第17話
右手に剣、左手に四元符を持ったクオンが、宙へと飛び上がる。そのすぐ下を、化け物の三対あるうちの真ん中の足がかがり火に爪を光らせながら薙ぎ払う。
「《アグニス》!」
クオンは叫び、四元符を振り抜く。狙いは今まさに振り向こうとしている化け物の顔だ。
放たれた火球は吸い込まれるように化け物の顔、目の下あたりに炸裂した。だが、化け物はそれを全く気に留める様子もなく、そのままクオンの方へと首を伸ばしてくる。
ヤールはどんな手段を使ったか化け物の顎から逃れていたが、クオンにはあんな芸当は真似もできない。なので、噛み付かれる前になんらかの対策を取らなければならない。
「弾けろ、《アグニス》!」
その対策というのは具体的には目くらましだ。オレンジに燃え上がる四元符が光を凝縮させ、爆発。ばらまかれた光は化け物の視界を塗りつぶし、直後に暗転してこちらの姿はろくに補足できなくなるはずだ。
クオンは爆発から顔を背けながら着地し、化け物の腹の下を急いで駆け抜ける。ついでに刃で撫でるように腹の下を斬りつけていくが、手ごたえは木でも斬っているかのように硬い。当然、化け物には大した傷も付いてないはずだ。
(倒す必要はないとはいえ、これほどまでに力が通用しないと嫌になるな……)
心の中で一人呟きつつ、クオンはまた四元符を構える。
囮役を引き受けてからおよそ三分、クオンは息を切らしていた。
巨大な化け物は斬っても焼いても怯みもせず、反対にその顎に捉えられたら一度で即死という圧倒的に不利な状況下での戦いは、注意を引くだけとはいえ負担が尋常ではなかった。その疲労で動きが僅かに鈍ってきたクオンを、化け物は四つの目で見つめた。
クオンは降り注ぐ殺気に思わず顔を上げ、残りの力を振り絞って後方へと逃げるように走り出した。化け物も首を地面すれすれまで伸ばしつつ、後を追って駆け出す。
化け物の歩幅はクオンの三倍か五倍はあるだろうか。当然、その差はどんどん縮まる。凶悪に煌めく刃のような牙がクオンの背に追いすがり、一歩ごとに距離を埋めていく。
クオンが背後に化け物の顎を感じ、後一歩でクオンがその牙の餌食になろうとした瞬間、どこか緊張感のないヤールの声が聞こえた。
「お疲れさま、クオン。今度は俺の番だ」
そう言って、背の高い人影が高く飛び上がり化け物の背を踏んだ。その後を追うようにジャラジャラという金属音が何重にも鳴り響く。よくよく目を凝らせば、ヤールの影からは何本かの長い長い鎖が伸びていた。その鎖の内の二本は先で繋がっており、輪を描く。輪の中にあるのは、化け物の首だ。
ギャン、と鎖が一際強く鳴った。鎖が化け物の首を捕らえ、今にもクオンを噛み千切ろうとしていた顎が強制的に天を仰がされる。同時に別の鎖は後ろの二本の脚に巻き付き、首と後ろ脚を背中のヤールが縛って引き寄せることで化け物は反り返るように縛り上げられる形になった。
だが、頭と後ろ脚を封じられた化け物は、残った四本の脚でなおももがいた。
「やれやれ、暴れても無駄なんだけどなぁ」
ヤールは少し呆れた風な声でそう言うと、その手から四本の鎖を伸ばした。
ジャラジャラと鳴る鎖はそれぞれの脚に辿り着くと、まるで生きているかのように脚に絡みついて、再びヤールの手までその先端を戻した。そしてヤールが手元に帰ってきた鎖を軽く引くと、化け物は全身の自由を奪われて地に倒れ伏した。
ギャリギャリっと鎖を締め上げ何らかの手段で鎖同士を固定したヤールは、切り株から飛ぶかのような気楽さで化け物の背から飛び降りた。しゅたっと軽く着地を決めるヤールの元に、クオンはさっきの疲弊した様子が嘘だったかのように走り寄って行く。
「お、おい、これ手を離して大丈夫なのかよ」
「大丈夫さー。それより、クオンはなかなか演技派だねえ」
ニヤニヤしながらこちらを見るヤールから顔を背け、クオンはしぼんだような声で言う。改めてそれを指摘されると悪いことはしていなくてもなんだか気恥ずかしいのだ。
「い、いやあれは、あの方が化け物もだましやすいかなと、思ってだな……」
「いやー、そういうのって実は大事なんだぜ? やつらも元はただの獣だしさ」
ヤールはそう言って縛り上げた化け物に向き直った。その手にはいつの間にか十字架型の短剣、スティレットが握られていた。
「さて、もう楽にしてやるか」
夜狩人は、闇の中に横たわる化け物へと歩いて行った。
ボスン、という耳慣れない大きな音と共に、化け物は身じろぎ一つしなくなった。そうして狩りは終わった。
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