第二十六話 足柄峠の乱闘
帆太郎将軍の命を受けて東海道を進軍する、源左衛門督来光率いる討伐軍本隊は、伊勢、尾張、三河、遠江、駿河の各国を併呑し兵数一万五千に膨れ上がった。そして今、駿河と相模の国境、足柄峠が見えるところまで来た。ここで偵察に行っている、蟹丸を待つ。
「左衛門督様」
蟹丸が戻って来た。
「どうじゃ敵の様子は」
尋ねる来光。
「敵は足柄峠に砦を築き、固く守っております。その数一万八千」
「ほう、やはり我が軍より多いな」
副将格の源右衛門督親政が髭をさすりながら言う。
「さらに、俘囚の長、安倍義良の息子、貞十と宗十の兵五千が砦の前に立ち塞がり、今にも飛び出して来そうな気配です」
蟹丸はそう報告すると、
「また、見て参ります」と言って陣を離れた。
「ううん、ここはまず安倍貞行の陣を崩さねばならぬ。誰か勇気のある者はいないか」
来光が皆に尋ねる。するとまず、
「ここ足柄はわが故郷、拙者が陪臣ながら先鋒仕りたい」
来光四天王の一人、坂田銅時が名乗り出た。
「その言や良し。しかし其方には兵がいない。わしの兵五百を与えるとしても十倍の人数。これでは敵わぬ。他におらぬか」
すると、木曽英五源仲義が手を上げた。
「それがし新参の身ゆえ、ここは遠慮したが良いかとも思いましたが、心に滾るものあり。兵千にて出陣したく存じます」
「いや、なかなかの言葉。来光は感服しましたぞ。しかし、兵千では、銅時と合わせても千五百。もう一声欲しいところ」
「ならば私が」
と言ったのは親政の子、右兵衛佐孝行が立ち上がる。
「我が兵千でいかがでしょうか」
「うぬ、敵の半数だが、所詮、相手は俘囚の兵。一人一人の力は強けれど、纏まった戦いを知らぬは、前の大戦でも明らか。ここは右兵衛佐殿と英五殿に先鋒をお任せし、銅時はその補佐に当たれよ」
「はっ」
三名は返事をすると、自分の陣に戻った。
「待ってくれだあ」
突然、大斧大吉が手を挙げた。
「なんじゃ、どうした」
来光が尋ねる。
「皆が頑張っとる時に、帆太郎様の直参である、おらや、大輔、小吉がのんびり合戦を見ている訳にはいかないだ。おら達も先鋒に加えてくれ」
大吉が訴えた。
「来光様、私からもお願い申し上げます」
大輔も習う。
「ううん。ちと、名乗りを上げるのが遅いぞよ。しかし、其方らは三千の兵。帳尻が合うな。よし、次鋒として出陣せよ」
来光は命じた。
「ありがたや」
大吉、大輔、小吉は出陣の準備に走った。
「帆太郎軍にも、少しは花を持たせねばならんからな」
来光は皮肉っぽく言うと、
「我らと、鎮西の方々は後詰めと致そうな」
と親政と大下薩摩守に話しかけた。
西軍の先鋒が見えると、安倍貞十は舌舐めずりした。
「来たな。都のへろへろ侍」
そう言うと、貞十は後ろに控える宗十に話し掛けた。
「俺は敵に突っ込む。お主には用兵を任せる」
「はい。兄上」
前の大戦で用兵の大事さを知った貞十は、自分の不得手なそれを弟、宗十に学ばせていた。知力に優れた宗十は短期間でそれを修得。貞十の軍師になった。
「兄上、突っ込むはよろしいが、何処に突っ込まれる?」
「そうさな、あの陣が弱そうだ」
貞十は孝行の軍を示した。
「それ、行くぞ。騎馬隊続けえ」
合戦の幕は上がった。
安倍貞十は、先陣を行く右兵衛佐孝行の陣に突っ込んだ。孝行の陣は貞行軍の素早い攻撃に弓引く間もなく侵入を許した。
「大将は誰だ、大将を求む」
貞十は敵兵を容赦なく切り捨てては大将の在りかを叫んでいる。
「おう、我こそは大和の住人、源右衛門督親政が一子、右兵衛佐孝行なり」
孝行が名乗りを上げた。
「ふん、都でぬくぬくと暮らしている己らが俺に敵うと思うなよ」
貞十が剣を天高く突き上げた。
「うりゃああ」
孝行に突っ込む貞行。
「受けて立つ」
貞十の攻撃を待つ孝行。
「いやああ」
「ああ」
貞十の剣を受け止めた孝行の剣は空に舞い上がった。
「覚悟っ」
貞十、剣を突き刺す。
「やあ」
それを避けた孝行は後方に逃げ帰る。
