第一章

1話  離れ森の魔術師①


 リリア・ウッドワードの目覚めは、朝日と共に訪れる。

 まだ眠気の残る目をしばたたかせて着替えを済ませると、鏡の前に立ち髪を梳かす。両サイドの一房を結い、後ろ髪はそのまま背に流す。深煎りされたアーモンドのような色の髪の毛は、朝日を受けて輝きを増した。(余談ではあるが、深煎りアーモンドという表現は彼女の師匠が時折使うものであり、リリアとしてはあまり好んでいない。)

 襟から胸元にかけて控えめなフリルがあしらわれたシャツは薄い灰色。膝丈の黒いスカートは同色のサスペンダーで止められている。普段通りの地味な色合いに、地味な服装。十七歳の少女にしては垢抜けない雰囲気ではあるが、リリアにとってはこの格好が一番動きやすい。

 自室を出て一階に下りると、まずは台所へ向かう。オーブン付のストーブに薪をくべ、火を入れる。オーブンを暖めている間、裏庭にある薬草畑に向かい、いくつかの薬草を摘む。

 これは料理に使うハーブであったり、調合して薬にする為の材料であったり、その日によって摘む草の種類も変わってくる。

 この日は料理用にセージとレモングラスを、薬用にアロエと踊子草を採取した。

 台所に戻ると、オーブンが丁度良い具合に熱されている頃である。一晩寝かせて発酵させたパン生地をオーブンに入れ、焼き上がりを待つ間にかまどで湯を沸かし、朝のお茶を淹れる。

 いつもの癖でカップを二つ用意して、注ぐ直前に気が付いた。


 「そっか……師匠の分はいらないんだった」


 常ならば、朝のお茶を準備したところでもう一つの仕事がある。

 鍋の蓋を両手に持ち、二階にある師匠の部屋へと赴き、思い切り打ち鳴らす――そんな仕事だ。だが、鍋蓋二枚が奏でる不快な騒音を以ってしても、なかなか目覚める事のない鈍感な師匠は、現在この家にはいない。


 「静かな朝っていうのも、たまには悪くないかな」


 リリアは一人テーブルに向かうと、淹れたてのお茶を啜りながら呟く。

 いつも通り上手に焼けたパンが、珍しくバスケットの中に残っていた。






 朝食を済ませ、家の掃除をあらかた終えた頃、本日一人目の客がやって来た。

 リリアが薬の調合を始めようとしていた矢先の事で、今朝採ったばかりのアロエの葉を手にしたまま出迎えた。


 「おや。来るのがちと早かったかのう」


 現れた老人は、そう言って白い顎鬚あごひげを撫でた。


 「ごめんね、ティムさん。これから調合するから、ちょっと待ってもらえます?」

 「構わんよ。散歩がてら歩いてきたから、少し休ませてもらうさ」


 彼はリリアにも馴染みのある常連客で、名をティム・ブルという。腰が曲がりかけてはいるが、最近まで木こりをやっていた事もあり、足はまだまだ健在だ。

 この家は街外れの森の中に建っている。離れ森と呼ばれるこの場所は、街から来るには若者の足でもそれなりに歩かなければならないのだが、ティムは毎回、散歩のついでといった気軽さでやって来る。


 「はい、お茶どうぞ。いつもの薬でいいんですよね?」

 「ああ、頼んだよ」


 家の玄関は、こうした客が訪れる店の出入口でもある。生活スペースの反対側にある小さな店内にティムを通すと、リリアは様々な道具が所狭しと並ぶ机に向かった。

 大人一人がすっぽり入れるほどの大きなかめから、冷たく透き通った水を汲み、手にしていたアロエの葉を丁寧に洗う。森の小川に湧く水は、薬を作るうえで重要なものだ。自然の生命力に溢れている為、薬の効きもよくなると師匠は言っていた。

 洗い終えた後は、葉のトゲを取り除き銀製のおろし金ですりおろす。濃い緑の葉とゼリー状の葉肉が水分を含んでドロドロに混ざり合い、独特な香りを醸し出す。


 「随分と慣れたもんだね」


 手馴れた様子で作業するリリアを見て、ティムが言う。


 「ある程度の薬なら、一人で作れるようになりました」

 「リリアちゃんが来てからは、此処の世話になりっぱなしだよ。街医者の薬はイマイチ効き目が良くなくてなぁ」

 「水虫には特効薬が無いですしね。私の薬だって、殺菌と痒み止めくらいにしかなりませんし……」


 すりおろしたアロエを新しい綿布に包み、ゆっくりと搾る。されて落ちてきた緑色の液体に、今度は手のひらサイズの小瓶に入った水を混ぜる。小瓶の中身は、満月の翌朝に降りた露を集めたものである。露集めはリリアの大切な仕事であり、これを怠ると良い薬が作れない。


 「いや、わしは助かっておるよ。ソニア婆さんも、リリアちゃんのおかげで調子が良いと喜んでおった」

 「あれ、ソニアさんとお知り合いなんですか?」

 「ご近所さんでな。あのへそ曲がりな婆さんが、素直に人を褒めるなんて珍しいぞ」

 「へそ曲がりだなんて、ソニアさんが聞いたら怒りますよ」


 笑いながら答える。とはいえ、件のソニアという女性が『へそ曲がり』であることは、リリアにも思い当たる節はあるので否定はしないでおく。

 朝露を混ぜたアロエの絞り汁は、若葉を思わせる澄んだ緑色になる。それを空の瓶に移し蓋をすると、最後の仕上げに取り掛かる。

 星の形をした魔術図形と複雑な文字が書かれた羊皮紙の上に薬瓶を置き、両手をかざす。意識を集中させて空気を吸い込むと、一息に呪文を唱えた。


 「大いなる力よ、慈悲の光を与えたまえ」


 羊皮紙の魔術図形から淡い光が溢れ、薬瓶を包む。光はすぐに粒子となり、踊るように消えていった。


 「大したもんだね」

 「術に関しては、まだまだです。師匠ならもっと上手くやるんですけどね」

 「でも、あの人は調合が苦手だろう」


 ティムがそう言って笑うと、リリアも苦笑して肩を竦める。


「みたいですね。魔術は一流なんですけど。それ以外の事に関しては、ズボラというか無頓着むとんちゃくというか……」


 リリアは薬瓶を麻布で包むと、来客用の椅子に座って茶を飲んでいたティムに渡した。


 「お待たせしました。水虫のお薬です」

 「ありがとう。そう言えば、先生の姿が見えないが……」

 「師匠は出かけてますよ」

 「へえ、珍しいね。先生も出かける事があるのかい」

 「ずっと探していた魔術書が見つかったらしくて。私は昨日からお留守番です」

 「この辺は物騒なモンが少ないからいいが……気を付けるんだよ」


 引退したとはいえ、元は木こりであったティムは厳つい外見をしている。ドワーフがそのまま大きくなったような容姿に、心配の色が浮かんでいるのを感じて、リリアは笑って見せた。


 「はい。師匠も、今日の夜には戻ってきますし。……どこかで行き倒れてなきゃ、ですけど」


 老人のゴツゴツした手から薬の代金を受け取り、玄関先まで送る。

 来た時と同じように、しっかりとした足取りで森の小道を帰って行く背中を見送った後、リリアは次の仕事に取り掛かるために店へと戻った。

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