第4話 2日目/朝

朝、芳乃は無意識の不安で飛び起きた。

寝室のベッドからすぐに見える位置の掛け時計を見るとすでに出勤時間を大きく過ぎていた。

何故、目覚まし時計がならなかったのか、いや気付かなかったのか、と思考が回り始めたところで思い出した。

今日は休みを取っていたことに。

昨夜はヨルが帰るのを深夜2時まで待っていたが、一向に帰ってくる気配がなかったため、寝入ってしまったのだった。

聞きたいこと、知りたいことも多い。また、同居する以上は今ここに無いものがいくらか必要になるだろう。

そのため、有給をとった今日は時間が取れるかを確認したかったのだが、何も出来ず休日を迎えてしまった。

芳乃はヨルが帰ってきていることを期待して、部屋着である大きめのTシャツを羽織ってボサボサの髪の毛のままリビングに出る。

ヨルが昨日座っていたソファの定位置に彼女の黒い頭は見えなかった。

まだ帰ってきていないか、と残念な心持ちで喉を潤すために冷蔵庫に向かう途中、とてつもない違和感のあるものが視界を掠めた。

ソファの上に横たわる肌色をした人間の形。

ヨルかだろうか?そう芳乃は思ったが、すぐに否定した。あれは彼女ではない。黒くないのだ。

視覚的にもだが彼女の持つ言いようのない黒い雰囲気がない。むしろ、透明な感じすら受けた。

そのソファに横たわる人間について確認するため、そっと近づいてゆくと、ソファによこたわっていたのは彼女ではなく、彼女ですらなかった。

男の子―――しかし、その顔立ちや背格好はなんとなくヨルに近いものがある。しかし、その金色の髪は、ヨルの黒く長い髪とはあまりにも違いすぎる。

「誰、なんだろう。ヨルちゃんに関係するとは思うけど……」

近づき、まじまじと少年を見下ろし観察する。

金髪の短めの髪、ただ男性視点でみればやや長い程度の髪の長さ。

その顔立ちはやはりヨルにどことなく似ており、整っている。

肉付きは薄くところどころ骨ばって見える。しかし、不健康なイメージというよりも儚い印象を与えてくる。

じっくりと視姦するかのような濃密な視線で観察していたが、とある見慣れないものが視界に入ると、すぐにその顔に視線を移した。

ここ数年、自分自身以外の人間を入れることがなかった自分の惨めな城に、裸の少年が人形のように無防備に横たわっている。それは彼女の世界では異様で、異常で、異端的だった。

ソファの横で膝立ちになり、芳乃は彼との距離を狭める。

彼の顔に、頬に手を近づけていく。

が、それは見えない壁のような、膜のような物に遮られてしまった。

「?……なに、これ」

その見えない膜は暑くもなく冷たくもなく、彼の体から約2~3センチ浮いたところにあって彼を覆っていた。

好奇心でペタリぺタリとその不可思議な膜を触っていると、いきなり突風のような何かに芳乃は吹きとばされ、冷蔵庫に強く頭を打ち付ける。

鈍痛を堪えて、星が飛び交う視界で正面を見据えてみると少年の胸の上に黒い、黒すぎるほどに黒い猫が芳乃を睨みつけていた。

芳乃はその異様な高圧的で黒い雰囲気の猫を見て本能が察した。あの黒猫がヨルだと。

黒猫は顎を上げ目をつぶるとドロリと溶け、少年の体を覆っていく。

その黒い泥が少年の体をすっかり覆い尽くすと、それは少年に染みこんでいくように消えていった。

ソファから起き上がった彼はすでに彼ではなく、長く黒い髪をたなびかせた少女だった。

彼女の髪から黒い影が溢れ、マントのような形を作った。

「……」

ヨルの鋭い視線は敵意を孕んで芳乃に突き刺さる。

「さ、さっきの何?というか、誰……?」

黒い少女の視線に耐えかねて芳乃が尋ねる。

ヨルは視線とそらし、目を閉じ顎をわずかに上げて独り言の様に一息置いてに呟いた。

「……私の体。私の……私の好きな人よ」

「えっ……?」

「だから、あまりちょっかい出さないで。いつも手加減できるとは限らない」

「……わかったわ」

ヨルはいつもの口調と変わらずに告げるが、彼女の言った"好きな人"がその忠告の真摯さを裏付けていた。

「ねぇ、じゃあ、さっきの黒猫が貴女なの?あの、男の子の体に溶けていったのが?」

「……ええ。そうよ」

芳乃は考える。ありえないことばかりだが、少し彼女のことがわかった。

おそらくは彼女はあの男の子に取り憑いている死神、なのだろう。

ヨルは彼のことが好きだった。しかし、彼に何かが起こってしまい、彼を守るためか、近くに居続けるために、彼の身体に取り付いて生活しているのだろう。

しかし謎も増えた。あの少年は何なのか。昨夜は"死神の仕事"と言っていたがヨルは本当に死神なのか、そもそもその彼女が何故ここにいるのか聞きたいことは尽きない。

だが、今日はたっぷりと時間がある。ゆっくりと聞こうと芳乃は思った。

「ところでさ、朝ご飯、もう食べた?」

芳乃は立ち上がって尋ねた。

「……まだ」

「じゃあ、遅くなったけど何処か食べに行きましょう?あといろいろ買っておきたいのよ。一応、一緒に住むわけだし要るものはあるでしょ?」

「……別に欲しいものは無いけれど。ご飯は食べたいわ」

「決まりね。なにか食べたいものはある」

「人間の体に良い物なら何でも。あと、ハシは苦手。熱いのも、冷たいのも苦手よ」

芳乃は彼女の言葉に思わず顔がほころぶ。ずっと冷たい得体の知れない化け物のように思っていたが、意外に苦手なものがあったり一途なところあったりと、以外に人間味があって好感が持てた。

「ふふ、わかったわ。準備するからちょっと待ってて」

芳乃はそう言って顔をほころばせてバスルームへ向かっていった。

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