「ふん。意気地なしめ」
貞十が笑う。俘囚兵も笑う。孝行は飛んだ恥を晒した。
「兄上、矢を放ちますのでお避け下さい」
孝行敗退で怯んだ西軍に、宗十は矢を放った。
「怯むな、怯むな」
木曽英五仲義が兵を叱咤する。
「このままではいかん。誰か貞行を倒して参れ」
仲義が叫ぶと、
「私が」
と言って飛び出したのは、坂田銅時だった。
「我こそは源左衛門督来光が家臣、坂田銅時である。安倍殿推参なり」
「何ぃ、陪臣の分際で俺に勝負を掛けて来るとは何様のつもりだ」
吠えながら銅時に向かう貞十。
「お覚悟を」
叫びながら貞行に迫る銅時。
二つの駒の影が重なったとき、
「ううう」
と馬上から倒れたのはなんと貞十であった。
「兄上が討たれた。首級を取られる前にお救いしろ」
宗十が慌てる。こうなると、用兵もへったくれもなくなった。
「敵が浮き足立っている、突入だ」
木曽英五が軍配を振るう。
「おら達も行くぞ」
大吉が先頭に立って兵三千を動かす。梅田大輔、小吉もそれに倣う。
一方、足柄峠の砦では、
「三郎、貞十軍を助けないと次郎の兄者に怒られないか」
下総守山盛が下野守森盛に言った。
「そうだな、四郎。ここは全軍で行くとこだな」
森盛は話すと、
「全軍出撃、貞十殿をお救い申し上げろ。まあ、手遅れかもしれないが」
余計な事まで喋りつつ、出撃命令を出した。
こなた、西軍では、
「敵がうじゃうじゃ出て来たな。こちらも全軍突撃だ」
来光一声の元、鎮西勢を中心とした後詰めの兵が突入する。戦場は大混乱となった。
その六騎は突如、相模の方から現れた。初めは混戦にまみれて誰も気付かなかったが、その中の一騎、漆黒の甲冑を身に纏い、これまた漆黒の駒に乗った武者が、
「戦を止めい」
と大音声に叫ぶと、あれだけ激しかった戦闘があっという間に止んだ。その圧倒的な迫力の為である。
「俺は風花太郎平光明である」
武者は名乗った。戦場内がざわめく。中でも恐慌を引き起こしたのは、下野守森盛以下平氏の兄弟だった。
「太郎兄者……幽霊じゃ」
「いや、狐狸の化け物だあ」
一斉に震え上がる。
「馬鹿め、俺は幽霊でも狐狸でもない。人間だ」
光明の声音にびくつく兄弟。それを見た光明は今度、西軍の方を見た。
「俺は無駄な殺生はしたくない。早々に引き上げよ」
一万余の兵が怖じ気づく。
「光明殿」
来光が口を開いた。
「そなたは東軍のお味方か。ならば我ら、そなたを討たねばならぬ。そなたのご高名は予々伺っておる。だがしかし、こちらは一万に余る兵。そちらは六騎。これでは勝負にならぬであろう。大口は召さるな」
それを聞いて光明は笑った。
「それはどうかな」
「何たる、過信」
来光が軍配を振りかけたとき、
「殿、太郎の殿」
と言って大斧大吉が光明に向かって駆け出した。梅田大輔、小吉も続く。
「殿、生きてたなら何で早く姿を現さないんだあ」
大吉が泣きわめく。
「す、すまぬ」
光明が初めて動揺した。
次いで、梅田大輔が言う。
「殿、やはりご無事だったんですね」
「ああ、何故か生き延びてしまった。今更表に立つ気はなかったのだが、次郎の奴めにしてやられて、ここまで来てしまった」
「はあ」
「西軍の大将殿、俺には戦う気はない。俺はこの戦を終わらす為に来た。どうか東西和睦を求める。これは兵をさせられている、民人の為だ」
光明が宣言した。
「それは、今ここにはおわさぬ、征夷大将軍、平帆太郎明明様に聞かねばお答え出来ぬ」
来光は叫んだ。
「帆太郎明明……我が子の名ではないか」
驚く光明。
「そうだあ。帆太郎様は西の都の帝から厚い信頼を得て、大将軍になっただあ」
大吉が説明する。
「さすれば、帆太郎は何処に」
「ああ、海賊船に乗って江戸を急襲するんだと。今頃もう、始まってるんじゃないかあ」
「ならぬ。ならぬぞ。一族で争うなどあってはならぬ」
光明は黒毛に乗り、江戸を目指した。
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