9話 ハヅキ

 夜が明けてすぐの澄んだ空気の中、おれはヤヨイとフミと一緒に、入道雲の墓標に向かった。

 準備が整ったおまつりの会場にはまだ誰も見当たらない。

 入道雲の塔の裏側が墓標となっており、妖精の名前であろう文字がびっしり書き込まれている。

 重い口を開いて、おれはお母さんが『ハヅキ』という名前であることを明かした。

 それからは言葉が出て来なかった。

 ヤヨイが『ハヅキ』と書かれた文字に触れた。


「ぼくは『ハヅキ』から生まれて、一緒に暮らしていたです。もうずっと長い間…ぼくはなかなか大人にならなかったし、ぼくはそれでも良いと思っていたです。ある日、『ハヅキ』は人間の国に行ったきり、帰って来なかったです。心配していたぼくは、ある晩、夢で『ハヅキ』に会いました。もう会えなくなることと、ぼくを大人まで見守れなかったことを謝られたです」

「まさか、サツキの親も『ハヅキ』って名前だったとはね。知らなかったとは言え、びっくりさせちゃってごめんね」

「いえ…」


「私が詳細をお話ししましょう」

「!?」


 4人目の声に、おれたちが振り返ると、そこにはウヅキ先生がいた。


「ウヅキじゃない!久しぶり!」

「フミも元気そうですね。私たちは小さい頃からの友達です。おまつりには『ハヅキ』も含めた3人でよく遊んでいました」

「そうそう!なのに、急に『ハヅキ』はいなくなるし、ウヅキも教えてくれないし、ヤヨイにはなんか聞きにくいし。あの時は疎外感を感じたなー」


 ウヅキ先生は遠い目をしながら、『ハヅキ』の事を話し始めた。


「『ハヅキ』は昔から人間に興味を持っており、今のヤヨイみたいに、課題を楽しみにしていました。妖力も強かったです。そして、人間の想いを汲むのが得意でした。課題でも、妖力を必要な人間に適切に使えていました。

 そういう意味では人間に近かったと思います。

 大人になった『ハヅキ』は、人間好きが高じて、人間の国を研究していました。実際『ハヅキ』のお陰で、人間の国の技術を妖精の国でも取り入れて、より住みやすくなりました。

 そして、ヤヨイも生まれ、長い時間が過ぎました。実際、ヤヨイの事は可愛がっていました。

 あの頃──『ハヅキ』が人間になるきっかけになったのは、研究のために数回、人間の国に出張に行った事でした。その出張先で、運命の恋と出会ったのです。

 そうとは知らず、私は妖精の国に一時的に戻ってきた『ハヅキ』から、人間になると告白されました。

 残念な事に『ハヅキ』には、自分が人間になれる分の妖力を持っていました。

 自分の事が見える人に出会い、優しくしてもらったこと。今までは側で見守り、妖力で手助けをするだけだった人間から、認識され、認められたことで人間への思いが止まらなくなったのでしょう。

 『ハヅキ』が人間好きなのは昔から知っていましたし、どの妖精よりも人間に近い事は私が一番感じていました。

 恋の話をキラキラした表情で語り、私は『ハヅキ』をもう止められない事を悟りました。

 『ハヅキ』も、私が止めない事をわかっていたから、最後に話して行ったのでしょう。

 こうして、ヤヨイには謝罪の夢を、私には後ろ姿を残して、この入道雲から去っていきました。

 それから、しばらくして『ハヅキ』の名前はこの墓標に刻まれ、見る事ができなくなりました…」


 おれたち3人は、ウヅキ先生の話をじっと聞いていた。


「…実は、『ハヅキ』の名前が刻まれる前、私はモニターで『ハヅキ』を1度だけ見たことがあります。そこで、髪の色が変わり、人間と結ばれた『ハヅキ』に子どもができた事を知りました」


 ウヅキ先生と目が合った。


「あなたですよ。サツキ」


 ウヅキ先生の言葉がストンとおれの中に落ちた。

 昨日、『ハヅキ』の話を聞いてから、そんな気がしていたからかもしれない。

 昔を振り返ると、小さい頃から、父方の家族はいたけど、母方の家族は「連絡が取れない」としか聞いてなかった。

 お母さんはフワフワしたした人だったし、子どものおれから見ても周りの人とは違うと思ってた。

 そして、お父さんもお母さんも、人には見えない物が見えるおれを、受け入れてくれていた。

 お父さんは妖精が見えたし、お母さんが妖精だったからだ。

 お父さんの兄である伯父さんやその家族は、人間らしい家族だったし、見えることは言えなかったけど。

 この妖精の国に来てからも、初めて会ったウヅキ先生は、じっとおれを見てきた。初対面で見つめられて、居心地が悪かったのを覚えているが、おれの中にお母さん──『ハヅキ』の面影を探していたのかもしれない。

 校長先生も初めて会った時に「似ている」って言ってたのは、きっとおれのお母さんである『ハヅキ』を知ってたからだったんだ。

 そして、おれが人間の事を話した授業の時、両親の交通事故の話をすると、ウヅキ先生は複雑そうな表情をしていた。


 『ハヅキ』がおれのお母さんだと考えると、今までの出来事の見え方が変わってくる……

 


「じゃあ、ぼく達は本当に兄弟だったんですね」

「そっか、そうなるんだね。ヤヨイがお兄ちゃんでサツキが弟かぁ……なんか逆っぽいね」

「フミ、それはどういう意味ですか?」


 ヤヨイとフミが言い合いをしている。

 そっか、おれはヤヨイと異父兄弟になるのか……

 現実に意識が戻ってきて、少しおかしくなってきた。


「あはは……」

「サツキが笑ったです!」

「はー。もう、昨日『ハヅキ』の話をした時から、サツキは固まってたからね。一言ずつしか話さないしー。安心したよ」

「え、そうだったかな?」


 とぼけてはみたものの、昨日は完全に止まっていたのは覚えている。

 ウヅキ先生から『ハヅキ』の話を聞いて、改めて『ハヅキ』がお母さんだという事実を言われて、ようやく少しスッキリした。


「では、サツキも落ち着いたようですし、これからおまつりですよ」


 穏やかな表情でウヅキ先生が促した。

 そうだった。それどころじゃなかったけど、おまつりはこれからだ。

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