家を抜け出しては、母の言うところの『下賎げせんな身分』の子供達と遊び回った。

 そんなフローラに、ある転機が訪れる。

 妹が生まれたばかりの頃だった。

 父親であるエミリオが、フローラを後継者にすると言い出したのだ。ルンドクヴィスト家は、魔術をって代々皇家に仕えてきた。エミリオは、その地位を失いたくなかったのだろう。

 魔力はあるが、病弱な兄。そして、魔力を持たず生まれてきた妹。そんな子供達に見切りをつけ、エミリオはフローラの教育を始めた。

 それからの日々は、彼女にとって地獄のようなものだった。

 朝から晩まで続く、父の教育と母のしつけ。街へ行く事も出来ず、友人達にも会えなくなった。

 初めのうちは、両親に見捨てられたくない思いで、毎日を乗り越えていた。手をわずらわせる事の多い兄は、母に。魔力を持たない妹は、父に。それぞれが、居ない者のように扱われていた。二人のようになりたくなくて、フローラは必死に自分を押し殺し、後継者としての修行に明け暮れた。

 しかし、限界というものは容赦なく訪れる。

 術を構成する能力がどんなに優れていても、持って生まれた魔力が変わる事は決して無い。血の滲むような努力を重ねても、どうにもならない事があると、彼女は知ってしまった。

 美しく聡明そうめいな淑女に成長したフローラは、やがて社交界の華となるが、その裏側では苦悩に満ちていた。


 「いずれは御父上のような立派な術者に――」

 「ご両親も喜んで――」


 周囲からそんな言葉を聞かされる度、フローラは逃げ出したいような、泣き叫びたいような気持ちでいっぱいになった。


 止めて、止めて。やめてやめてヤメテ。もうこれ以上、何も言わないで。私は父のような、立派な魔術師にはなれない。母のように、狭い世界の中だけで生きていたくない。


 ルンドクヴィストという姓名が、家が、家族が、フローラの肩に重く圧し掛かる。全てがわずらわしく感じて、自分を取り巻く何もかもを憎んだ。

 ――否、今思えば、憎んでしまえと自分に言い聞かせていたのかもしれない。

 この家を捨てるために。全ての思い出ごと、家族を捨て去るために。






 「……ノエルと出会ったのは、私が十八歳になる頃でした」


 話を続けるフローラは、もう随分と落ち着いていた。泣き腫らした目が痛々しいが、涙は止まっているようだ。


 「その頃、私には婚約者がいました。父が決めた方で、数えるほどしか会った事はありませんが……立派な青年だと、両親は喜んでいました。でも――好いてもいない方と結婚するなど、私には考えられなかった。そして何より、ルンドクヴィストの名を継ぐ事が嫌だった」


 そう言って、形の良い唇を苦々しくゆがめると、少しばかりうつむいた。


 「だから、あの家から逃げ出した。何処か遠くへ行って、何にも縛られず生きていこうと。勿論、父はそれを許してはくれなかった。私はすぐに追手を掛けられ、あっという間に捕まって……」


 思い出すのは、捕らえられた時の絶望感。悔しさや悲しみといった、負の感情ばかり。家への服従か、あるいは自害か。その時のフローラには、もう僅かな選択肢しか残されていなかった。

 籠の中の鳥になって一生を終えるのなら、いっそこのまま。

 フローラの決意は、黒き魔術の炎となり自らをも飲み込んだ。これで何もかも楽になる、そう思ったのだが――。


 「そんな時に、ノエルが現れた。気付いたら、追手は皆逃げ出していて……一人で呆然としている私に、この人、何て言ったと思う? 『護衛になってやるから、飯を食わせろ』って。新手あらての山賊かと思ったわ」

 「俺、そんな事言ったか?」


 ノエルは、しらを切りつつ燃えるような赤髪を掻いた。その耳が薄らと朱に染まっているのを見て、フローラは笑う。照れ隠しが下手な夫だが、そういう所も愛おしい。


 「あら、覚えていませんの?」

 「昔の事だからな」

 「私は覚えていますよ。貴方がくれた、どんな一言だって。その言葉が、私を此処ここまで連れてきてくれたのですから」


 フローラはそう言うと、自らの腹を優しく撫でた。

 今まで話に耳を傾けていたリリアは、目の前で仲睦まじく笑い合う夫婦を、感慨かんがい深い面持ちで見つめる。

 リリアは以前、ノエルより、駆け落ち同然で結婚をしたという話を聞いた事があった。ノエルはともかく、しとやかなフローラがそんな事をするとは思えなかったので、正直なところ半信半疑だったのだが。

 しかし、それよりもリリアを驚かせたのは、フローラの過去である。

 家族との確執、思い悩んでいた過去、何より彼女が魔術師であったという事実。


 「フローラさんは、黒魔術師だったんですね。私、全然気付きませんでした」

 「昔の話だけれどね。今はもう、魔術を使う事は無いわ。術の構成だって、忘れかけているもの。それに、この国で私の過去を知る人間は、ノエルくらいだから。ラクラさんには、気付かれていたみたいだけど」

 「師匠が?」

 「私がルンドクヴィスト家の出身だと知っても、驚かなかったから。前々から、感付かれていたのでしょうね」

 「フローラさんが、深層治癒術を知っていたのは……」

 「ええ。あの家にいる頃、聞いた事があったの」

 「そうだったんですか……」


 禁忌きんきと呼ばれ秘され続ける術の存在を、何故フローラが知っていたのか、リリアには疑問だった。だが、シエラザムの皇家に仕えるほど高名な家の者であれば、納得がいく。

 しきりに頷くリリアの向かいでは、ノエルが腕組みをして首を捻っていた。真剣な表情になると、彼の精悍せいかんさが際立って見える。


 「でもよ、フローラ。さっき話した過去は、ほとんど俺も知ってる事ばかりだぞ。お前が、家族を憎んでる事だって知ってる。だが――」

 

 ノエルは一瞬言い淀んだが、 


 「それが、お前の不安にどう繋がるんだ? お前が、魔術まで使って知りたかった事は、一体何なんだ?」


 そんな疑問を口にすると、隣に座るフローラを見つめた。

 夫からの真剣な眼差しを受け、彼女はふと思う。

 初めての出会いから、気ままな旅人暮らしを経て今に至るまで、ノエルは何一つ変わらない。真っ直ぐな性格も、自分を見つめてくれる優しい眼差しも。いつだって、フローラは彼に助けられ、救われてきた。

 ノエルがそうであったように、自分もまた、彼に対して誠実でありたい。

 だから、話さなくてはならないのだ。

 ずっと蓋をし続けてきた、真実の気持ちを。


 「……これは、私が今までずっと忘れていた、ある手紙です」


 フローラは静かに言いながら、一通の手紙をテーブルに置いた。

 既に封蝋ふうろうが破られた真っ白い封筒には、差出人も宛名も書かれてはいない。

 しかし、几帳面に折り畳まれた手紙を開くと、そこには流暢りゅうちょうな文字でこう書き始めてあった。


 我が親愛なる娘、フローラへ――と。

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