機械仕掛けのラブレター

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第1話 秋

 夏の気怠い暑さが鳴りをひそめた秋の初め。


 博士は書斎のデスクの椅子に座っている。博士の前には二人の男が背筋をぴんと伸ばして畏まった様子で立っている。

 二人の男達は低姿勢で、懇願するように博士に何かを依頼している。博士は面倒くさそうに男達の話を聞き、首を縦に振る。


 しつこいほどのお礼の挨拶をして男達は帰った。


 博士は溜息をつきな、大きな伸びをした。なかなか機敏な動作だ。博士おもむろに僕の方を向き、手招きした。そして、僕に名前をつけてくれた。


『ポテト』


と言う名前だ。僕はこの名前が気に入った。だから、僕は博士の家族だ。


                    ※   


 博士は朝が早い。そして、朝食をとらない。その時間がもったいないからだ。目覚めてすぐ猛烈に仕事を始める。二進法の0と1のようだ。


 博士はつまらなそうに、昨日二人の男達に頼まれた依頼をやっている。男達にしてみれば難題でも、博士にしてみれば朝飯前なのだ。いや朝食を取らないからこの表現は不適だ。

 なんと表現すればいいか博士に訪ねてみようかと思ったが、やめた。仕事をしている博士の邪魔はしたくない。

 

 僕は窓側に座り込み、ようやく昇って来た朝日を一身に浴びる。これは一つのひなたぼっこだ。そんな僕の姿を見て博士が笑った。少年のような、好奇心に満ちた笑いだった。


 博士のもとには沢山のお客がくる。僕は玄関に移動してお客をもてなすことにした。最初に来宅した例の二人組の男達は、僕を見て微笑み、僕の頭をなでた。

彼の書斎に入った二人はやはり畏まっていた。


「昨日、お願いしましたシステムの開発の件ですが、調子はどうでしょうか」


 男達は博士に対して敬意を払ったつもりだろうが、これは逆効果だった。博士はキーボードを叩く指をぴたりと止め、男達に向き直って静かに言った。


「その問いは、期日までに約束が守れない者に言う言葉だ。私は今日の九時に取りにきなさいと昨日言った。もう九時を過ぎている。ということは完成しているということになる。君達は私が約束も守れない低能だと考えているのか?」


 静かに疑問系で会話を終わらせるときの博士は非常に機嫌が悪い。それがわかっているのか男達は平身低頭謝っている。


「め、滅相もありません。申し訳ありません。おっしゃる通りでございます。私ども、無知蒙昧な輩には博士の能力を推し量ることすらできませんでした。どうかお許しを」


 博士は鼻を鳴らすと、さも不機嫌そうにキーボードを操作した。博士のコンピュータから男達のウェアラブル端末にデータが転送される。


「確かに私の能力を推し量れる者は、そう多くはないかもしれん。しかし、君たちも世間一般では能力のある方だ。そう卑下することはない。それともう一つ。データを送る方法はいくらでもあるのに、何故君たちがわざわざ出向いて来るのか。時間の無駄でしかない」

「無駄ではありません。博士にお会いし、直接お話することは十分な価値があります」

「君達の時間だ。君達がどう使おうが自由ではある。しかし、こうして会っている間、私の時間も消費されることになる」

「も、申し訳ありません。今すぐ失礼いたします」


 男達はしつこいまでの感謝の言葉を述べ、博士の家を去っていった。


「人間は自分の物差しで他人を量ろうとするようだ。自分にできないことは他人もできないと思い込むらしい。自分よりも能力のある者の存在を認めたくないということか? だとしたら誰も私を理解できないな。そして、私も自分より上位の者を理解しないことになるな」


 僕の隣にきた博士が独白する。


「いや他人を完全に理解するなど、そもそも誰にもできないものだな」


 誰も他人を理解できないとしたら人間とは孤独だなと僕は思った。


 太陽が南中を過ぎても博士のもとを訪れ人は途切れない。

 来宅する人々は全員揃いもそろって博士を褒めたたえ、難題を押し付けていく。この時間の博士は一番つまらなそうな顔をしている。

 もし、お客が来ることが無かったら、博士は思考の翼を自由に羽ばたかせ、新たな研究や新たなシステムの構築や、新たなパラダイムの創出について考えるのだろう。それは博士にとって最も楽しい時間になるはずだ。


 博士がつまらなそうにしているこの時間、僕は書斎にある大きなソファで横になっている。お客達は僕の姿を見ると必ず微笑する。そんなに僕の寝姿は面白いのだろうか。


 夜になるとやっと来客の波が途切れる。博士の家に心地よい静けさが戻る。そして博士は一日でたった一回の食事を取る。僕もとりあえず食事を取ることにする。エネルギーの補給である。


 食事を終えた博士のもとに、小太りな婦人と筋骨たくましい青年が訪ねてきた。


「お兄さん、今日こそはお願いを聞いてもらいますからね」


 婦人の言葉を聞いた博士はため息を一ついて言った。


「前にも言ったはずだ。やめた方がいい」


 小太りな婦人、博士の妹にあたるのだろう、は顔を真っ赤にしてわめきだした。

婦人曰く、博士にはお金があるのだから出資しろだの、事業の企画を全面的に見直しただの、真一、一緒にいる筋骨たくましい男である、も昔とは違いまじめに働いているだの。

 小太りな婦人の言葉を一通り聞いて、博士は首を横に振った。


「答えはもう言った。あとは時間の無駄だ。帰った方がいい」


 博士の妹は怒りで体を小刻みに振るわせていたが、何も言わず大股で部屋を出て行った。


「やれやれ。」


 博士は目を閉じた。

 僕は博士をしばらく観察していた。そのあいだ博士が全く動かないのでもしかして死んでしまったのかと思い不安になった。しかし、博士はおもむろに目を開くと、キーボードをすごい速度で打鍵し始めた。何か新しい考えが閃いたのだろう。その日、博士は夜遅くまで仕事をしていた。

