2話  離れ森の魔術師②

 

 朝に摘んでおいた踊子草は、いくつかの束に分けてから麻紐で括り、吊るして干しておく。乾燥させた踊子草は風呂に入れると薬湯やくとうとなり、腰痛に効くという。

 摘んだ分を干し終えたところで、昼食の時間となる。今日は一人なので、朝の残りのパンとドライフルーツで手軽に済ませた。

 店に戻り、先日摘んで乾燥させておいたアシタバの若葉を小分けして袋に詰める。これを煎じて飲めば、強壮きょうそう作用があるとされる。

 血管から引き起こされる何がしかの病(街医者の話によると高血圧というらしい)の予防にもなると聞いたが、リリアは医者として知識を得ている訳ではないので、その病についてはあまり詳しくない。

 袋詰めにされたアシタバは、昼過ぎに訪れた客に渡された。子供を連れた中年の女性で、こちらも常連客だった。

 代金を受け取る時、子供から小さな赤い実を渡された。森で見つけたらしい。


 「ナナカマドの実だ。もうこんなに赤くなってるんだね」

 「おねえちゃんにあげる。いつもお父さんのお薬作ってくれるから」

 「そっかぁ。ありがとう」


 ナナカマドの実はジャムの隠し味としてまれに使う事がある。貰った数粒だけでは足りないので、後でもう少し採りに行こうと考えながら、ナナカマドの実をポケットにしまった。

 風が冷たくなる前に洗濯物を取り込み、その後夕食の下拵しらごしらえに取り掛かる。野菜がゴロゴロと入ったシチュー鍋を弱火にかけておき、叩いた肉は下味を付けすぐ焼ける状態にしておく。食後のデザートにと、パンプディングも作っておいた。

 一人で出かけた師匠は、恐らく食事もろくにとっていない筈だ。いつ帰ってきても暖かな食事が出せるようにと、準備だけはしておく。

 お茶を淹れて、鍋の様子を見ながら読書をしていると、あっという間に日が落ちた。家の明かりを灯し、窓や玄関の鍵をかける。鍋を覗くと、野菜がトロトロに溶け、食欲をそそる暖かな湯気が立ち昇った。

 一日の仕事はあらかた片付けた。布団を整えて、綺麗に洗濯した寝巻きも畳んでおいた。夕食も出来上がったし、風呂も沸いている。

 それでも、師匠はまだ帰らない。


 「まさか本当に行き倒れてたりして……」


 出かける間際の姿を思い出す。

 よれたローブを身に纏い、墓から這い出してきた死人を思わせる足取りで玄関を出た師匠。珍しく生き生きとしていたものの、それでも一般の成人男性に比べれば病的なまでに覇気の無い師匠。

 いい大人なんだし、多分大丈夫だろう――と、あの時は暢気に見送っていたのだが。


 「迎えに行ったほうがいいのかなぁ」


 迎えにとは言っても、リリアが出歩ける距離はそう遠くない。魔術書を引き取りに向かった事は知っているのだが、行き先が分からない。迎えに行ける距離は、せいぜい離れ森の入り口までだ。

 それに、普段から師匠には「夜の森は出歩かないように」と言われていた。それを破ったとなれば、迎えに行ったところで小言を貰うに違いない。


 「もうすぐ帰ってくるよね、きっと……」


 暗闇が広がる窓から読みかけの本へと視線を移し、リリアは再び読書に耽った。

 





 コツン、と何かが窓を叩く音で、リリアの意識はまどろみから引き戻された。どうやら少しの間眠ってしまったらしい。手元の本は既に読み終えている。

 家の中を見渡してみても、師匠が帰ってきた気配は無い。

 何だろうと首を捻っていると、もう一度窓から音が聞こえた。慌てて振り返ると、小さな石が窓ガラスに当たり落ちていくのが見えた。


 「もしかして、師匠? 帰ってきたのかな」


 不思議に思いながらも、玄関へ向かう。

 鍵を無くして家に入れないのだろうか。そんな事態もありえなくはないズボラな師匠なので、「もー、しょうがないなぁ」と呟きながら玄関を開けて外を覗いた。


 「あれ? 誰もいない……」


 疲れてヨレヨレになった師匠が、情けない笑みを浮かべて立っている光景を想像していたが、予想に反して誰の姿も見えない。数歩分だけ外に出て見渡してみても、夜の闇と静寂が広がるばかり。

