第七話 閉ざされた森の中で
『シューッ』
『シューッ』
森の一画で鋭い音がする。大斧小吉が木に向かって、小斧を二丁投げているのだ。
あの戦から七年経った。帆太郎、小吉は数え八歳になる。その帆太郎はどこに居るのだろう。
「ただいま」
帆太郎が帰って来た。
「おかえりなさいませ。今日の勉学はいかがでした」
幼少にして主従の別は出来ているらしい。
「うん、無輪(むりん)先生の授業は難しい。今日も背中を錫杖で叩かれたよ」
帆太郎は着物を脱いで背中をみせる。真っ赤な棒状のあざが痛々しい。
「あの坊主。我らの渡す米で生活しているくせに。許せぬ。この小吉が仕返しして来ます」
「おい、よせ。先生とて私が憎くて叩く訳ではないんだ。それより剣術の稽古をしよう」
そう言って帆太郎は嬉々として支度を始めた。
「では主君とは言え手加減はしませんよ」
「応とも」
二人は打ち合いを始めた。
そのころ家の中には難破時化丸が来ていた。時化丸は時々ここを訪れては最近の坂東の状況を教えてくれるのである。
「とにかくな今の坂東は次郎水盛でもっている」
「そうかあ」
「三郎から九郎は悪人じゃあないんだが無能だ。自国で起きる様々な問題を解決出来ねえ。何かある度に次郎が精鋭五百を引き連れて解決する」
「五百名。武蔵一国で養えるのかい」
「そう、出来るんだ。次郎は田畑の土壌改革をして、取れ高を倍にした」
「他国もすればいいだあ」
「それが他国じゃ出来ないんだな。国司が事細かく田畑を見なくちゃならねえ。それに足の不自由な次郎には武蔵一国で手一杯なんだ。他国まで手が回らない。でもって三郎たちにそれは出来ない」
「ふうん」
「まあ、今日はこんなとこさ。またな」
時化丸はおときが夕飯を勧めるのも断って帰って行った。
「『海賊の海賊』も忙しいんだなあ」
大吉が呟いた。
その夕餉時。
「大斧の父上、私は剣術をもっと習いたい」
と急に帆太郎が言い出した。
「それに馬も習いたい」
「だがよう、帆太郎様。剣術も馬術も配下の者が覚えるものだよう。将来、総大将になる帆太郎様には必要ないだよ」
「けれど、私が必ず総大将になるとは限らない。もっと器量のある人が現れたら、喜んで配下になろう」
「なに、言っとるだ。帆太郎様は総大将になってお父上の仇をとるんだ」
「仇を討ち取った後はどうする。まさか坂東に独立国でも作れというのか。違うだろ、天子様の部下になるのだろ、大斧の父上」
「ううん、小難しいこと、言うようになっただ。じゃあ、仕方ないずら。無輪先生に習うがいいべ。ただし、自分で頼むだど」
「無輪先生に?」
「ああ、あの人はなあ、勉学と武芸、両方出来るお方なんだあ」
「はい」
翌日、帆太郎は無輪先生に武芸と馬術も習いたいと願った。
「なにい、武芸と馬術だと。勉学も出来ぬのにようも言った。そうだな、場合によっては教えて遣っても良いぞ」
「なんですか、場合って」
「大斧殿に、月謝の米を倍にするよう伝えよ」
「はい。そういうことでしたか」
「では今日から昼までは武芸、その後は勉学としよう。体を動かして読書すると眠くなるぞ。眠ったらこの錫杖で『バーン』と叩くからな。痛いぞ」
無輪は愉しそうに言った。
「まずは武芸だ。この斧を使ってな」
そこまで無輪が言うと、
「斧は大斧の父上が教えてくれますので結構です」
帆太郎は言った。すると、
「バッカモーン。未熟者が口答えするな」
無輪が怒った。
「申し訳ございません」
「よしよし、この斧でな、薪を割るのだ。一日千本」
無輪は厳しく言うと家の中に入って寝てしまった。仕方なく帆太郎は薪を割り始めた。そして、
「九百九十八、九百九十九、千」
帆太郎が薪を割り終わったのは昼直前だった。どっと疲れが出る。しかし今度は勉学だ。今日は『論語』の先進である。疲れて眠い。しかし寝たら錫杖だ。帆太郎は必死に音読した。その終了後、帆太郎は無輪に「『孫氏』が習いたい」と直訴した。すると無輪は珍しく怒らないで、
「その気持ちはわかるが、お主はまだ若い。沢山の無駄に思える事を吸収しろ。しかるべき時がきたら『孫子』でも何でも教えてやろう」
と諭した。ただし、
「米の量を増やしてくれたらな」
と言って「ヒヒヒ」と気持ち悪い笑い方をした。
家に帰ると小吉が、
「どうでしたか? 武芸は」
と聞くので、
「薪割りを千回した」
と正直に答えた。
半年が過ぎた。
帆太郎は薪割りを昼前には遣りきれるようになった。それを見た無輪は、
「明日からは馬の稽古だ」
と言った。
「武芸はこれでお仕舞ですか」
帆太郎が聞くと、
「お主はもう十分、武芸を身に付けている」
無輪は言った。
