6話  離れ森の魔術師⑥


 「リリア、やっぱり臭い」


 師匠が発した一言に、リリアは手にしていたフォークを落とした。

 ソースを飛び散らかしながら肉の上でバウンドしたフォークは、皿にぶつかり耳障りな衝撃音を響かせる。

 入浴を済ませ、常よりも遅い夕食をとっている時だった。

 いつもなら食卓を包む雰囲気は明るく、師弟の会話もそれなりに弾むところだが、今夜ばかりは様子が違った。黙々と、互いが何かを言い出せずにいるような、そんな静かな夕食だった。

 理由はいくつかある。

 リリアにとっても、ラクラにとっても、今日は疲れる一日であった為。

 風呂に入った事で、身体が更なる休息を求めている為。

 そしてその風呂が原因で、何だかよく分からない臭いが互いの身体から漂ってくる為だ。

 強烈な青臭さと土臭さ、それから胃に直接訴えかけてくる苦々しさ。リリアだって、身体にまとわり付くこの妙な臭いには気が付いていた。

 だが、食事時に出したい話題ではないので、あえて黙っていたというのに。

 ともすれば、年頃の少女の繊細な部分を傷付けかねない一言を、目の前の男はあっさりと言ってのけたのだ。自分も同じ臭いを共有しているにも関わらず。


 「師匠にだけは言われたく無いんですけど……!!」


 フォークを拾い上げ、負けじと言い返す。


 「同じお風呂に入ったんだから、師匠だって同じ臭いです」

 「えー。でもなぁ……一番風呂のほうがきつそうだよね?」

 「どんな理屈ですか、それ。そんな事言ったら、後の方が煮詰まっていてヤバそうですけど」

 「あ、ほら、また臭ってきた」

 「いいえっ!! 師匠の方こそ、臭いですー!!」


 五十歩百歩の言い争いはしばらく続いたが、やがて不毛さに気が付いた二人は揃って食事を再開させる。

 香辛料とハーブで下味を付けた肉は、刻み野菜がたっぷり入ったソースに絡まり、噛むと芳醇ほうじゅんな肉汁を滴らせる。味付けが好みだというラクラの言葉を受けて以来、定番の料理に加わる事となった肉料理だ。

 だが、辺りに充満する薬草臭のお陰で、箸が進む様子がない。


 「このお肉……明日の朝、パンに挟んで食べましょうか」

 「いい考えだね」

 弟子からの提案に、師匠が頷く。ラクラはげんなりとした表情で、スープを手に掛けたまま固まっていた。


 「いくら身体に良いと言っても、入れすぎは逆効果なんだな」

 「貴方が今更そんな事を言いますか……。って言うか、いつも調合が雑過ぎるんです、師匠は」

 「次は気を付けよう」

 「次なんてありませんから」


 リリアはピシャリと言いながら、片付けを始めるために席を立った。






 食事を早々に切り上げリビングへ向かう。

 ラクラは一足先にソファーでくつろぎながら、古い本を読んでいた。見覚えの無い書物だ。リリアは隣に座ると、師匠の肩に遠慮なく寄り掛かり覗き込む。


 「それ、例の魔術書ですか?」

 「んー」


 おざなりな返事が戻ってくる。一度集中すると周りの声が聞こえなくなるのは、ラクラの悪い癖だ。しかし、そんな事を気にしていてはこの男の弟子など務まらない。グイグイと嫌がらせのように体重を掛けながら、リリアは話を続ける。


 「王立図書館って、やっぱり色んな本があるんですか? 私、王都って行った事無いです。街とは全然違うんでしょうねー」

 「うん」

 「今度、連れて行ってくれますか?」

 「うん」


 畳み掛けるように、リリアが尋ねる。


 「じゃあ、王都に行ったら美味しいものいっぱい食べましょうね。あと、買い物もしたいなぁ。お洋服と、それから靴も。師匠、買ってくれますか?」

 「うん」

 「やったあ!!」


 足をばたつかせて喜んでいると、その振動に気付いたラクラが視線を向けてきた。


 「えっ? 何々、どうしたの」

 「約束しましたからね、師匠」

 「何を?」

 「王都に連れて行ってくれるって。贅沢させてくれるんですよねー」

 「そんな約束したっけ……」


 人の話を聞かない師匠も師匠であるが、それを逆手に取って我侭放題の弟子も弟子である。

 イマイチ話の流れを掴めていないラクラだが、リリアの様子を見るに、どうやら王都へ行ける事を喜んでいるようだ。しかし、


 「王都へは当分行かないよ」


 と、ラクラは喜びに水を差す一言を告げた。


 「ええ~!?」

 「その約束はノーカウント。約束っていうのは、互いに目を見て交わすものだ」

 「人として正しい台詞だとは思いますが、師匠に言われるのは釈然しゃくぜんとしません」


 弟子は不満顔で言うが、あっさりと引き下がった。元々、本気で言っているわけではないのだ。リリアなりに甘えているのだろう、とラクラは考えたりもする。(ただしそれを本人に伝えると、物凄く嫌そうな顔で否定される。)


 「王都は魔術師の出入りに厳しいからね。協会所属の魔術師以外は、出歩くにも監視が付けられる」


 協会とは、国への忠誠を誓った魔術師の集まりで、なんのひねりも無く『魔術師協会』と呼ばれる組織の事である。国から仕事を与えられ、各地に赴く事もある。有事となれば召集がかかり、王国軍の一員として組み込まれる。

 魔術師の中には、そんな協会のシステムを嫌う者も多い。

 ラクラもそんな一人であり、したがって協会には入っていない。


 「じゃあ師匠にも監視が?」

 「いいや。協会の連中を構ってる暇はないからね。こっそり入り込んできた」

 「師匠……とうとう犯罪まがいの事にまで手を染めて……」


 リリアは呆れたように息をつき、ラクラから距離を置いた。くっ付いたり、離れたり、忙しい弟子だ。


 「色々と、抜け道があるって話だよ」

 「ふぅん……」

 「あ、そうだ。王都に連れて行くことは出来ないけど、お土産みやげがあるよ」


 その言葉に、リリアの顔がほころぶ。


 「お土産みやげ!? ありがとうございますっ!! 師匠大好き!!」


 嬉しそうに抱きついてくる弟子に、現金だなぁ、と思いつつも、パッと花の咲いたような笑顔を向けられては悪い気はしない。結局、ラクラも弟子を甘やかしているのだ。

 腰にしがみつくリリアを引き離し、リビングの片隅に置いた荷物を漁る。そんなに大きな物を買ったわけではないので、中に紛れているのだろう。

 荷物の中を一通り見て、ラクラが戻ってくる。何故か手ぶらで。


 「……お土産、どこかに忘れてきたみたいだ」


 そう言って、手をヒラヒラと振って見せた。

 そんな師匠を見つめるリリアは、やがて表情を曇らせ、


 「師匠なんて大嫌い」


 と、ソファーのクッションに顔を埋めた。


 「ホントに現金なやつだな、君は」


 つい今しがた心に秘めた一言が、ラクラの口から思わず漏れ出した。

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