 

 僕が博士の家族になって一週間が経った。

 

 一週間、博士の近くにいて、博士がただ者でないことが僕にもわかった。世間では博士をプログラミングの麒麟児とか、システム構築の天才とか呼んでいる。しかし、そんな言葉では片付けられない。僕は知っている、博士が誰よりも努力していることを。博士が誰よりも深く考えていることを。博士が誰よりも研究を楽しんでいることを。

 

 起きている間、人と会う時間以外、研究している。人より多くの時間、真面目に努力している。だから人よりいい成果を出せるのだ。博士は努力の天才なのだ。


 博士のやることはいつも合理的で、無駄がない。そんな博士が昼過ぎ、書斎にあるロッキングチェアに何もしないで座っていた。これは博士にしては非常に珍しいことだ、あれほど時間を大事にしている人の行動とは思えない。


 博士がロッキングチェアに腰掛けてから十五分して呼び鈴のチャイムが鳴った。博士の眉毛が上下に動いた。しかし、博士はロッキングチェアから動かなかった。

 博士は決してお客を迎えには行かない。お客は自分でドアを開け、中に入らなければならない。

 このマンションに入れるのは博士の許可を得ている人だけだなので、これでも防犯の心配はいらない。博士は呼び鈴も鳴らす必要はないと、常々お客達に言っている。

玄関のドアを開ける音が聞こえた。


「おじゃまします」

 

 女性の声が聞こえた。声からしておそらく若い女性だ。僕はその女性が気になったので、玄関まで行く。

 廊下でその女性とすれ違った。長い髪を邪魔にならないように後ろで束ねパンツのスーツを着ている。

 

彼女は僕を見て一瞬驚いたような顔をした。しかし、すぐに笑って僕の頭をなでた。


「にゃーにゃーかな? くーくーかな?」

「ポテトです」


 彼女問いに僕は答えたが、おそらく言葉は通じなかっただろう。

 彼女は扉をノックして、博士が待つ書斎へと入った。


「こんにちは。調子はどうですか?」

「調子に関してはいつも問題はない。そう言う生活を心がけている」

「無理はしてませんか?」


 質問をしながら、彼女鞄から器具を取り出して博士の血圧や脈拍を測り始めた。


「今まで無理だと思ったことはしたことがない」


 博士の答えを聞いていた僕は吹き出しそうになるのを我慢しなければならなかった。彼女は博士の体を気づかっているのに、博士の回答はどこかずれている。


「ポテトと名付けたのだが、どう思う」


 博士が僕を指差す。


「かわいい名前ですね。なにか由来はあるんですか」

「食事をしていた時、ご飯も、みそ汁も、野菜も箸でつまんで食べていたのだが、サラダに付いてきたポテトがやけに大きくて、これだけ箸を突き刺して食べた。ポテトだけ特別で記憶に残ったので、それにした」

「じゃあ、それが栗だったらマロンですね」


 彼女はクスリと笑った。

 博士はニヤリと笑った。


「いや、栗は手づかみだ。不適だ」

それから、彼女は博士の体調に関して睡眠時間や、食事の回数など、質問をし、ウェアラブル端末にデータを入力した。最後に採血をした。


「今日もこれで終わりです。おつかれさまでした」

「では、今日の講義といこう」

「はい、先生。よろしくお願いします」


 博士と彼女は丸いテーブルに移動する。

 博士がテーブルの上に手をかざす。テーブルに内臓されているプロジェクタが起動して3D画像をテーブルの上に映し出す。3D画像の絵を指差し、博士は彼女に講義を始めた。講義の内容は物理、化学、生物の分野を中心に展開された。


 後にわかったことだが、彼女は名前を雨雪といい、博士の健康面を管理している人だ。彼女への対応からもわかるだろうが、博士は彼女のことを気に入っている。いや、もっとありていに言えば好きなのだ。だから、博士は一連の検査の後、講義と称して自分の得意な分野で会話を持とうとしているのだ。


 この講義について、一般に博士のわがままに雨雪さんがつきあっていると認識されているが、実は違う。博士が楽しんでいるのは当然として、雨雪さんも博士の講義を楽しんでいる。博士は天才なのだ。面白い講義をするなど朝飯前だ。ああ、博士は朝食をとらないんだけどね。


 二時間、博士の講義は続いた。講義が終わり、雨雪さんは帰っていった。去り際にもう一度僕を見て微笑んだ。その顔がとてもチャーミングだった。


 しばらく同じような日々が続いた。


 あの男二人組は博士に会いにきてはよく叱られていた。

 博士の妹はたまに来ては博士に色々な投資をお願いし、お金を無心していった。

 そして雨雪さんがくる日、博士は必ず約束の十五分前にロッキングチェアに腰掛け何もしない。講義で何を話すか考えているのだろう。

 博士の思考をこれだけの時間独り占めしているのは世界中でも雨雪さんだけだ。なんという贅沢か。しかし、そんなことを博士はおくびにも出さない。


 そして、雨雪さんは相変わらずチャーミングな微笑を僕に向けてくる。

 

 季節は秋から冬へと変わっていた。

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