「薪を割っただけですよ」
帆太郎が文句を言うと、
「ならば、腰に佩いている剣で、わしの投げる薪を斬ってみよ」
と言って薪を思いっきり投げ付けてきた。
「エイッ」
刀を振り下ろすと薪は真っ二つに斬れた。
もう、一投。
「ヤーッ」
また斬れた。
「お主、いい剣を持ってるの」
「父の形見です」
「思った以上に出来ているじゃないか。腰が据わっている。薪割りの成果じゃ」
「先生!」
「わしを信じよ。わしは諸事いい加減な男じゃが、武芸と勉学については真摯な姿勢で臨むぞ」
と無輪は殊勝な事を言った。
「ありがとうございました」
帆太郎が礼を言うと、
「バッカモーン。まだ午後の授業もあるし、明日からは馬術の稽古じゃ。早う支度せい」
と怒鳴ったが、そう言いながらも、無輪の顔は穏やかだ。
翌日の馬の稽古は乱暴だった。なんとか乗った帆太郎の馬の尻を無輪は思い切り蹴飛ばした。
『ヒヒーン』
と仰け反った馬は気が狂ったように森の中を走り回った。必死に手綱を取る帆太郎。
四半刻もした頃だろうか。馬がようやく落ち着いて来た。
「どうだ、怖かっただろう」
「はい」
「今はどうだ」
「ドキドキしますが愉快です」
「そうか、そしたら馬と友達になれ」
「どうやってですか?」
「バッカモーン。今何の為に馬を暴走させたと思っているのだ。お主に馬を宥めさせようとしてのことだ。お主、馬を宥めなかったのか」
「宥めました」
「それじゃ。馬を思う気持ち、それがあれば友達になれる」
「はい」
「じゃあ、明日からは実技に入る」
昼時にはおときが軽食をいつも持って来る。一度おときが、
「ウチで一緒に食べませんか」
と聞いたら、
「幸せな家庭は苦手じゃ」
と無輪は答えたという。
「ウチも別に幸せでもないんだけどねえ」
おときは笑って言った。
また半年が過ぎた。帆太郎は数えで九歳になった。馬の稽古は順調に進んだ。そんなある日。
「帆太郎、お主に馬をやろう」
「いつもの『天空』ですか?」
「いや違う。わしがこっそり町の市に行って得て来たものだ」
「えっ、そんなお金どこにあったのです」
貧乏暮らしの無輪に馬を飼うお金がある訳ない。
「それが、あるのよ。大斧殿に頂いた米をな、一年以上貯めとくと馬が買える」
帆太郎はびっくりした。
「先生は何を食べて来られたのですか」
「なに、森には山菜もあるし、兎や鹿といった動物もおる。食うに困る心配はない」
「先生!」
「先生、先生と、うるさいな。で、その馬だが悍馬だ」
「悍馬?」
「神経質でな、扱いにくい馬じゃ。しかし乗りこなせれば大いに力となろう。大将に相応しい馬じゃ」
二人は厩に行った。
「どうだ、これが悍馬だ」
帆太郎はまず、その大きさに驚いた。『天空』の倍近くある。目はきつく、鼻息は多い。何かに苛立っているようにも見える。
「乗ってみるか」
無輪が言う。
「はい」
帆太郎が行って鞍を付けようとしたが、
『ヒン』
と言って鞍を寄せ付けない。
「やっぱり無理じゃったか。時間をかけてじっくり慣らしていくしかないな」
無輪は少しがっかりしたようだった。
それから帆太郎と悍馬の長い戦いが始まった。最初、帆太郎は正面から入ったが、頭を齧られた。次に横から入り首筋を撫でようとするがあっさり拒否された。次の日も、次の日も駄目だった。それを見ていた無輪は、
「あせるな、馬と同じ気持ちになれ」
と叱咤激励した。帆太郎は、
(馬と同じ気持ち……気持ちよく大地を駆ける)
と考え、ある日悍馬の手綱を引いて厩から出してみた。
(狭い所に閉じ込められているから苛立つのだな)
そう気付いたのだ。
「さあ、駆けよ。お前は自由だ」
悍馬は喜んだように森を走り回った。気持ち良さそうだ。苛ついていない。そして、満足したのか帆九郎の元へ返って来る。その首筋を撫でてやると『ヒヒーン』と甘えたような鳴き声をだした。
(今なら行ける)
そう思った帆太郎は厩から鞍と鐙を持って来て悍馬に装着する。上手くいった。
(さあ、乗せてくれ)
ゆっくりとその背に乗ると、また『ヒヒーン』と鳴いて帆太郎を受け入れた。悍馬が来て三月目のことだった。
「でかしたぞ、帆太郎」
無輪はことのほか喜び、
「この悍馬に名を授けよう。竜の如しで『如竜(じょりゅう)』じゃ」
と名付けた。
「ありがとうございます」
帆太郎が礼を言うと、
「バッカモーン。これからは学問中心じゃ五経を暗記せい」
無輪はいつもの面倒臭い人に戻っていた。
こうして帆太郎は閉ざされた森の中で日に日に成長していった。
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