 言い知れぬ気味悪さを感じて、リリアは家に戻ろうときびすを返した。

 その瞬間――。


 「うわぁっ!?」


 突然、思いもよらぬ力で後ろ髪を引っ張られ、抵抗する間も無く地面に叩き付けられた。

 土の地面は幾らかの衝撃を吸収してくれたが、軋むような痛みが身体中を走り、すぐには動けない。咄嗟とっさの判断で頭を守ろうと腕を上げたが、リリアの行動よりも早く次の衝撃が来た。

 服の襟元辺りを掴まれ、再び地面を転がる。

 まずい、と思った時には身体の自由が奪われており、何者かに後ろ襟を掴まれ引きずられていた。

 森の奥へと向かっているのだろう。家の明かりが、一歩、また一歩と遠ざかる。


 「は、離してっ!!」


 口の中に入り込んだ土が舌の上で不快にざらつくが、そんな事に気を取られている余裕は無い。

 痛みと混乱で思考を鈍らせながらも、必死に身をよじって後ろ襟を掴む手を剥がそうと腕を振り上げる。しかし、リリアの腕は虚空をかすめるだけで、何も捕らえる事が出来ない。


 (まさかコイツ、実体が無い!?)


 気付いて、背筋に冷たいものが走った。

 これは『森の影』だ。森を彷徨う、魔に属する者の一種。

 夜の森を出歩かないように。そう師匠から言われていた、その理由の一つがこの森の影にある。

 彼等は、森で命を落とした人間の成れの果てだと言う。太陽の光が射す間は姿を見せる事はないが、夜になると音も無く彷徨う。

 生きている人間が羨ましく、ねたましく――だから、自らと同じ場所へ引きずり込む。

 師匠から存在を聞かされてはいたものの、こうして遭遇するのは初めてだった。 今まで何度か夜の森を通った事はあったが、その時はいつも師匠が一緒であったし、危険が起こることは無かった。何より自分が住む地にそんな恐ろしい存在が徘徊しているなど考えたくなかった。だから、森の影の事は、頭の隅に追いやって思い出さないようにしていたのだ。


 (どうにかして逃げなくちゃ)


 リリアは、半人前の見習いではあるが、白魔術師だ。

 大いなる力をって魔術を執り行い、人を癒す白魔術師。

 だから、攻撃する術を持たない。黒き魔術の火は、リリアには扱えない。

 実体を持たない影を相手に生身で戦うなど、不可能に近い。

 

 (森の影は魔属性。対抗するには……)


 頭の中の知識を総動員させる。

 古くから魔除けに使われてきた物。例えば、ガーリック、ヨモギ、タイムなどの香辛料やハーブ。水晶といった石であったり、身代わり人形、清めた塩も効果があると文献には載っていた。それから、ヒイラギの木やナナカマドの実――。

 

 (ナナカマドの実!! たしか、ポケットに入ってるはず!!)


 それは、昼にやって来た常連客の子供から貰ったものだった。

 今まですっかり忘れていたのだが、まさかこんな場面で役立つ事になろうとは。

 引きずられ、皮膚が地面に擦られる痛みに顔をしかめつつ、ポケットからナナカマドの赤い実を取り出す。貰ったのは、ほんの数粒。落とさないように、慎重に握り締める。


 「これでも喰らえっ!!」


 恐怖を振り払うかのように声を上げた。

 同時に、手の中の赤い実を、背後の影に向かって投げ付ける。

 ナナカマドの実は、何かに当たる気配も無いままあっさり地面へと落ちた。効かないのか、と思った次の瞬間、僅かに影が怯んだ。

 その隙を見逃さず、リリアは素早く立ち上がると、転がるように駆け出した。

 

 (今のうちに、家へ!!)


 草木を掻き分けながら走る。つたに足を取られ靴が片方脱げてしまったが、振り返る事はしなかった。家まで行けば、強力な魔除けの道具もある。それを使えば、師匠が帰るまでの間くらいなら、持ちこたえられる――かもしれない。

 だが、


 (師匠……本当に、帰ってくるの?)


 待ち人の姿は未だ見えず、思い浮かんだ頼りない笑顔に、リリアはつい涙腺を緩ませた。

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